第5話 夕焼け校舎の文芸部

 部活を探して三日が経過した。

 一応は吹奏楽部や華道部を見学したり、そもそもどこで活動をしているのかもわからない同好会を探したりと、俺はこの三日間、夕焼けに染まる校舎を彷徨っていた。


 時間の流れはやっぱり早い。

 明日が終わればもう五月だ。

 早いところ部活を決めなければ、馬場に小言を言われるのは目に見えている。


 しかし、と小百合のことを思い出す。

 妹の料理事情にもちょっと問題があった。

 頑張っているのは伝わるが、焦がしたり、分量を間違えたり、指を切ったりとどうにも上手くいっていないのだ。


 あまり無茶をするようなら、止めるべきだろう。

 馬場に小言を言われるのを覚悟で部活に入るのはやめて、俺が家事をやった方がいいだろう。

 小百合が家事を手伝ってくれるのはありがたいが、あまり苦労を掛けたくないのも兄心だ。


 そんなことを思いながら、部室棟をフラフラと歩く。

 俺しかいない、夕焼けのオレンジ色を映す廊下には、コツン、コツンと俺の足音だけが鳴り響いていた。



 廊下から空っぽの教室を覗いたりしていると、静かな足音とは別に、慌ただしい音が聞こえ始めた。

 どうやら廊下にはいるのは俺だけではないようだった。

 それに少しほっとする。

 誰もいないように見える放課後の廊下は、どこか物寂しくて悲しく感じるからだ。


 目を凝らすと、校舎の奥にポニーテールの影が見える。

 扉の前で誰かと会話をしていて、その仕草は困っているようにも見えた。


「どうしましょう、部長。一年生全然捕まらないですよ!」

「まぁまぁ、そんな焦らなくても大丈夫だよ」


 その声の主の元へと、自然と足が向かう。

 扉に掛けられた部活名が書かれた板を見る。

 そこはパンフレットに載っていた部活で、まだ見ていない所だった。


「文芸部ってこんなに人気ないものでしたっけ!?」


 声が近づいている。

 そう、文芸部だ。

 何をする部活なのかイマイチわからなかったから、見るのを後回しにしていた。

 それに見学していなかった文化部はここが最後だ。


「あの……すいません」

「えっ、あっ! なんでしょう!」


 声を掛けると、明るい茶色をした髪を持つ、ポニーテールの子がこちらを向いた。

 ニコリと人懐っこそうな笑みを浮かべていて、手には「文芸部へようこそ!」と可愛らしい文字で書かれているプラカードを持っていた。

 胸元にあるリボンは緑。

 同級生らしかった。


 隣には、スラっとした体つきで、真っ黒なショートヘアの女の子が居た。

 ポニテの子よりも身長が低いがリボンは青。

 ちっこいけど先輩のようだった。


「文芸部、ですよね。見学したいんですけど」


 一応の確認。

 俺の言葉に、彼女らは驚いたように顔を見合わせる。

 だけどすぐに顔をほころばせて、俺を部室へと招いてくれた。



「ようこそ!文芸部へ!」


 人が二十人も入れないような寂れた部室。

 木製の柱と、薄汚れて灰色にさえ見えてしまうベニヤの壁がその年季を漂わせる。

 部屋の隅にはどっしりと肥えた二つの本棚と、隣には対照的に身包みを剥がされたように瘦せこけた茶色いソファーがあった。

 窓を挟んで反対側には机が三つ。

 二つが空席で、残り一つには荷物が置いてある。

 そして部屋の中央、窓から逆光が刺さりそうな場所には、金の装飾が各所に施された真っ黒い大机があった。


 その大机に、ポニテの子から『部長』と呼ばれていた黒髪ショートの先輩が、ちょこんと座った。

 小っちゃく見えた体がさらにちっちゃくなったようにも見えた。

 それほどまでに机が大きかった。


「というか、二年生?」

「まぁ色々ありまして」

「そっか。まぁ二年生でも全然オッケーだよ!」


 ポニテの子は、嬉々として声を上げる。

 騒がしいというか、人懐っこいというか。

 まぁ、女の子に寄られて悪い気はしない。


「それで、文芸部はなにをする部活なんですか?」


 俺は大机の前に立ったまま、目の前に座る『部長』へと声を掛けた。

 部長は片目を閉じ、自慢げに笑みを浮かべた。


「まぁ簡単だよ。文化祭では部誌を作って、いつもは大体小説を読んでる」


 うわぁ、ラクそう。

 めっちゃいいじゃんここ、と関心する。


 俺は小説を読むのは嫌いではない。

 というか日常的に読んでいる。

 家にはなぜかどこの誰かが買ったかもわからない大量の小説があるので、読むものに困ることはない。


 それにあの忌々しい夏のお供に、小説はピッタリだ。

 小説はあの長い夏を、少しだけだが短くしてくれる。

 嫌いではないと言ったのは訂正しよう。

 俺はむしろ小説を読むのが好きだ。


 だから部長の説明を聞いただけで、俺の心は文芸部へと急速に惹かれていった。

 

「活動日とか、帰宅時間ってどんな感じですか?」

「自由だよ」

「え?」

「週一回は来てくれれば、それ以外はいつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。私は休日以外なら毎日いるけどね」

「それは……随分とゆるいですね」

「他のところがガチガチ過ぎるだけだよ」


 肝心の活動日を聞いてみたら、驚きの返答だった。

 部長の言う通り、他の部活は文化部でも活動日が結構詰まっている。

 土日曜日も出ろなど、週五で来いだの。

 帰宅時間も下校時間ギリギリまでやる部が大半を占める。

 俺が部活見学をしてもイマイチ心が惹かれなかったのはこれが原因だった。

 それに対し、文芸部はかなり自由が利くと言う。


 それならば、と考える。

 文芸部に顔を出してからすぐに帰れば、俺が夕飯を作ることができる。

 わざわざ小百合に負担を掛けさせる必要もなくなる。


 まぁしかし、せっかく小百合が夕飯を作ると言ってくれたのもある。

 それを無碍にはしたくない。

 当番制、もしくは一緒に作るのもありかもしれない。

 文芸部の活動がここまで自由なら、その辺はいくらでも調整できる。

 どうやらこの文芸部は、俺の事情とも合致しているらしい。

 ますます心が惹かれていくのを俺は感じた。


「小説は読むクチかい?」

「まぁ、そこそこ」

「ジャンルは何が好き?」

「何が好き……って言われると困りますが、大体読みます」

「なら気に入ったのがあったら、持っていくといい」

「本当ですか。ありがとうございます」

「いろいろあるよ」


 しかも部長の人柄もいい。

 他の部の部長はみんなピリピリした感じがしていた。

 なんか口調がキツかったり、バシバシ指示を飛ばしたり、初心者お断りみたいな雰囲気を醸し出していた。

 それと比べると、随分と大らかだ。


 俺は部室を改めて見渡す。

 部屋にはエアコンが付いており温度調節は良好。

 二つの本棚には俺が見たこともないような小説がずらっと並んでいる。

 質素で素朴な雰囲気は小説を読むのにピッタリで、今のところ良い印象しかない。


 もし文芸部に入部したとして考える。

 放課後に小説を読む時間が増えるだけで俺の生活は何も変わらない。

 そして俺の生活は変わらないが、「部活に入った」という事実が残り、馬場は満足して俺に関わってくることもなくなるだろう。

 それにこれからすぐに来る忌々しい夏の退屈な時間を潰すのに、この部室はうってつけだ。


 考えを巡らせていると、ポニテの子が急に「パン」と手を叩いた。


「あ、そうだ! 自己紹介してない」

「でもヒナちゃん。彼、まだ入部するかわかんないよ?」


 部長は苦笑いを浮かべたが、俺の心は既に決まっていた。

 正直言って、こんなに都合のいい部活があるとは思わなかった。

 だが事実、目の前にある。

 ならば答えは決まっているも同然だろう。


「あ、もう入部決めたんで。大丈夫です」

「おぉう、そうかい」

「私、日並ひなみ奈々果ななか。よろしくね」

佐々原ささはら文乃ふみの。文芸部部長だ。よろしく」

「俺は─────」


 と、お互いに自己紹介をして、俺は文芸部へと入部した。

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