第62話 答えるべく部屋を飛び出す

「ゴボボボボボボボ!」


 気が付くと、鼻ごと顔半分をお湯に付けたままにしていた。

 危うく風呂で溺れるところだった。


 浴槽からザバァと立ち上がり、すぐに身体と髪を洗って風呂を出る。

 今度はのぼせなかった。

 のぼせる訳にはいかなかった。


 二階に上がり、部屋に戻って俺は布団に寝転んだ。

 辰也は俺と代わるようにして風呂場へ向かった。

 部屋には俺一人になった。

 丁度良かった。

 少しの間、じっくりと考え事をしなければならなかった。


 日並奈々果という女の子のことについて。


 両親のことも、俺のことも、この際どうでもいい。

 考えるのは今だ。

 今のことだ。


 悲しみに縛られて、いつまでも過去に囚われてはいけない、と俺は自分で判決を下した。


 だから今は、日並奈々果という女の子について考える。

 考えなくてはならなかった。


 日並奈々果。


 同じ高校に通っていて、俺と同じ学年で、クラスは別で、部活は一緒な女の子。

 明るい茶色の、胡桃色をした髪をポニーテールに纏めていて、元気で、結構お茶目な女の子。

 全然青く見えない学校の屋上で、とても青いブルーハワイを飲ませてくれた女の子。


 俺の記憶が正しければ、俺は告白された。 

 彼女に。


「好きみたい」と言われた。


 彼女から。

 確か、記憶が正しければ。

 確かね、うん。


 いや、その。


「どうすればいいんだこれ?」


 俺は思わず言葉を口に出した。


 確かに気持ちは嬉しい。

 日並と一緒にいると楽しいし、悲しくない。


 多分、好きだ。

 人として、異性として。


 俺なんかのどこを好きになったんだとか、そもそも俺なんかが付き合っちゃっていいのかとか色々考えが巡るが、問題はそこじゃない。

 問題はそこじゃないんだ。


「問題はそこじゃない」と今度は自分の口で言った。


 返事をするタイミングを、完全に逃したのだ。

 それが問題だった。


 水族館のスタジアムで、あのイルカショーの最中に告白されて、答える前に日並と俺は辰也によって引き剝がされた。

 別に辰也を恨んでいるとかじゃない。

 実際イルカショーの演技は凄かったし、興奮するのもわかる(最後の演技は見れてないけど)。

 仕方ないとこれは割り切れる。


 問題はその後だ。

 イルカショーを終えた俺達は流れるままに四人で水族館を回った。

 一通り楽しんで帰ることになった。

 電車の席には俺、辰也、正志さん、久恵さん、小百合、日並という並びで座った。

 草薙家への車では、当然辰也と小百合含めた四人で乗った。

 家に帰って皆で飯を食った。

 風呂の順番を決めて順番に入ることになった。

 日並が一番先で、次に俺、辰也、小百合の順。

 で、今に至る。


 そう、あれから日並と二人きりになる時間がなかった。

 返事をするタイミングを逃したのだ。


「どうしよう」と再び思った言葉を口にする。


 いや、もう一度始めから考えよう。


 俺は日並から「好き」と言われた。

 そして俺も日並は好きである。


「……」


 で、そこから?


「どうすんだこれ」と口から勝手に言葉が出た。


 好き合った者同士、付き合うというのが世の摂理。

 そうしてやがては子を作り、社会を循環させて……いや、違う違う違う。

 思考が変な方向へ向かい始めたのを無理矢理停止させ、改めて考える。


 付き合うって、なんだよ。

 つまるところはそれだった。


 恋愛小説を参考に考えると、一緒にデートしに行って買い物に行ったり、ご飯を食べたり、どこかに行ったりするらしい。

 でもそれって、普段から似たようなことしてるよな? とこの夏休みのことを思い出す。


 ショッピングモールで買い物。

 水着買ったり、お昼食ったり。

 後はカフェにも行った。

 今だって二人きりではないが旅行にも行ってる。


 うん。

 俺は「どうすんだこれ」と再び口にした。


 辰也が風呂から戻ってくると、俺の顔を見るや「なんか悩み事か?」と声を掛けられた。

 一人で考えても埒が明かなそうなので、俺は辰也に相談することにした。


「日並に告白された」

「え、マジ? ようやく? いつ?」

「イルカショーの、最後の演技の時」

「え? なんつった?」

「イルカショーの、最後の、演技の、時」


 辰也はそれを聞くと、しばらく呆然とした後に頭を抱えた。

 苦虫を嚙み潰したような顔だった。


「いや、あの……マジ?」

「マジ」

「その……なんて返したんだ?」

「お前に引っ張られてなんも……」


 訪れる沈黙。

 外から聞こえる蛙の合唱が耳に残る。

 辰也の髪から滴る水滴。


「別に俺気にしてないから、とりあえず髪乾かせよ」

「あぁ、うん。いやホント……ごめん」


 肩を落として、しょんぼり顔になりながら、辰也はドライヤーを手に取った。


「で、俺どうすればいいと思う?」


 髪を乾かす辰也に投げやりに聞いてみる。

 答えはすぐに返ってきた。


「いや返せよ、返事。俺が言えたことじゃないけど」

「付き合うとか、よくわかんないんだけど」

「その前にだ」

「ん?」

「日並はお前の答えが知りたいんじゃないか? 付き合うとかどうとか言う前に」

「そらそうだわ、ヤベェ」


 俺はすぐさま部屋を飛び出した。

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