第13話 淀んでいる

 そうして執筆に苦戦してる間に、小説の進捗状況を部長に見せる日がやってきてしまった。


 書いても書いても爽やかにならない文章に焦りを感じて、長いはずの夏がこの一週間だけは少しだけ短かったように思える。

 だけど、この一週間で書けたのは全体のたった四分の一程度でしかなかった。


───無気力な主人公が、夏休みに親の誘いで田舎の祖母の家へ行くことになり、その町で様々な人と出会い、とある少女と恋をする。


 俺が書いている小説は、そんな陳腐でありきたりなものだ。

 平々凡々な小説なはずなのに、爽やかな夏を書いたはずなのに、どうにもそうは見えなかった。

 書き直して書き直して、結局四分の一程度しか書けなかった。

 今の文章だってあまり爽やかさを感じない。


 部長は「途中まででもいい」と言っていたから途中のこれを見せても問題はないのだろう。

 見せる分には問題はないが、俺からしたら内容が問題ありまくりだった。

 この腐ったような小説を見て、部長は何を思うんだろうか。


 ホームルームが終わった教室で、椅子からのそりと立ち上がる。

 机に広げていた原稿用紙をカバンに詰め込んで、俺は沈んだ気持ちで教室を後にした。


 廊下を歩いて部室の扉に手をかける。

 開けば相変わらずガタガタと錆びたような音がして、見慣れた部室の内装が映る。

 大机にはいつものように部長が座っていて、日並はまだ来ていないようだった。


「や、小説は書けたかな」


 部長は手に持っていた本を机に置いて、軽く手を上げる。

 俺は首を傾けながら「どうでしょうね」と口にして原稿用紙を取り出した。


「あまり上手くいかなかったかい?」

「はい」

「悪いね、教えられなくて。不甲斐ないよ」

「いえ、部長にも何かしら事情があったんでしょう」


 部長は気まずそうに誤魔化し笑いをしながら原稿用紙を受け取った。


「まだ途中で……ちょっと自分では納得できてないんですけど」

「うん、まぁ、初めてなんだから、大丈夫。今回もどんな感じなのか見るだけだし」

「……お願いします」


 原稿用紙を放した手は汗ばんでいた。

 それは暑さによるものなのか、緊張によるものなのか。

 小説の出来は別として、他人に自分の作品を見られるというのはとても緊張した。


 そして永遠にも思えたような五分が終わり、部長が原稿用紙から顔を上げる。

 冷や汗塗れになった俺を、部長が見据えた。


「君の書く文章は、なんだか淀んでいるね」

「……なるほど」


 部長が言い放った一言を、俺はスルリと飲み込んで納得してしまった。


 「淀んでいる」。

 水の流れがとまって動かなくなること。

 物事が滞り順調に進まないこと。

 何度も書き直してぐちゃぐちゃになってしまったこの小説に、俺の過ごしてきた夏に、それはピッタリの言葉だった。


「あ、いや、違うんだ。初めてでこんなに書けるのはすごいよ」


 部長も本当は言うつもりはなかったのか、思い切り目を見開いた後、慌てて取り繕うようにそう言った。


「うん、私にも真似できない味があるね」

「部長」

「ごめん、本当に、気にしないで」

「わかってます」


「わかってるんです」と俺は言う。


「本当のことを言ってください」

「本当って……」


 部長は困ったように「うーん」と呻いた。

 そして、目を逸らして、まるで失敗したと言わんばかりの表情で口を開いた。


「ヒナちゃんとの会話は聞いてたよ」

「日並との……」

「嫌いな夏の世界じゃなくて、君の望む夏の世界、だっけ。それを書いたんだよね。この小説」

「そうですね。爽やかな夏を書きたかったです」

「だよね。でも……私から見えるこの小説の夏はどうにも……」


 ───淀んでいる、ということか。


「物語の筋は、わかる。きっと主人公はこれから田舎で充実した夏を過ごすんだね」

「はい」

「ベタな物語だけど、私は好きだよ。こういうの。キラキラしていて……淡いような夏」

「……」

「だけどこれだと……物語の筋に比べて、主人公の心情が、環境描写が、嫌に現実的で……物語の筋と描写が嚙み合っていなくて……まるで淀んだように見えてしまう」


 部長によって、自分では言い表せなかった粗が次々と言語化されていく。

 どれも納得することばかりで、俺は黙り込むことしかできなかった。

 なんだ、部長ちゃんと教えられるじゃないか。

 最初から教えて欲しかった、と言いたかったがそれは酷だろうか。


 部長は、目を細めて原稿用紙を人差し指の腹でなぞる。

 そうして、何かに納得したように呟いた。


「あぁ……そうか。これが、君の過ごしてきた夏なんだね」

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