第16話 部長、行方不明

 朝起きると、安静にしていたおかげか身体は好調だった。

 朝飯を作って、家事をして、まだ休んだ方がいいと渋る妹を無理矢理見送って学校へと足を運ぶ。

 いつも通りの長い夏だが、身体の好調っぷりに反して心は若干重かった。


 原因は勿論文芸部と小説のことだ。


 部長にはさらっと「昨日は体調が悪かったんです」とでも言って誤魔化してみようか。

 そんな度胸あるのか? と俺が俺に語りかける。

 無論、無理である。

 それにあの部長にはなんか嘘が通じなさそうだ。

 なんせ俺の小説から俺がどんな夏を過ごしていたのか見抜いてしまったのだからな。

 ハッハハッハ。

 笑いごとではなかった。


 授業中は考え事をしたり授業内容を無視して教科書のテスト範囲のページをなぞって練習問題なんかを解いてみる。

 多分、前も同じようなことをしたのだろう。

 問題はスラスラと解けてしまった。


 そんなことをしていたら再び数学教師に問題を解くようにと教鞭で指された。

 しかし今度の俺は間違えなかった。

 数学教師は不服そうな顔をしていた。

 いい気味である。


 昼休みになって、ぼんやりとしながら弁当をつまんでいると、教室の前の扉からひょっこりと顔を出している女子が目に入った。

 よく見るとそれは日並だった。


 辰也は学食に行っているから、多分用事があるのは俺なんだろう。

 弁当箱に蓋をして席を立った。


「よっす」

「よっす。お昼中だった? ごめんね」

「いや、気にしないでいい」

「とういうかお弁当なんだ」

「あぁ、食費削減のために作ってる」

「自分で? すごいじゃん!」


 日並が関心したようにパン、と手を叩くが、なんか用事あったんじゃないのか? と首をかしげる。

 それでも日並はとぼけた様子を見せるので、強引に話を持っていくことにした。


「それよりも本題」

「あ、そうね」

「なんか用事か?」

「あ、いや、昨日途中で帰っちゃったのと部長が落ち込んでたのが気になって……」

「……あぁ」


 聞かなきゃよかったと後悔した。


 そりゃそうだ。

 普段から俺のクラスに顔を出すことなんかない日並がわざわざ来たのだ。

 よっぽどのことがあったから来たんだろう。

 なんも考えずに顔を合わせた俺は馬鹿だった。


 どうしようかこれ、と自問する。

 とりあえず詳細は伏せよう、と俺は答えた。


「熱中症気味だったから帰った」

「え、大丈夫なのそれ」

「妹の看病でバッチリだ。おじや作ってくれた」

「シスコン」

「違うが」

「……ん? 熱中症におじや…?」


 やっぱズレてるよな? と心の中で日並に語りかける。

 だけど日並は困ったようにため息をつくと、「それで? 部長とは?」と目配せをしてきた。

 誤魔化しは通用しなかったらしい。


「部長とは……あー、俺が悪かったんだ」

「ふーん」


 ジトッとした目で俺を睨み付ける日並から顔を逸らす。

 そんなに見つめられても言えるのはこれが限界ですよ、日並さん。

 暫くそのままだったが、一向に喋らない俺に呆れたのか彼女は一歩下がって背を向けた。


「ちゃんと仲直りしといてよ」

「わかってる」


 日並は腕を組みながら不満そうに「じゃあね」と言って去っていった。


 まぁ、とりあえず。気は重いが放課後は部長に会いに行こうか。

 いや、行かなければなるまい。



 放課後になり、文芸部の扉に手をかける。

 しかし向こう側に部長が居ると思うと中々身体が動かせなかった。

 

 気まずい。

 なんて話したらいいんだろうか。

 いや、違うな。

 まずは初手に謝罪だ。

 勝手に部室を出て帰ってしまったのだ。

 しかも日並が言うには部長は落ち込んでしまっているらしい。

 どう考えても俺が原因だった。

 土下座以外ありえない。


 俺は「よし」と気合いを入れて意を決して扉を開いた。

 

「おはようございます。部長、昨日のことなんですが……あれ」


 部室内へと声をかけるが、肝心の部室内はシンと静まっていた。

 いや、部長はいつも小説読んでいるから静かなのはいつも通りなのだが、人の気配すら感じない。

 文芸部は空っぽだった。

 誰もいないのだ。

 いつもは部長が当然のように座っている大机が、寂しそうに陽の光を浴びていた。


「え、もしかして避けられてる?」


 最初に思ったのはそれだった。

 あの誰よりも先に文芸部にたどり着き、いつも大机に陣取っている部長が今この場に居ないのだ。

 もしかしたら俺の想像以上に部長を傷付けてしまったのかもしれない。


 ポカン、としてると部室の扉が開く音がした。

 もしかして部長か? と嬉々として振り返ったが、そこに居たのは眉をひそめて俺を見る日並だった。

 俺も同じように眉をひそめた。


「なんだ日並か」

「なんだとは何よなんだとは」

「冗談だよ」

「それより……部長は?」

「見りゃわかるだろう」


 顎をクイッとして大机の方を指す。

 日並は大机の方へと視線を映すが、そこには誰もいない。

 ジトッとした目で彼女はもう一度俺を見据えると、頭を抱えた。


「ほんとになにしたのよ……」


 あまり事情を説明したくもなかったので、俺は口を閉じたまま肩を竦めた。


 日並とはその後すぐに別れた。

「事情を説明する気がないなら探してきなさい」と有無を言わさず部室から追い出されたのだ。

 こんなクソ暑い学校内に放り出すなんてあいつは鬼か。

 まぁ悪いのは俺なので反論はしなかった。

 結局のところ自業自得だ。


 部長を探して校内を彷徨っていると、渡り廊下で筋トレ中の辰也と出くわした。

 馬鹿みたいに暑い廊下で汗をダラダラと垂らしながら先輩らしき人物と共に高速で腕立て伏せをしていた。


「よく平気だな、それ」

「こんなの朝飯前だぜ。それよりどうかしたか?」


 俺に気が付いた辰也は腕立て伏せを続けながら元気よく答えた。

 これが朝飯前だと言うのだから末恐ろしい。

 彼は将来ゴリラにでもなるつもりなのだろうか。

 俺は辰也に若干引きつつ部長の行方を聞いてみることにした。


「文芸部の部長みなかった?」

「お前んところの部長? なんで?」

「行方不明」

「そんなことある? どんな格好だ?」

「日並より背がちっちゃくて、スレンダーで、黒髪ショートで、三年生」

「いやぁ、見てないなぁ」


「……もしかして佐々原のことか?」


 俺と辰也の問答を聞いていたのか、隣で黙々と腕立て伏せを続けていた細マッチョ先輩が動きを止めて顔を上げた。


「先輩知ってるんですか」

「行方についてはわからないが……佐々原とは同じクラスだ」


 何という偶然だろうか。

 幸運の女神は俺に味方しているようだった。

 部長と同じクラスにいるらしい人物を見つけられたのだ。

 彼に伝言を頼めば、少なくとも事情を聞けないなんてことはないだろう。

 俺は少し安堵した。


「じゃあ先輩、もしよかったら明日にでも部長に伝言お願いできますか。粗方校内を探したんですが見つからなくて……」


 俺がうなじを触りながら言うと、筋トレ部の先輩は少し渋い顔をした。


「うぅん、伝えられるなら伝えたいが……」

「なにか問題でも?」

「彼女は……浮世離れしているというか、なんというか……誰かと話している所を見たことがないんだ。会話に応じてくれるだろうか……」


 変なことを言う先輩に俺と辰也は顔を見合わせた。


「まっさかぁ! 先輩、ありえないっすよ」

「そうですよ、文芸部でも普通に会話してますよ」

「うぅむ、しかし……」


 俺と辰也は茶化すが先輩は腕を組んで唸り始めた。

 あまりにも真剣な表情をするので先輩の言うことが真実味を帯びてきた。

 まさか本当に部長はクラスだとそんなに話かけづらい存在なのだろうか?


「……お前んとこの部長、どんな人なんだよ」

「俺もわかんねぇよ」


 改めて自覚する。

 五月からの二ヶ月間を文芸部で一緒に過ごしたというのに。

 どうやら俺は、部長について何も知らないままでいたらしい。

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