第5章 三泊四日の田舎旅行

第53話 名前も路線もわからない電車

 ガタンゴトン、と電車の奏でる音色に目が開く。

 日並と、辰也と、小百合の楽しそうな会話が聞こえる。

 いつの間にか眠っていたらしい。


「あ、起きた」

「お兄、おはよう」

「昨日は楽しみで寝れなかったのか?」


 俺の目覚めに気づいた彼らは、三者三様に声を掛けてきた。

 俺はなるべく、いつも通りの笑みを浮かべて、いつも通りのように答えた。


「小学生じゃないんだから」


 そう言うと、彼らは笑う。

 今はなるべく、前の俺を演じる。

 そうだ、これでいい。

 今はこれで。


 あぁ、だけど結局。

 なにもわからないまま、旅行の日がきてしまった。


 八月七日、午後三時三十分。

 日並、辰也、小百合、俺の四人は、辰也祖母の家へ向かうべく電車に揺られていた。


 快速電車、新幹線、各駅停車と乗り継ぎ、今は名前も路線もわからない上に車両も二両しかない電車に乗っている。


 首の力を抜き、投げやりに右に見える窓を遠目に覗く。

 外には、田んぼと山と澄んだ空がどこまでも続いている。

 明るい緑と濃い緑。

 空の青と雲の白。

 そんな四色しか映らない景色が、ずっと流れ続けていた。

 田舎過ぎるな、と漠然と思った。


 変わらない景色に飽き、電車の中へと目を向ける。

 正面には小百合、その隣には日並が座っている。

 駅の売店で買ったお菓子をつまみながら、楽しそうに喋っていた。


 そして俺の左の席には辰也が居て、彼はボタンを押して水中輪っか投げをする玩具を食い込むように見つめて、手元を忙しそうにしていた。

 揺れる電車の中だと言うのに熱心に水槽の中の輪っかを見つめて、ピコピコとタイミングよくボタンを押していた。


「なんでそんなもん持ってきたんだ」

「婆ちゃん家行く時はスマホとかの現代機器をなるべく使わないようにしてんだよ」

「……なぜ?」

「風情だよ、風情」


 わからなくはないが、自分でやろうとしたら耐えられそうにない。

 よくやるよ、と頭の中で呟いた。


 しかし辰也はいつまで水中輪っかの玩具で遊んでいるんだろうか。

 まさか俺が寝る前からぶっ続けで遊んでいたのだろうか。

 そこまで熱中できる辰也に呆れ半分関心半分に思いながらも、声を掛けた。


「まだやってたのか、それ」


 乾燥した喉から出た声は咳混じりだった。

 返事を待つまでもなく、買っておいたペットボトルに手を伸ばして喉を潤す。

 辰也と向き直ると、彼は手に持っていた玩具をこちらに差し出していた。


「お前もやるか? もう着くけど」

「……」


 前の俺なら、嬉々として受け取ったのだろうか。

 演じようとして、だけどどうしてか受け取れず、俺は首を横に振った。

 辰也は一瞬だけ不思議そうに首をかしげたが、「まぁ、すぐ着くしな」と言って玩具に目を戻した。


 それから数分も経たない内に、辰也の言った通り、電車は降車駅へとたどり着いた。


 俺達は席を立ち、荷物を持って電車を降りた。

 そこに会話らしい会話はなかった。

 片道三時間のただでさえ長い乗車に、みんな疲れているようだった。


 駅のホームへ足を降ろすと、その場の空気に日並と小百合が目を見開いた。

 

「すごーい! 空気が美味しい!」

「なんか……綺麗ですね」


 俺も意識を空気に向けてみた。

 確かに綺麗だ。

 澄んでいる。

 俺達が住んでいた街よりも、ずっと呼吸がしやすい。


 だけど、そんな感傷に浸る間もなく、俺の思考には暗い影が差した。


「親を差し置いて、いい御身分だな」

「人殺しの癖に」

「お前はなにがしたいんだ?」


 うるさい。

 じゃあどうしろって言うんだ。

 小百合を置いて、死ねとでも言うのか。

 大体、最後に至ってはこっちのセリフだ。

 どうすればいいのか知っているならこっちが教えて欲しいくらいだった。


「お兄、行くよー?」


 小百合の呼びかけに、意識が戻る。

 気が付くと、みんな改札を出ていてこちらを見ていた。

 その目はいつか見た、同情の目のようだった。


 俺は慌てて首を振った。

 もう一度彼らの目を見ると、別にそんな目はしていなかった。


 わからない。

 何が正しくて、何が間違っているのか。

 俺はどうするべきなのか、まるでわからない。

 重い頭を抱え、改札を出た。


 駅を出ると、すぐに茶色い地面が俺達を迎えた。

 包装された道路は、どこにもなかった。

 そんな野生味溢れる道の先に、荷台のある軽量トラックを背にして、ニコニコとしながらこちらに手を振る二人の老夫婦がいた。

 俺達はその老夫婦の元へと向かった。


 辰也の祖母は久恵ひさえさん、そして祖父は正志まさしさんと言い、夫妻は苗字を「草薙くさなぎ」と言った。

 辰也と苗字が違かった。

 多分母方の家なんだろうな、と勝手に推測した。


 俺達兄妹が自己紹介を終えると、草薙夫妻は軽量トラックの荷台に乗れと言った。

 創作でよく見るトラックの荷台乗りに、本当にあるんだな、と関心したのだが、包装されていないゴツゴツとした道を往く際の衝撃は凄まじく、草薙家に着く頃には俺と小百合はグッタリとしていた。

 辰也と日並は慣れていたのか、俺達を見て可笑しそうに笑っていた。


 トラックを降りると、一面の景色は田んぼの絨毯だった。

 青々とした稲の葉は空へ向かって、のびのびと背丈を伸ばしている。

 底に溜まった水には、入道雲がその姿をチラリと覗かせる。

 それが一面ずっと続き、そしてさらに、生き生きとした緑の山々が、壁のように俺達を囲んでいた。


 想像なんかよりも、その景色は壮大だった。

 俺の書いた小説での描写なんか、ちんけに感じてしまうほどに。

 額に流れる汗なんか、気にならないほどに。


 俺は目を擦った。

 視界は、色付いている。

 何もかもが、生き生きと輝いていて鮮やかだ。


 振り返った先にあった草薙夫妻の大きな家。

 古びてはいるけど、どこか威厳のようなものを感じる家だ。


 正志さんは車庫にトラックを駐車していて、久恵さんは玄関の扉を開けて手を招く。

 小百合と一緒に歩く日並。

 荷物を両手に持たされてノロノロ歩く辰也。

 皆みんな、その表情はどこか嬉しそうで、輝いて見えた。


 俺は下を向いて、自分の身体を見つめた。

 輝いてみえる景色の中で、自分の身体だけが灰色にくすんだように見えた。


 色付いていなかったのは、俺だけか。


 結局最初から最後まで、俺だけの問題だったのか。


 世界は、今も尚正常に動いていて、色鮮やかで、輝かしいもので。

 正常に認証していたのは皆の方で、異常だったのは俺の方で。

 それは仕方ないんだと諦め、それが自分のせいだったことを忘れた。

 結局のところ、俺だけの問題で、俺だけにしか解決できなかった。


 黄ばんだような、くすんだような、淀んだ夏の底に沈んで。

 そこから俺が「どうするか」の問題だったんだ。


 でも、どうすればいいんだ?

 どうすればいいんだよ。

 教えてくれるはずの大人は、俺が殺してしまった。


 どうすればいいんだ。


 ずっとずっと、肝心な部分が、わからないままだ。

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