第52話 因果

 気が付くと息が上がっていた。

 心臓がバクバクと鳴って、痛いくらいに鼓動していた。


 いつの間にか俺の部屋は、泥棒に入られたかのように荒れ果てていた。

 机の上には教科書、ノート、ペンがゴチャゴチャと広がり、布団はシーツが剥がれ、タンスからは服がはみ出している。

 そしていくつもの破られた原稿用紙が散らばり、部屋中を舞っていた。

 その原稿用紙は、俺が昔書いた小説だった。


 俺は荒れた部屋の真ん中で、呆然と立ち尽くしたまま思った。

 そして理解した。


 俺には、小説を書く資格なんかなかった。

 最初から書くべきではなかったんだ。


 俺が小説を書かなければ、両親は生きていて、小百合にも悲しい思いをさせなかった。

 俺だって、小説を書かなければ、普通の学生生活を送れた。

 創作みたいな青春だってきっと送れた。

 送れたはずなんだ。


 俺は自分の手に目を向けた。

 手を開くと、ヒラヒラと紙屑が舞った。


 原稿用紙を、小説を破いたのは───俺だ。

 俺がやったんだ。


 思わず笑いがこみ上げてくる。

 涙もこみ上げてくる。


 訳が分からない。

 結局全部、俺のせいだって言うのかよ。

 俺が小説を書いたから、こうなったって言うのかよ。


 なんだよそれ。

 笑えるなぁ、オイ。

 笑えねぇよ、なあ。


 じゃあなんだよ。

 俺は両親を殺しておきながら、両親を殺すことになった要因を、小説を書くのを、まだ続けていたのかよ。

 まだ書こうとしてたのかよ。

 なんだよそれ。

 どの面下げてそんなことしてんだよ、俺は。


 駄目だろ。

 人殺しが、そんなことしちゃあ。


 俺は最後に残った小説を破り捨てるべく、カバンから原稿用紙の束を取り出した。

 それは俺が、七月に完成させた、淀んだ夏を書いた小説だった。


 思えばコイツは難産だった。

 書く前から俺を散々苦しめ、執筆でも頭をすごく悩ませた。

 完成させても部長に『淀んでいる』と言われた。

 俺が書きたいと思っていた小説に、ならなかった。


 だから未練なんかない。

 簡単に破れる。


 俺はそう思い、その原稿用紙を握りしめて、───縦に引き裂いた。



 声が聞こえた。

 それはよく聞き慣れた、「みんな」の声だった。


『悪い悪い。まぁ、なんだ。体験ってことならたまに遊ぼうぜって言いたかっただけだ』

『もう大丈夫。ちゃんとできるよ』

『ありがとう、お兄ちゃん。おかえり』


『だから、約束。いっぱい遊びにいってさ、この夏をめいっぱい楽しもうよ』


 それはとても暖かくて、輝かしい記憶だった。



 原稿用紙は破れていなかった。

 裂いたはずが、少しだけクシャリと歪んだだけだった。

 力はもう、入らなかった。


 膝が崩れる音がした。


「なんで……」


 なんでなんだよ。

 なんで破れないんだよ。


 声に出しても、手に力は籠らない。


 俺に小説を書く資格なんかない。

 書いちゃいけない。

 作品だって、この世に残しちゃいけない。

 こんなものを俺が書いたから、両親は死んでしまったというのに。


「どうして、否定できないんだよ……」


 どれだけ自分に呪詛を吐いても、この手に持った原稿用紙が破れることはなかった。


 わかってる。

 本当はわかってるんだ。

 物に当たっても、小説を破っても、それは贖罪になりえない。

 過去を否定したことになんかにならない。

 過去なんて変えられない。


 それに、わかってしまったんだ。

 この人生は、悪いことばかりではなかった。

 俺が小説と関わり続けていたから、出会えた縁があった。

 文芸部、日並、部長、辰也……彼らに出会って、楽しい思い出ができた。


 それを思うと、手に持つ原稿用紙はどうしても破けなかった。


 笑ってしまう。

 俺はこの期に及んで、まだ小説に対して未練があると言うのか。

 自分の小説のせいで両親を殺しておきながら。

 小百合に悲しみを強要させておきながら。

 それでもまだ、自分の思いを優先させている。

 そんな権利など俺にはないのに、まだ諦めることができていない。


 何もかもが中途半端で、どうすることもできない。

 罪悪感と諦めたくない気持ちで心の中はぐちゃぐちゃだ。


 どうしろって言うんだよ。


 俺は泣いた。

 今度こそ、脇目もふらずに泣いた。

 泣き続けた。

 床に蹲って、声を上げて泣いた。

 今回ばかりはどうしようもなかった。

 自分がどうすればいいのか、まるでわからなかった。

 わからないんだ。

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