第30話 予約

「ところで、どうしてここがわかったんだ?」


 空になったコップを日並に渡しながら、気になっていたことを聞いてみる。


「部長に聞いたの」

「あぁ」


 なるほど。

 納得の一言だった。


 日並はコップを受け取ると、ウェットティッシュを懐から取り出して拭き始めた。


「……」


 今更だけど、よく考えたらこいつはどうやってコップを持ってきたんだ?

 多分家から持ってきたんだよな? 保健室や家庭科室から借りるわけにもいかないし。

 気になって日並がさっきまで座っていた所へ目を向けてみると、そこには青色のボトルと炭酸水が入っているらしき気泡が浮かぶペットボトルと、それらがギリギリ入りそうなポーチが置いてあった。

 わざわざ材料とコップ一式を持ってきたのかよ、と呆れ半分関心半分だった。


「ちょっと、聞いてる?」

「あ、悪い」


 目の前から肩をポンポンと叩かれて我に返る。

 そうだ、なんでここに居るのがわかったのかって話だったな。


「今日で実質一学期最後の部活じゃん?」

「うん」

「だから文芸部で懇親会でもしようと思って、今日ちゃんと部活来てねって言おうとクラスまで行ったのに、いなかったから」

「それで……部長に聞いたのか」

「スマホに連絡全然つかないんだもん」


 そう言われて、ポケットからスマホを取り出すと、日並からの連絡が何件か入っていた。

 全然気がつかなかった。

 俺は素直に「ごめん」と謝った。


「で、なんで懇親会?」


 彼女は俺の言葉にフフン、と胸を張って腰に手を当てた。


「私が思うに、──君は体験が足りないんだと思うんだよ」


 何も考えずに「体験」とオウム返しをした。


「物書きは自分の体験したことしか書けないって、よく言うじゃない」


───物書き、小説家は自分の体験したことしか書けない。


 よく言われる定説だけれども。


「……眉唾だろ、あれは。」


 実際にそうだと証明されたことはない、眉唾ものの話だ。

 もしそれが事実だとするならば、異世界転生小説を書いている人間は実際に転生したことになる。

 推理探偵小説を書いている人間は、実際に殺人事件現場に居合わせて探偵がそれを解決するところに居たことになる。

 まぁ、これはかなり極端な考え方だが。


「でもわからなくもないじゃない。実際書いてみて」

「まぁ、うん。そうだな」


 日並の言いたいこともわからなくはない。

 恋愛なんかしたことないのに恋愛小説を書き始めて、俺は恋心がどういうものかまるでわからず、頭を悩ませながら日並に聞いたりした。

 実際、淀んだような夏しか書けていないのだから、俺が爽やかな夏を書けないのはそんな夏を体験したことがないからだろ、と言われたら反論できないのも確かだ。

 眉唾ではあるが一理ある、と俺も思う。


 日並は「話戻すけど」と言って咳払いをした。


「楽しい夏を経験すれば、書けるようになるんじゃないかと、私は思うんだ」

「だから、懇親会?」

「うん。あとブルーハワイもね」


 そうだろうか、と訝しむ。

 だけど、日並が俺にとても気を遣ってくれているのは十分伝わってきた。


 断る理由もないし、ここでノーと言うのは無粋だろう。

 それに日並からの誘いが、純粋に嬉しく思えた。

 俺は「わかった」と頷いた。


「辰也とか──君の妹さん、小百合ちゃんだっけ? も呼んでさ、パーッとやろうよ」

「辰也と……小百合? なんで?」

「人数多い方がいいじゃん」


 まぁ、そうか、と納得した。


「小百合はこっちで連絡してみるけど……辰也は? あいつ筋トレ部あるだろ」

「昨日聞いたらしばらくはないって言ってた」

「あぁ、そう。じゃあ後は小百合か。連絡入れてみる」

「お願いね! 前々からちょっと会ってみたいって思ってたんだ」


 はしゃぐ日並を後目にスマホを開いて小百合に連絡を入れておく。

 しかし部長と俺と日並ならまだしも、辰也と小百合を含めた懇親会ってどうなんだろうか。

 辰也は部長のことを少しだけ知ってるとはいえ面識がないし、小百合に至っては俺が一方的に文芸部のことを話しているだけで全員初対面だ。

 辰也のことも少しは話したが本当に少しだけ。


 友達の友達と遊ぶ時のような、微妙な雰囲気にならないか少しだけ不安だった。


 特に小百合は人見知りも激しい。

 大丈夫だろうか。

 そう思いつつも、俺は送信ボタンを押した。


「じゃあ、私は戻るから。小百合ちゃんから連絡あったらお願いね」


 顔を上げると、日並はブルーハワイのボトルと炭酸水とコップ二つを無理矢理ポーチに詰め込みながら、それを肩に掛けて背を向けていた。


「わかった。詳細は後でだな」

「うん。じゃあまた放課後に」


 彼女はフリフリと手を振って、軽やかに屋上を去っていった。


 手に持っていたスマホで時間を確認すると、いつの間にか四限が終わりそうな時間だった。

 日並とは随分と話込んでいたらしい。

 教室と保健室に居た時と時間の流れが全然違くて、不思議に思った。

 彼女のおかげだろうか。

 そうだったのなら、感謝しかない。


 俺はもう一度、空を見上げた。

 空には入道雲の周りに小さい雲が四つ、寄り添うように漂っていた。


 見上げた空は、やはり鮮やかには映らない。

 だけどなんとなく。

 午後は頑張れそうだな、と思うことができた。

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