第48話 散らかした部屋は放置

 そういえば俺は昔小説を書いてたな、と思い出したのは、両親と昔の記憶を取り戻してから三日後の八月三日のことだった。


 小説を書き始めた七月の始めに、小百合からそんな風な話をしていたのをふと思い出したのだ。

「あれなんだったの?」と小百合に聞いてみると「おとうさんとおかあさんによく見せてたんだよ」といった答えが返ってきた。


 なるほど。

 両親に関係する事柄だからか、記憶から一緒に消えてしまっていたらしい。

 通りで記憶になかったわけだ。


 改めて、記憶を整理する。

 そうだ。

 俺は小学生の頃、小説が好きだった両親のために小説─小説とは言えるか怪しいくらいには陳腐なもの─を書いてよく見せてたのだ。

 原稿用紙に汚い字で、読んだ小説の設定を真似したものを書いたり、本当にファンシーなものを書いたりした。

 懐かしいものだ。


 そんな記憶を思い出すと、どうしてか自分の書いた小説を見てみたくなってきた。

 確か記憶では引っ越し時も捨ててはおらず、どこかに保管したような気がするのだがイマイチ思い出せない。

 ゴソゴソと自室で探したがまるで見つからず、一息つこうと休憩をしていると、日並から電話がかかってきた。


「もしもし」

「もしもし? 今大丈夫?」

「あぁ、うん」

「ん? もしかしてなんかしてた?」

「いや、あー……、小学生の頃、小説ってほど立派なもんじゃないけど、まぁとにかく小説書いてたんだよ。なんか急に見たくなっちゃって、残ってないかなって探してた」

「へー! そうだったんだ! じゃあもしかして文芸部入ったのって!」

「さてな、どうなんだろう」


 俺が文芸部に入ったのは結局のところ、活動時間に都合がつくから、という点に収束される。


 当時はそもそも部活なんか入る気がなかったし、小百合が夕飯作りを手伝ってくれたとはいえ、相変わらず洗濯掃除食器洗い風呂掃除アイロンかけなどの家事はいつも通りやらなくてはいけなかった。


 でも確かに言われてみれば、昔小説を書いていたからという面もあるのだろう。


 小説は嫌いじゃなかった。

 いや、好きだった。

 でも「なぜ小説が好きなのか?」と聞かれるとなんとも答えにくかった。

 過去の俺は「長い夏を短くしてくれるから」と言うふざけた理由を上げていたが、今思えばその理由は、両親がよく小説を読んでいて、俺も真似して読むようになって、書いていたのもあったのだろう。


「それで? どうしたんだ?」

「あ、うん。ちょっと話したいことあるんだけど、今から会えない? 辰也も一緒になんだけど」

「辰也も? まぁ、全然大丈夫だけど……」

「じゃあ急で悪いんだけど、懇親会やったファーストフード店に私達居るから!」


 そうしてピッと電話が切れる。

 随分と急だけど話ってなんだろう、と思いつつ、俺は散らかった自室をそのままに家を出た。


 外に出ると、相変わらずの蒸した空気と容赦ない日差しが襲ってくる。

 手をかざして、目を細めながら空を見上げる。


 縮れた雲に、家々に覆い被さるように広がる青。

 当たり前だが空は青かった。


 だけど、この当たり前を再び見ることができるようになるまで、随分とかかってしまったように思える。

 そして俺は、随分とその当たり前を通り過ぎるかのように見過ごしてしまっていた。


 鮮やかなのは、なにも空だけではないのだ。

 コンクリートとコンクリートの間に生える雑草も、そびえる街路樹も、色とりどりで様々な形をしている家々も、花壇に植えられた花々も。

 よく見てみれば、どれもが鮮やかに輝いている。


「遠回りをしすぎだな」と俺は口ずさんだ。


 今度は遠回りをしないように、俺は日並と辰也の元へと自転車を急がせた。


「よっ」

「やっほ」

「おう」


 店内に入ると、日並が手を振り、辰也がニヤけた笑みを浮かべながら俺を迎えてくれた。

 改めて見る良き友人達の姿に口元が緩むのを感じながら、席へと着いた。


「それで早速なんだけど! あのさ、旅行行かない?」

「本当に早速だな」


 勢いよく切り出した日並に俺は思わず笑ってしまった。


「日並、お前はいつもいきなり過ぎるんだよ。順序を踏め順序を」

「む、そうだけど……直接聞いた方がいいじゃん!」

「ったく、こいつは……」


 辰也は呆れながら頭を抱えた。

 一つため息をついて、「ちゃんと説明をするぞ」と俺に顔を向けた。


「俺は毎年婆ちゃん家にお盆前に行くんだが、婆ちゃんが一人で来られるのも寂しいから誰か友達でもいいから連れてこいって言われて」

「へぇ、親は? 一緒に行かないのか?」

「なんかこの時期繁忙期らしくてさ。中学くらいから俺一人で行ってたんだ」

「なるほど、それで旅行か」


 辰也は大きく頷いた。


「小学校の頃は俺の親と一緒に日並も連れて行ったりしてたんだけど、それのせいなのか俺一人だとついに寂しさが我慢できなくなったらしい」

「だから──君も誘って一緒に旅行いかない? って言ったの」

「大体わかった」


 旅行。

 断る理由はなかった。

 なにか予定がある訳でもないし、きっといい経験になる。

 と言うか、夏休みに田舎へ行くというシチュエーションは、俺が小説で書いていた内容と全く同じだ。

 実際に体験すれば、田舎への解像度が上がって書きやすくなるだろう。

 なおさら断る理由はなかった。


 少し不安な点があるとすると、行くとなれば小百合も連れて行かなければならないことか。

 多分大丈夫だとは思うが、小百合の参加も一応聞いてみることにした。


「小百合も連れて行っていいか?」

「小百合ちゃん? うん、もちろん。いいよね辰也」


 即答だった。

 だが答えたのは辰也ではなく日並だった。

 しかも『もちろん』と言った後に辰也に聞く始末。

 辰也はバツが悪そうに笑っていた。


「全然大丈夫だけど……お前が答えんなよ、日並」

「だってお婆ちゃん家おっきかった記憶あるし」


 辰也はこりゃ言っても無駄だ、と言いたげに肩を竦めた。


「それで、いつ行くんだ? お盆前って言ってたけど」

「八月七日から十日までの三泊四日だ」

「ちゃんと文芸部の部活日とも被ってないよ」

「そうか、わかった。俺は大丈夫だ。小百合も聞いておくが多分大丈夫だろう」

「やった! 今年は大勢だね」

「まったく……婆ちゃんが喜ぶなこりゃ」


 やれやれ、と言った風に笑みを浮かべながらため息をつく辰也。

 ニコニコと旅行を心の底から楽しみにしていそうにしている日並。


 彼らを見て改めて思う。

 俺は本当に、良い友人に巡り会えたものだ。

 それなりの不幸にも見舞われたが、それ以上に幸運なことが身近にあったのだ。


「日並、辰也。誘ってくれてありがとう。嬉しいよ」


 心からの思いを告げると、二人は照れ臭そうに目を逸らした。


「なんだよ、急に畏まって」

「何ってそのままの意味だよ」

「もー、ビックリしたよ」


 俺もどうしてか頬が熱くなった。

 やっぱり恥ずかしいな、と笑って誤魔化した。



「そう言えばこの前、お前が日並と痴話喧嘩起こしてケツ追い回しながら校内全力疾走してたって噂を聞いたんだけど……あれマジ?」

「えっ」

「えっ」


 辰也はそう言うとスマホの画面を見せてきた。

 俺と日並は驚きでまともに反応できなかった。


「……それ、どこから?」

「クラスの連中からだけど……」

「もしかして皆知ってる?」

「多分」


 俺は思わず手で顔を覆った。

 夏休み明けのクラスがとても怖く思えた。


「えっガチなの?」

「痴話喧嘩ではないけど行為そのものは間違ってないから否定がしづらい……!」

「怖いなー……私のクラスにも伝わってそうだなー……ハハ」

「えぇ……お前ら何してんだよ……」


 本当にその通りである。

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