第22話 私が悪いんだ
保健室は校舎の一階にある。
しっかりとした温度管理がされており、プライバシー保護の観点からか窓にはカーテンが掛けられていて、外から見られないようになっている。
勿論、内側からも外は見えない。
六つほどのベッドと、東雲先生が使う机と、椅子がいくつか。
白い蛍光灯がちょうど照らす下で、俺は口を開いた。
「文芸部は……前は結構部員が居たんですね」
「うん」
俺の言葉に部長は感慨深そうに頷いた。
「でも、多分、部誌を作る時のトラブルで、部長以外やめてしまった」
「うん、そうだね。合ってるよ。後は多分大体わかってると思う」
そして部長は、目伏せて語った。
その最初の言葉は、奇しくも彼女が書いた小説の最初の文と同じだった。
「───私が悪いんだ」
文芸部では、例年通り部誌を書くことになった。
私は中学生の頃から小説を読むのや書くのが好きだったから、楽しみだった。
夢中で書いた。
この前の君みたいに途中までだったけど、当時の部長に見せた時は期待の新人だって絶賛されたよ。
でもね。
文芸部に入った同級生の一人は、はっきり言うとやる気がなかった。
ただ楽だからと部活に入った彼女が提出した小説は、適当なものだったんだ。
当時の部長はそれに怒ってしまった。
「佐々原を見ろ、佐々原を見習え、適当なものを出すな」
まぁ多分、あの時点で文芸部は拗れてしまったんだろうね。
やる気がある派とない派で分かれてしまったんだ。
私もちょっと、天狗になってたと思う。
彼女に書き方を教えてあげる、と言ったら、彼女は軽蔑の顔を隠そうともしないで私に向けて、もう二度と文芸部に来ることはなかった。
同級生のもう一人は、反対にやる気があった。
私の小説を見て、目を輝かせていた。
書き方を教えてと懇願されて、もう一人のこともあったから恐る恐る教えた。
だけど彼女はモリモリと成長していった。
私の教えたことをどんどん吸収するし、私には書けないような文も書けるようになっていった。
嬉しかった。
だけどね。
彼女はある地点で筆を握るのをやめてしまったんだ。
「文乃ちゃんに届かない。私にはできない。あなたのような小説が書けない」
泣きながらそう言った彼女の声は、今でも夢に見るよ。
彼女は多分、挫折してしまったんだと思う。
自分の実力と理想に挟まれて、自分を壊してしまった。
勿論フォローはしたつもりだけど、私がやったら逆効果って気が付くのにだいぶかかってしまった。
もう遅いけどね。
それからの文芸部はもうぐちゃぐちゃだった。
当時の二年生は皆やる気ない派だったから、部誌を出すまでに嫌がらせがかなりあったよ。 文化祭が終わると満足したのか二年生は全員退部。
残ったのは三年生と私だけだった。
そういえば退部した二年生の一人が、嫌がらせに手元に残しておく用の部誌に牛乳をかけてきたりもしたっけな。
笑っちゃうよね。
わざわざ臭いが残る牛乳をまき散らすんだから。
部誌と一緒にソファーも駄目になったのはあの時のことが原因だ。
まぁ、よっぽど文芸部が憎かったんだろうね、彼は。
その後は三年生が卒業して文芸部には私だけが一人残った。
ヒナちゃんが入部してくれたからよかったけど、そうじゃなかったら私はきっと塞ぎ込んで筆を折っていたと思う。
そしてヒナちゃんが入部して、月日が流れて、また部誌を書くことになった。
文化祭に合わせて部誌を書くのは二十年も続いた文芸部の伝統だったから、部員が二人だけだったけれども、その伝統を途絶えさせたくはなかった。
そこでね、ヒナちゃんに小説の書き方を教えて欲しいって言われた時。
私、怖かったんだ。
また、私が原因で去られてしまうんじゃないかって。
教えられなかった。
あの時のヒナちゃんには無理させちゃって、もう、板挟みだったよ。
あとは、君の時もそうだね。
もうね、小説の書き方を教えるのがトラウマだったんだ。
「だから私は、君の小説の感想とアドバイスを口にしてしまった時、部室を出ていってしまった時。同じ過ちを繰り返したと思って落ち込んだ。ただそれだけのことだよ」
部長はゆっくりと息を吐いてから、俺を見て微笑んだ。
どうして部長は、そんな表情をするのだろうか。
無理をしているように見えて仕方なかった。
しかし、実際に聞くとキッツイ過去だなぁ、と目元に手を当てる。
いや、でも、本当に辛いのは部長自身だ。
俺はすぐに手を降ろした。
「部長は悪くないですよ」
そして本心を口にした。
実際の話を聞いてみたが、部長がしたことはただ小説を書いて、書き方を教えてあげた。
ただそれだけだ。
それだけなのに部長になんの罪があると言うんだ。
それにこの前のことだって、全ての原因、部長の勘違いの原因は俺が勝手に部室を出たことにある。
部長はなにも悪くないと、俺は繰り返した。
「そう言ってくれると……嬉しいんだけどね。こればっかりはどうしようもない」
部長は頬を綻ばせたが、その表情は悲しそうなものだった。
「でもホントに、今回のことは俺が悪いです。……言い訳に聞こえるかもしれないですけど、俺が部室を出たのが自分でもなんでなのかわかんないんです」
「……」
俺は頭を下げた。
部長はしばらく黙ったままだった。
「本当に、わからない? 本当に私が悪くないって思ってる?」
部長の言葉に俺は思わず「えっ」と顔を上げてしまった。
部長は少し首をかたむけて、左目を閉じて、冗談交じりな様子で俺に向けて指差した。
「だって君、今小説書く気なくなっちゃってるでしょ?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の心臓は大きく跳ねた。
冷や汗がドッと濁流のように肌から吹き出てくるのを感じた。
「図星だね」
部長はニヤリと、悪そうな笑みを浮かべて俺を上目遣いで覗いてきた。
初めてみる部長の様子に、俺は動揺して狼狽えた。
部長はどうやって小説を書く気がなくなっていることを見抜いたんだ?
いや、違う、今はそこじゃない。
俺はそもそも本当にわからないんだ。
自分があの時部室を出た理由が。
部長が遠回しに言っているように、俺は部長の言葉にショックを受けたから部室を出たのだろうか?
いや、そんなことはあり得ない。
それじゃあ部長が悪いと認めてしまうことになる。
それはダメだ。
根拠はないが、ダメなんだ。
ならば、証明するしかない。
「部長」
俺は意を決して口を開いた。
部長は俺の顔を見て、少し驚いたような表情を見せた。
「俺は、小説を書く気がなくなったわけではありません。──月曜日までに、四日でアレを完成させます」
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