第72話 些細な部誌の感想
授業も全部終わって、一人で部室へと向かう。
今日は彼が日直で少し遅れるらしい。
いつもなら彼の教室前で合流して一緒に部室に行くんだけど、仕方ない。
文芸部の部室へと向かう途中、渡り廊下で、私はなんとなく窓から空を見上げた。
私が見る空は、やっぱり綺麗だ。
青々とした空は夏よりも青さを失っていて、雲が多く漂っている。
そんな秋空。
彼はよく、色んなところから空を眺めていた。
自分で気が付いていたのかはわからないけど、結構な頻度で眺めていた。
部室でも、窓から覗かせる空を寂しそうな表情で。
私が思うに、彼はきっと最初から綺麗な空を見たかったんだと思う。
くすんだような、黄ばんだ空しか見えない、と彼は言っていた。
それなのに何度も空を眺めていたのは、目の前の空が変わってほしかったからなんじゃないかって、思うときがある。
このありきたりな光景を、もしかしたら彼は羨ましがっていたのかもしれない。
「いらっしゃい」
「こんにちは、部長」
部室の扉を開けると、いつものように部長が出迎えてくれる。
部長のクラスはホームルームが終わるのが異常に早いのか、はたまた別の理由があるのか。
よくわからないけど、部長はいつも当然のように大きな机の席に座っている。
「夏輝君、今日は日直みたいです」
「うん、わかった」
あれ、そういえば部長が日直になった時ってどうしてるんだろう。
私の記憶の限り、部長より先に私が来た時の記憶は一日もない。
まいどのこと不思議な人だった。
「あぁ、そうだ。これ」
私が席に着こうと荷物を降ろすと、部長が座ったまま何かを握ってこちらに手を伸ばした。
「部誌。私たちの分」
受け取ってみるとそれは、私たちが作った部誌「文芸部 令和一年度発行『夏空』」だった。
「全部もってかれちゃいましたもんね」
文化祭のことを思い出すと、自然に笑みがこぼれる。
部誌「夏空」の制作でまず初めに困ったのは、彼の小説が締め切り当日にダメになってしまったことだった。
夏休み最終日、私の小説が完成するのに時間がかかって下校時間ギリギリになってしまって、急いで片付けをしていたら彼は腕を机にぶつけてブルーハワイのボトルを倒してしまった。
その結果、彼の小説は真っ青。顔も真っ青。
掃除や漂白も虚しく、結局彼は部誌用の小説を改めて書くハメになってしまった(別に書いていた小説は意地でも使いたくなかったらしい)。
彼は「まぁ、これはこれでいいんだよ」とよくわからないことを言っていたけど、今でも悪いことしたなぁ、と私は思う。
だけど彼は、一日で新たに小説を書いてしまった。
彼は「青くなったとは言え読めはするから、書き写しつつ修正するだけだったから楽だった」と言っていたけど、目元には隠しきれない程の隈が浮かんでいた。
無理に強がる彼はちょっとかわいかった。
それからはまぁ、ひとまず滞りなく部誌制作は進んだ。
内容は小説が三つだけだし、部長が誰の小説を乗せるか順番を決めて、私と彼は表紙とタイトルをどうするかを考えるだけで、執筆よりも何倍も楽だった。
私は文化祭当日どころか、今も部長と彼がどんな小説を書いたのか知らない。
自分の執筆で大変だったから部長の小説は読む暇なんてなかったし、彼が新たに書いた小説も結構内容が変わっているらしく、どんな感じになったのか私は知らなかった。
だけどそれだと部誌のタイトルを決めるに困った。
なので、「大雑把でいいから内容教えて」と私が言うと、部長も彼も口を揃えて「夏」と言った。
部誌タイトルが「夏空」になるのに時間は掛からなかった。
そして次に困ったのは文化祭当日だ。
結論から言うと部誌『夏空』は好評だった。
好評過ぎて、用意していた二十部全てが持っていかれてしまったほどだ。
原因は私と彼のクラスの人達だった。
彼の余りの変わりようと、私のラブラブっぷり(友人談)に反応してなのか、部誌の存在が大きく知れ渡ってしまった。
好奇心なのか冷やかしなのかはわからないけど、結構な人数が文芸部に訪れて、あっという間に在庫がなくなってしまった。
一応見本用の一冊は残っていたけど、私たち個人で所有する分がなくて、複製することにした。
それが今私の手の中にある、部誌『夏空』だった。
ちなみに今年の部誌の感想は結構マチマチだった。
つまんなかったけど一つだけ面白かった、とか(多分面白かったのは部長の小説)。
よかったよ、なるほどね、とか。
「あれは奈々果の心象風景だね? つまりあの男の子は青原くんで、主人公は奈々果なの、それでうんたらかんたら───」とか(全然違う)。
当たり障りのない感想ばかりだったけれど、ちゃんと小説を見てくれて感想を貰えるのは、結構嬉しかった。
それがどんな感想であっても。
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