第57話 救済
「ところで、僕を助けてくれたことには感謝はしてるけど……
ぐい、と抱きついていた美樹を庇うようにして、優斗は挑発するような笑みを浮かべて哉斗へと向き直った。
「あぁ、やっぱり君みたいな人でもそこは気になるんだね」
「この状況で気にならないわけが無いよね〜。なんか、大物っぽい雰囲気なのに、ボクのこと助けたり……ちょっと目的が分からないんだよね〜」
ナイフで刺した黒服よりも偉い立場であることは明白で、どうにも腑に落ちないと優斗は首を横に傾けた。
「目的、ね……。そんなものはないんだけれど、そう言っても信じては貰えなさそうだね」
「……まぁ、そうだね〜」
少し悩むような素振りを見せて、哉斗は警戒して優斗に身を寄せている美樹の方をちらりと
「……僕が君達を助けたのは、君が泣いていたから」
「わたし、ですか……?」
急に自信に向けられた視線とその理由に、美樹は意外そうに自分を指差すときょとんとした表情で訊ねる。
「……僕は、もう人の悲しむ姿は見たくないんだ」
そう言った哉斗の表情は、何処か切なげで、それが本心であることが伺えた。
「嘘をついてるようには見えないけど……。それは個人の意見なの? それとも……黒服達の総意なわけ?」
「僕個人の意見であって、僕達の総意、かな。だって、僕が彼らのリーダーだから」
その微笑みからは、哉斗が何を考えているのか分からなかった。
「悲しむところを見たくないなんて言っているのに、なんで記憶を消したりなんて、そんな酷いことが出来るんですかっ! それが、どれだけ悲しいことなのか……貴方はわかっていないんですか……?」
ぷるぷると握りしめた拳を震わせて、美樹は哉斗へと食ってかかった。
今になって、『死ぬこと』と『記憶を失うこと』。二つの意味で、優斗を失いかけた恐怖を思い出したのか、美樹の瞳が潤んでいる。
「酷いこと、ね……」
「貴方達は、何がしたいんですか……」
含みのある笑みに、美樹は仄かに感じる苛立ちをあらわにした。
「さっきも言った通り、僕はただ……人々に悲しい想いをして欲しくないだけだよ」
哉斗はどっかりと椅子へと腰掛けると、両手を膝について、同じ目線で語り始めた。
「例えば……さっきの君だって、あのまま彼が死んでしまっていたら、凄く辛い想いをしただろう? もしも、彼が死んでいたら。その記憶を消してしまった方が、幸せなままでいられるとは思わないかい?」
ついさっき起きたばかりの出来事を思い出して、ぎゅっと自身の身体を抱きしめながら、何も答えることの出来ない美樹へと、哉斗は畳み掛けるように話を続ける。
「君が、それでも彼の記憶を失いたくないと思っているのなら、それは実際に彼が死ななかったから、そう思えているだけなんだ」
「……それは」
「実際に大切な人を失った記憶を維持していたら……人はまともではいられないよ。きっと、心が壊れてしまうだろうからね……」
重く、実感が籠っている言葉に、美樹と優斗は何も答えられずに息を飲んだ。
「……それは、実体験の話をしているの?」
恐る恐る口を開いた優斗の言葉を、どうだろうね、と軽くかわすと哉斗は変わらない表情で、静かに目を伏せた。
「ここで、この問いの答えを出さなくてもいい。だけど、これが僕の行動理念だ。こんなこと、普段は話さないんだけど……やっぱり歳なのかな。僕の気持ちを君達には知っておいて貰いたかった」
哉斗は自分でも意外だといった様子で、自嘲気味に微笑んだ。
「君の身体のことは責任を持って調整する。数日はかかるから、その間はここで養生するといい」
「ここまで入り込んだボク達のこと、消さなくてもいいの?」
「君を刺してしまった彼は新人でね。失敗したら僕に何かをされるのかもと思って、あんな事をしたようだけど……あんな方法は二度と使いたくはないし、仲間にさせたくもないんだ」
「……手段は選ばないのかと思ってた」
「言っただろう? 僕はただ、この世界から悲しい想いを無くしたいだけなんだ」
明確な悪人とも言えない哉斗を、二人は複雑な表情で見つめることしか出来なかった。
哉斗の言う通り、もしもを想像すれば、その方法が間違っているとは言いきれなかった。
「言い忘れていたけど、電波を遮断している関係で、
「……そうだ、恭哉くん!」
唐突に哉斗から出された友人の名前に、優斗が勢いよく反応する。
「ボク達の名前を知っていたのも、恭哉くんにそっくりなのも、流石に偶然なんかじゃないんでしょ?」
「まぁ、彼は僕の息子だからね」
「息子!?」
さらりと告げられた言葉に、思わず大きな声を上げてしまう。
「でも、恭哉くんはそんなこと何も言ってなかったんだけど……」
「それはそうだろうね。僕は彼と過ごしたことは一度も無いし、会ったことも無いから、向こうは僕の存在すら知らないだろうしね」
なんてことないように軽く笑う哉斗を、ぽかんと見つめていると、哉斗は少しだけ寂しそうな表情でそのまま話を続けた。
「恭哉にも、息子の周りにいる君達にも関わらない。そして、恭哉が僕に辿り着いても僕からは決して手を出さない。それが、桔梗と真司くんとの約束だからね」
聞き慣れない人名を、哉斗は愛おしそうに呼ぶと、寂しそうな表情で遠くを見つめていた。
「その約束って……」
哉斗について、他にも聞き出さなければ、と更に追求をしようとする優斗を遮るように、コンコンとノックをして入ってきた黒服が、ひそひそと哉斗へと耳打ちをした。
「……もう少し、君達の考えを聞いてみたかったけれど、そう遊んでもいられないみたいでね。ここは自由に使っていいから、三日後の検査で問題がなければ帰ってくれて構わないよ」
それだけ言い残すと、哉斗はゆったりとした動作で白衣をひるがえして、部屋の外へと出ていってしまった。
「……記憶が残っていたら、まともではいられない、ね」
「……わたし、少しだけあの人の言っていることを理解してしまいました。……優斗くんを失いかけたあの時、凄く……怖かったから」
「美樹ちゃん……」
「記憶の削除は、もしかしたら……遺された人への救済なのかもしれません……」
それは、この世界を肯定する言葉だった。
けれど、今の二人にはこの世界の法則を簡単に否定することは難しく、哉斗が口にした言葉の嫌な響きだけが、二人の脳裏へと焼きついていた。
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