第20話 歩幅を合わせて

 



「あっ、美樹ちゃ〜ん!」


 数メートル先を歩いていた美樹に気づくと、優斗はたたたっ、と走って駆け寄ると声をかけた。


「おはよ〜。今日、いい天気で良かったよね〜」


「お、おはようございます……。ゆう、とさん……」


 振り返って挨拶を返した美樹が、ぎこちなく優斗の名前を呼んだ。


「ふふっ。そんなに身構えなくても、とって食べたりなんてしないよ〜」


「……ごめんなさい。その、人見知りしてしまって……」


「謝らなくていいよ〜。美樹ちゃんが人付き合いが苦手だってこと、知ってるしね」


 そう言うと、安心させるように微笑むと、優斗は付け足した。


「それに、直接話す時に緊張しちゃって目を見れなくなっちゃうから、無視してるんじゃないかって勘違いされちゃうことがあるって、前に電話で言ってたでしょ〜」


「……それ、本当に初めて電話した時に話したこと……。覚えていてくれたんですか……?」


「うん、美樹ちゃんと話したことは、何年前のことでも覚えてるよ〜」


「……あ、ありがとうございます。……優斗さん」


 心なしか嬉しそうに微笑んだ美樹は、それを隠すように慌てて俯いた。


「ねぇねぇ。気になってたんだけど、電話の時みたいに、ゆうくんって呼ばないの〜?」


「そ、それは……面と向かうと緊張してしまって。それに、SNSでは表示されていた名前でしたから、言えてましたけど……。ゆうくんって呼ぶのは、恥ずか、しくて……」


「う〜ん。でも、ちょっと優斗さん、はボクも寂しいな〜。ねぇ、美樹ちゃん。ボクのこと、ゆうくんって呼んでよ」


 じっと見つめる優斗に、恥ずかしくて呼べないと、美樹はふるふると首を横に振った。


「じゃあ、ゆうくんじゃなくてもいいから、優斗くん、も無理?」


 俯いた美樹の顔を覗き込み、上目遣いでうるうるとお願いする優斗に、美樹は思わず、こくりと頷いた。


「やった〜! 本当に寂しかったんだよね〜。いつもなら、ゆうくんって呼んでくれるし、言葉遣いもたまに緩くなったりしてたのに〜って」


 心底嬉しそうに喜んでいる優斗に、水を指すことは出来ず、美樹は撤回しようとした言葉を飲み込んだ。


「美樹ちゃんって、学部はどこなの〜?」


「わたしは、文学部です」


「ふふっ、読書好きな美樹ちゃんのイメージにぴったりだね〜」


「そう、ですか……?」


「うんうん。文学部ってよくわからないけど、凄く本を読んでそうだもん。言葉の意味とか、勉強してそう〜。将来、図書館の司書さんになりたいって言ってたもんね〜」


「そんなことまで、覚えていてくれたんですね……。わたし、本が大好きだから……図書館で働くのが子供の頃からの夢なんです」


「ボクと一緒だね〜」


「優斗、くんと……?」


「うん。僕の将来の夢、覚えてる〜?」


「勿論、覚えてます! 人のいる風景を描く、画家になりたいって……」


「……覚えていてくれて、嬉しい」


 美樹も自分の夢を覚えていてくれた。

 それが相当嬉しかったのか、優斗はにっこりと微笑むと、普段のおっとりとした印象とは違った表情を見せた。


 優斗の真剣な眼差しに真っ直ぐと見つめられて、美樹の頬が紅く染まる。


「……覚えていますよ。優斗くんと話したことは、わたしも一言一句いちごんいっく覚えています……。大切な、たった一人のお友達……ですから」


「うん! ありがと〜。それを聞けてよかったよ。ボクだけの一方通行かと思っちゃった〜」


「あの……。優斗くんは美術学部、なんですよね?」


「そうだよ〜。ほら、このツナギを見てもわかる通り、油絵専攻! ボクも夢に向かって勉強中なんだ〜」


 そう言うと、優斗は絵の具の着いた服を見せびらかすように、くるりと一回転してみせた。


「ふふっ、首にも絵の具、ついてますよ」


 優斗の首の後ろについた絵の具を拭おうと、自分の頭のよりも高い位置にある優斗の首に手を伸ばして、ちょんちょんと服の袖でこする美樹に、優斗はくすぐったそうに肩を縮こまらせた。


「ふふふっ、くすぐったいよ〜。でも、美樹ちゃん、やっと笑ってくれたね」


「あっ、勝手に触っちゃって、ごめんなさい。わたし、つい……」


「ほら、すぐに謝らないの〜。ボクは嬉しいって言ったんだから。美樹ちゃんが笑ってくれるなら、今度は顔中に絵の具だらけにしてこようかな〜」


「ふふっ、なんですかそれ……。顔を洗うのが大変になっちゃいますよ」


 初対面のぎくしゃくとした雰囲気が、だんだんと和らいでいき、二人の間には穏やかな空気が流れていた。


「そうだ! 美樹ちゃんが研究室に辿り着いた時には、もう持ってなかったんだけど……。ボク、ちゃんとお茶碗とお箸を持って、突撃! 隣の研究室! ってやったんだよ〜」


「えっ……。本当に初対面でやったんですか?」


「うん。掴みはバッチリだったから、美樹ちゃんにも見せたかったな〜。そうだ、今日は研究室入る時に二人で一緒にやってみる〜?」


「わ、わたしはやめておきますね……。ふふっ、恭哉さん達もびっくりしちゃいますよ」



 最初と比べると、笑った顔を見せるようになった美樹を、優斗は優しい表情で見つめる。


 小柄な美樹の歩幅に合わせて、優斗はゆっくりと歩みを進めると、二人は同じ速さで、研究室へと向かっていった。



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