第70話 この恋を、愛に
(――あぁ、なんて……この人は、どこまで優しいんだろう)
性別の、恋愛対象の問題は、先送りにさえしていれば、二人はありふれた恋人らしい積み重ねを手に入れることが出来るはずだった。
他愛のない会話をして、今日みたいにデートをして、幸せな関係をきずけていただろう。
そして、キスを交わそうとした時に、違和感に気づくのだ。
黙っているだけで好きな相手と結ばれることが出来た。もしも違和感を感じたとしても、美樹が言い出さなければその関係を続けることも出来た。
それでも、このタイミングで突きつけてくれるのは、何処までも優斗の優しさだった。
「……わたし、は」
言葉を絞り出そうとしても、その先の言葉が出てこない。美樹もわかっているのだ。
自分の恋愛対象が、
(試してみなくちゃわからない……? これ以上、そんな酷いことは言えない……。だって、試した先が駄目だったら、心が両想いでも付き合えなかったら、優斗くんを傷つけてしまう……)
目の前に立っている優斗は、最早諦めたかのように寂しそうに微笑んでいる。
「……試してみる?」
少し投げやりに、それでも優しい声色で優斗が言った。
「……キス、出来るかどうか」
あれだけ初々しい反応をしていた美樹に、いきなり酷なことを聞いたか、と優斗が様子を伺うと予想に反して美樹は真っ直ぐ優斗のことを見つめていた。
「……優斗くんが、いいのなら」
「……え?」
断られるに決まっていると思っていたのか、優斗が少し狼狽える。
「……酷いこと、言わせてしまったって気づいています。でも、わたしは優斗くんが好きだから……チャンスをくれるのなら、それに縋りたいんです」
ぐっ、と立ち上がった美樹が、優斗の傍へと詰め寄った。さらりと流れる白い髪が、水族館の薄暗い光に照らされて美樹をより美しく引き立たせた。
「……美樹ちゃ、」
今はもう優斗よりも背が高くなってしまった美樹が、覆い被さるようにして、そっと優斗の唇に触れた。
驚きすぎて目をぱっちりと開いたままの優斗の瞳を、美樹は逃がさないようにしっかりと見つめていた。
「……優斗くん、驚かせてごめんなさい。でも、こうでもしないと優斗くんを安心させることは出来なかったから……」
美樹は力強い眼差しで優斗を見つめると、その頬を優しく撫でた。
「……美樹ちゃん、ボクをフってもいいんだよ……?」
「フリませんよ。……わたしと、付き合って下さい」
「気持ち、悪くなかったの……?」
「……優斗くんには、正直に伝えた方がきっと安心してもらえるはずだから言いますけど、案外思っていたよりも平気でした。ただ、貴方の顔を見てもまだ馴染みのない顔だから、誰とキスをしているんだろうって思いました」
正直に告げられる内容に、優斗は不思議そうに首を傾げる。
「わたしはきっと、これからもわたしの中にある優斗くんの顔を想像してしまいます。……だけど、その姿はただの
へにゃ、と崩れた表情で、美樹が言う。
「もしかしたら、キスのその先で優斗くんを受け入れられないかもしれない。……でも、その先がない恋愛関係でもいいんじゃないですか? わたしは、優斗くんの傍にいたいんです」
それは、さっきまで美樹に委ねられていた選択権が、優斗へと移る瞬間だった。
プラトニックな恋愛関係。
それは性別も見た目にも拘らない、人と違う価値観を持つ優斗にとって、魅力的な選択肢だった。
「……考えていたんだ。男女の恋愛で段階を踏んでいくこと、それを今の美樹ちゃんが受け入れられるかわからないこと。……だけど、そうか。ボクらがよければ、そういう関係があってもいいんだ」
「ずるくて、ごめんなさい。……だけど、ずるくてもわたしは優斗くんを独り占めしたいんです」
「うん。ボクも、美樹ちゃんのことを独り占めしたい。美樹ちゃんの傍にいたい。……思考が固まっていたのはボクの方だったのか……」
優斗が明るい表情で、美樹の手を取った。
「美樹ちゃん! ……ボクと付き合ってくれますか?」
「わたしの方こそ、宜しく、お願いします……」
この姿になる前だったなら、たったそれだけの話だった。運命のいたずらで難しく絡まってしまった糸が、するすると解けていく。
見つめ合う二人の表情は穏やかで、まるで永い時を過ごした老夫婦のようにも見える。
それだけの決意を固めたのだろう。
「……もう一度、キス、してもいいですか? 今度は確かめる為じゃなくて、その……気持ちを伝える為に」
美樹が少し恥ずかしそうに顔を赤らめて、優斗の服の袖を掴んだ。
「え? それは、大丈夫なの……?」
「ふふっ、大丈夫ですよ。わたしが好きなのは、優斗くんなんですから」
「そ、そっか……」
「あ、でも。優斗くんの姿が思い浮かんでしまっても、許してくださいね……?」
「許すもなにも……この姿は借り物なんだもん。ボクとキスをする時、美樹ちゃんが元のボクを見ていてくれるなんて、こんなに嬉しいことはないよ」
そう言うと、二人は顔を見合せてくすくすと笑い合った。
こつん、とおでこがくっついて、二人の顔が自然と近づいていく。
「美樹ちゃん、目をつぶって……」
「……はい」
「……ありがとう。美樹ちゃんを好きになって、本当によかった」
「……わたしもです」
二人を祝福するように、海月の水槽が淡く桃色に色を変えていく。
ふわふわと揺れる海月達が、一斉に光を浴びる。
「……なんだか、結婚式みたいだね」
「そうですね。……それじゃあ、この海月さん達に誓いましょうか? この恋を愛に変えていけるように」
「いいね。誓いのキスを……」
ちらちらと通り過ぎる人の視線が、訝しげに二人の少女を見つめている。
その視線など気にする必要などないというように、二人は優しくキスを交わした。
触れるだけのキスはまるで永遠かのようで、海月達だけが二人の誓いを見守っていた。
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