第43話 臆病者だと叱ってくれ

 



 真人と莉奈の間に、長い沈黙が訪れる。


「なんか、さ。真人のお父さんって、物凄く重要なところまで知ってた、の?」


「……みたいだな」


「これ、本当にあたし達が聞いちゃってもいいのかな……」


「いいも悪いも、この世界の真相がこんな身近にあったんだ。聞くしかないだろ?」


 真人は伏し目がちに母親の自画像を見つめて言った。


「それに……。あいつも、もしかしたら、俺が勝手に薄情なやつだって決めつけて毛嫌いしてただけで、今の俺たち以上に、この世界の謎に踊らされてたのかもしれないしな」


「真人……」


 おもむろに扉が開くと、神妙な面持ちで真人の父親が立っていた。


「……聞いたのか」


 ちらり、と莉奈の手元のパソコンが見つめると、隠しファイルを開いているのを確認して、真人の父親、真司が呟いた。


「……あぁ。もう話してくれるよな。この写真のこと、母さんのこと、『KIKYOU』プログラムのことを」


 真剣に見つめる真人に、真司は小さくため息をつくと、煙草に火をつけて椅子へと座った。

 ふぅ、と吐いた息に混じって、白い煙がゆらゆらと漂った。


「わかっている。……桔梗さんの言っていた、この世界に疑問を持つ者。それがお前や、恭哉君だとは……。運命という不確かな存在を、信じてしまいそうになるな」


 煙草をくゆらせて、その指で真人を指さすと、少しだけ嬉しそうに、悲しそうに真司は笑った。


「桔梗さん、って今の女性……。恭哉の母親のことか? ……この世界をおかしくしている法則プログラムの名前と同じ、ってのも偶然じゃないのか」


 全ての情報が、恭哉の母親を中心に、繋がっていく。


「あぁ。……だが、お前の質問に答えてやるには、私の過去を話さなければいけないな。長く、救いのない話になってしまうが、冷静に聞け。そして、事実を知った上で覚悟を決めろ」


 真司の言葉に、真人はごくりと唾を飲んだ。

 父親の過去。それが、ハッピーエンドでないことは、わかりきっているのだから。


 真司は、酷く悲しそうな顔をして目を伏せると、自嘲気味に笑った。その表情を見るだけで、真人と莉奈は胸が締め付けられる想いがした。


「そして、事実を知った上で……。俺を、臆病者だと叱ってくれ」


 飄々と人を躱し、真っ直ぐに子供と向き合うことのない薄情な父親。心が無いような冷たい眼差しで、いつも堂々としている父親の見たことのない姿。

 いつになく小さく見える父親の姿を、真人はただ黙って見つめていた。


 それは、真人の父親に対するイメージとは、正反対の姿だった。

 もしかしたら、これが『真司しんじ』というの本当の姿なのではないか。自分は、父親としてではなく、一人の人間として、この男を見た事がなかったのかもしれないと真人は思った。


「この写真は見なかったのか」


 額から外された自画像と、それに張り付いている写真を手に取って、真司は言った。


「……それ、取ろうとしたら破けそうだったから。流石に破くわけにはいかないだろ」


「……ふっ、構わんさ」


「え……? おいっ、何やってんだよ!」


 真司は鼻で笑うと、写真が破けるのも構わずにビリビリと写真を剥がした。寧ろ、写真の妻の顔の部分や、張り付いている自画像が破けないように、写真を犠牲にしているようだった。


「写真なんて高価なもんを何やって……。それに、なんか凄く仲良さそうだし、大事な物なんだろ!?」


「大丈夫だ。欲しいところは残っている」


 慌てる真人をよそに、懐かしそうに写真を手のひらで撫でると、真司は優しげな表情で写真を見つめた。


「若い父さん……と、母さんと。恭哉の……母さん?」


 写真の中の三人は、とても仲が良さそうで、幸せそうな表情をしていた。

 そして、破けた部分には、もう一人入りそうなスペースがあって、服装からして恐らく男性が写っていたことがわかる。


 楽しそうだ。

 けれど、真人はその写真のどこかに違和感を覚えた。


(なんで、恭哉の母さんだけ、ずっと同じ顔なんだろう……?)


 真人の父親は明らかに若いというのに、恭哉の母親だけが、恭哉の家にあった写真の姿と寸分違わず同じ姿をしていた。


「やっぱり、父さんは恭哉の母さんと親しかったんだな」


「あぁ。強くて、優しくて、いい仲間だったよ。……桔梗さんはね」


『KIKYOU』

 それはきっと、このおかしな世界の始まりの人。


 これから聞かされるであろう父親達の過去に、向き合う覚悟を決めて、真人と莉奈は話してくれ、と促した。


「……では、臆病者が愛する人を二度も失ってしまった、長くて悲しい昔話をしようか」


 ――――プルルルル。


 真司が話し始めようとした、その時。

 スタパットの着信音が、しんと静まり返っていた部屋にけたたましい音で鳴り響いた。


「恭哉?」


 恭哉からの着信に、眉をひそめると、父親に出ろと促されて通話ボタンを押した。


「もしもし。どうした? 集合は夕方のはずだろ?」


「今、大丈夫かい?」


「あぁ、問題ない」


「僕の家を姫花は知らないから、僕らは研究室で待ち合わせをすることにしたんだけど……。さっき、なんだか様子がおかしい教授とすれ違ったんだ」


「……教授と?」


「うん。それだけなら、僕らも気にはしなかったのだけれど……。変なメモを押し付けられて、逃げろ、と言われたんだ。なんだか、嫌な予感がする」


 電話越しに、恭哉の緊迫した空気が伝わってくる。


「僕達は教授に言われた通りに一旦研究室を離れるよ。真人達も一度こちらに向かって来れるかい? 研究室には近寄らないようにして、大学の近くで落ち合おう」


「わかった。すぐに行くから、用心しろ」


「また、何かあったら連絡するね」


 通話を切ると、何から説明しようかと頭を悩ませる真人に、真司が言った。


「急いでいるんだろう。さっさと恭哉くんのところへ行け」


「あ、あぁ……」


「今日は家に帰ってきたら、食事に顔を出せ。私の話はそこで話そう」


「わかった」


 テキパキと指示を出されたことで、落ち着きを取り戻した真人が莉奈の手を引いた。


「莉奈、詳しいことは恭哉達のところに向かいながら話すから。急ぐぞ」


 真人の雰囲気から、何かが起こっていることだけは察すると、莉奈はこくこくと頷いて鞄を持った。

 慌てて出て行こうとする二人の背中に向かって、真司が告げる。


「二人とも、危ない真似は絶対にするな。……夕飯までに、早く帰ってこい」


 仏頂面でいつもと変わらないぶっきらぼうな物言いだったが、今の二人は父親のその言葉から、確かに温度を感じ取っていた。


 バタン、と閉まる扉を暫く見つめながら、ふぅと白い煙を吐き出すと、真司は吸っていた煙草を灰皿へと押し付けて、そっと火を消した。


「……俺は、いつも誰かの背中を見送ってばかりだな」


 真司の独り言が、虚しく部屋に響いた。


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