if もしもの世界

 



「恭哉っ! 姫花が起きたよ!」


 莉奈の大きな声で、研究室にいた僕達は一斉に振り向いた。


「……本当、に?」


 僕は思わず手に持っていたコーヒーカップを落としそうになった。


 あの崩落事件から数週間、世界は大きく姿を変えていった。


 死んだ人の記憶を忘れることがなくなって、今まで記憶を管理されていたことが知らされると、人々からは様々な声が上がった。


 勝手に記憶を削除されていたことに対して怒りを覚える人、初めて知る『死』に怯える人、大切な人の『死』を忘れることが出来ずに後を追ってしまう人。


 母さん達が恐れていた事態になるのを防ぐ為に、僕は『KIKYOU』を使った、大切な人の『死』を忘れる為の忘却医療を考案した。


『KIKYOU』の管理を任された僕は、真人達四人と共にプロジェクトを立ち上げた。

 真人の父さんに支援をして貰って、大人を巻き込んで、この世界を変えていく。


 僕達五人は、慣れ親しんだ研究室で日々の調整に追われているところだった。


「早く早く! 姫花が待ってるよ!」


 目にいっぱいの涙を溜めて、莉奈が僕の背中をぐいぐいと押した。


 急いで病院まで移動する間、誰一人として口を開かなかった。

 姫花との再会を果たすまでは、まだ信じられなかった。


 姫花が眠っていた病室の前につくと、僕は勢いよくドアを開けた。


「……恭哉、くん」


 ベットに腰掛けていた少女が、僕の名前を呟いた。


 見た目は全然違うのに、なぜか目覚めたこの子が姫花なんだというとがわかった。


「……姫花……!」


 駆け寄った僕が姫花を抱きしめる。

 幼い少女の身体はあまりにも小さくて、押し潰さないようにと優しく抱きしめた。


「……よかった」


「……待たせたのは、私のほうだったね」


 そう言って、姫花が困ったような表情で微笑んだ。


「待つよ。君が目覚めるまで……いつまでだって、僕は待つよ」


「うん。……ありがとう」


「ねぇ、姫花。君が目が覚めたら……伝えたいことがあったんだ」


 人はいつ、死んでしまうかわからない。

 大切な気持ちは、伝えられる時に伝えないと後悔する。それを身に持って思い知った僕は、すぐにでも姫花に伝えたかった。


「…………君が好きだよ。僕は、君に恋をしているんだ」


 姫花の瞳が潤む。真っ白な頬が林檎のように赤らんでいく。


「……私も、私も伝えたかったの。恭哉くんが、好き。こんな私でも、一緒にいて、くれますか……?」


「……勿論さ」


 そう言うと、僕は姫花のおでこにそっと口づけをした。


「随分幼くなってしまったけれど、君が大人の姿になるまで、僕はずっと待つよ。だから、一緒にいよう」


 姫花は安心したように、こくんと頷いて、甘えるように僕に寄り添った。


 違う身体になったこと、幼い少女の姿になってしまったこと、この世界がどんな世界に変わったのか、目が覚めたばかりの姫花は不安でいっぱいだったんだろう。



「あー……、こほん」



 しまった、すっかり忘れていた。

 僕の後ろで、わざとらしく真人が咳払いするのが聞こえた。


 振り返ると、四人が少しだけ気まずそうに僕達から視線を逸らしていた。


「み、皆っ……!」


 姫花が大きな声を出して、慌てて僕から離れる。

 爆発してしまうんじゃないかというくらい、姫花の顔は真っ赤に染まっていた。


「……もうっ、あたし達だって姫花を心配して駆けつけたんだけどっ?」


「莉奈……!」


「……なんて、恭哉と姫花が再会出来て、本当によかった……」


「……うん。心配かけてごめんね、莉奈……っ!」


 姫花の元へと駆け寄った莉奈が、ぎゅううと力強く抱きしめた。

 二人の瞳から、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ出した。


「……おい、離してやれよ。姫花が潰れちゃうぞ」


 姫花から離れようとしない莉奈を引き剥がして、真人は軽く片手を上げて、さっぱりとした再会を果たす。


「よっ! 姫花が戻ってきてくれてよかったよ。こいつら、ずっとウェッティだったからな。研究室にきのこでも植えようかと思ったくらいだったよ」


「ふふっ、美味しいきのこが出来たら教えてね」


「おう、差し入れしてやるよ。……まぁ、とにかく、無事でよかったよ」


「うん、ありがとう。真人くん」


 楽しそうなやり取りをする二人を見て、優斗が真人に飛びついた。


「ねーぇ、ボク達も姫花ちゃんと話したいこと沢山あるんだけど!」


 そう言って、美樹に目配せをすると、優斗は病院まで持ってきていた大きな袋から、一枚の絵を取り出した。


「せーのっ!」


 優斗の呼びかけで、優斗と美樹が大きな絵を姫花に見えるように持ち上げた。


 そこには、元の姿の姫花が僕達と一緒に研究室で楽しそうに笑っている絵が描かれていた。


「じゃーーーん! 姫花ちゃんが目覚めたら、一番にこれを渡そうって思ってたんだ。写真みたいに高価なものではないけどさ、六人でいたあの光景を残しておきたくてボクが描いたんだ」


「わたしも、キャンバスを準備するのを手伝ったんです。六人で過ごした日々は、わたしにとって宝物でした」


「ようこそ、新しい世界へ! これからもっともっと、皆で思い出をつくっていこうね!」


「……おかえりなさい。姫花ちゃん」


 目の前いっぱいに広がった絵を見て、姫花はほろほろと涙を流した。


「……ただいま、優斗くん、美樹ちゃん。……本当に嬉しいっ……!」


 涙を溜めて、満面の笑みを浮かべる姫花は、まるで向日葵の花のようだった。


「僕もこんな姿だからさ、少しは姫花ちゃんの気持ちもわかると思うんだ。……元の姿に未練は無いって言っちゃうと嘘になるけど、この姿でもきっとこの世界は楽しいから、思い出したくなったらこの絵を見て元気を出して!」


 優斗の描いた絵には、優斗の元の姿も描かれていた。


「……うん。ありがとう」


 そう言うと、姫花は涙を拭って微笑んだ。



「それにしても……恭哉は大胆だったよなぁ」


 真人がにやにやと僕と姫花を見比べて言った。


「……皆のことを忘れていたのは僕が悪いけど、まだいじるには早いからな……」


 恨みがましい僕の視線を受け流して、なんてことないように真人が言った。


「あ、そうだ。そういえば、俺と莉奈も付き合うことになったから」


「「「「「えっ!?」」」」」


 五人の声が重なった。


「いや、なんで莉奈まで驚いているんだい?」


「えっ、あっ、いや……まさかこのタイミングで言うなんて思わなかったから……」


「……確かに、あっさりしすぎていて驚いてしまったよ。でも……おめでとう、莉奈」


 口々に莉奈におめでとうと言う僕達を見て、真人がしみじみと頷いていた。


「……いやぁ、本当に俺以外全員知ってたんだなぁ」


「……そりゃあ、わかるよね。真人、結構鈍感なんじゃないのかい?」

 

「あー……、それはちょっと否定出来ないわ」


 真人が困ったようにぽりぽりと頬をかいた。

 あんなにわかりやすい莉奈の好意に気がつかないなんて……。恋愛に疎い僕ですらすぐに気がついたっていうのに。


「……ボクの演技、冴えてたでしょ〜?」


 なんのことだろう。

 優斗がにやにやしながら真人のことをつついている。


「……ムカつくけど、お前のおかげだよ」


「でしょでしょ! 妹っていう呪縛さえ解ければ、あと一押しって感じがしてたんだよね〜。上手くいって、よかったね」


「……おう、ありがとよ。けど、本気でお前が泣かせたのかと思ったんだからな」


「うんうん。ボク、殴られなくてよかったよ〜」


 へらへらと笑っている優斗を、真人が拳で小突いていた。


「莉奈ちゃん、よかったですね……!」


「ありがとう、美樹。後悔しませんか? って聞いてくれた美樹のおかげだよ! 思ってた告白とは違ったけど、あたし、伝えられてよかった!」


「……はい! 怖くても伝えられた莉奈ちゃんはえらいです。よく、頑張りましたね」


 よしよしと莉奈の頭を撫でる美樹に、莉奈がすりすりと猫のようにすり寄っている姿が微笑ましい。


「莉奈! 本当におめでとう! やっと、叶ったんだね!」


「うん! ありがとう、姫花! あたし、諦めなくって本当によかった……」


「ね? 莉奈なら大丈夫って言ったでしょ?」


 なぜか自慢げな姫花に、莉奈は声を出して笑った。

 病室に楽しそうな笑い声が響いている。


「えー、なんだぁ。じゃあ、皆恋人になったってこと〜?」


「ゆ、優斗くん……っ」


 優斗の言葉に、美樹が慌てたように狼狽える。


「実はボクと美樹ちゃんも、晴れて恋人同士になりました〜。いぇーい」


 相変わらず自由な優斗が、両手でピースをしてみせてのんびりした口調で言った。


「そうだったの!?」


「実はそうなりました〜」


「よ、よかったぁぁ……。あたしの話、優斗には聞いてもらったのに、優斗のことあたし何にも出来ないって思って、もどかしくて……よかった……」


「莉奈ちゃん、泣かないでよ〜。またボクが真人くんに怒られちゃうよ?」


「しょーがないじゃん! 本当に嬉しいんだからぁ!」


 優斗が真人に気を遣いながら、莉奈の肩をとんとんと優しく叩いた。


「おめでとう。なんつーか、お前が周りのこと一番見てる奴だってのはわかってたから……美樹を好きなんだって莉奈から聞いて、少し心配してた」


「……真人くん」


「いつもへらへらしてるけどさ、常に俺達のことばっか気遣って、自分のことは後回しにして、そんな優斗だから……美樹が受け入れてくれて、本当に良かったと思ってるよ」


「ふふ、なんだか照れくさいな〜。真人くんもボクのこと、沢山見ていてくれてるんだね?」


「うるせぇ、茶化すな。……まぉ、なんつーか、幸せになれよ」


「……真人くん、お父さんみたいだね。……なんて、うん。ありがとう。ボクもボクの幸せをちゃんと見つけるよ」


 肩の重荷を預けるように、優斗が真人の背に寄りかかった。


「美樹ちゃん……。よかったね。気持ち、伝えられたんだね」


「……はい。わたしが意気地無しだったせいで、なかなか伝えることが出来なくて、沢山優斗くんのことを不安にさせてしまって、傷つけてしまったけれど、ちゃんと……向き合うことが出来ました」


 美樹は少しだけ目を伏せると、姫花のことを真っ直ぐに見つめた。


「わたしはこの気持ちを伝えられずに、一度……凄く後悔しました。だから、姫花ちゃんも莉奈ちゃんも、本当に凄いんです」


「うん。だけど、その後悔は美樹ちゃんを強くしたんじゃない、かな?」


「……そうですね。優斗くんが今までわたしを大切にしてくれたように、わたしも優斗くんを大切にしていこうと思っています」


 そう言うと、美樹はふんわりと幸せそうに微笑むと、優しげな表情で優斗のことを見つめた。


「二人とも、おめでとう。僕は全然、気がつかなかったよ……」


「ありがとうございます、恭哉くん」


「ふふっ、本当にそういうの疎そうだもんね〜」


「本当にその通りだよ。そう考えると、本当に莉奈はわかりやすかったんだね……」


「莉奈ちゃんと比べたら、誰だって分かりずらいと思うよ? それにしても、全員が恋人になってたなんて面白すぎるよね〜」


「そうですね。でも、この六人でいるのが好きだから。わたしは凄く嬉しいです」


「そうだね〜。せっかくだからさ、姫花ちゃんが退院したらトリプルデートしようよ!」


「トリプルデート? それって、いつもの六人で出掛けるだけなんじゃ……」


「全然違うよ! お洒落して、待ち合わせして、遊園地とか行ったりしてさ。すっごく楽しそうじゃない?」


 にっかりと笑う優斗は本当に楽しそうで、なんだか僕までうきうきと心が弾んでいく。


「いいね。皆でデートしよう」


 宝物みたいな僕達の日常は、これからも続いていく。


 大切な日々を心に抱いて、一つ、一つと皆で思い出を積み重ねて、一緒に歳を重ねていこう。



 大切な人達との、大切な日々を、駆け抜けていこう――。


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