第82話 お姫様だね

 



 あれから、この世界は劇的に変わっていった。


 管理者のいなくなったこの世界が混乱してしまいそうな時、真人の父さんが奔走してくれたんだ。


 記憶を失うことがなくなった世界で、『死』という未知の概念を知った人々は、死という恐怖に怯えていた。

 死の概念のない世界は、母さん達が望んだとおり、死に怯えることのない平和な世界を創れていたように思う。


 だから、僕は母さんの創った『KIKYOU』を使って、大切な人の『死』を忘れる、忘却医療を考案した。


 死の恐怖に怯える人、大切な人の死を悲しんでこれ以上生きられなくなった人を救う為の、死の記憶に苦しむ人の記憶を選択して削除する医療行為へとシステムを変えたのだ。


 大切な記憶を糧に生きる人も、大切な記憶に命を蝕まれる人も、この世界で幸せになれるようにと僕達五人で始めたプロジェクトだ。



 ねぇ、姫花。

 世界は大きく変わっていったよ。

 君が、父さんの心を救ってくれたお陰なんだよ。


 君はまだ目を覚まさないけれど、僕達はずっとあの頃のまま、君が目覚めるのを待っているんだよ。


 だから、早く起きてよ……。




 *




 待てども待てども、姫花が目を覚ますことはなかった。


 僕は、病室の窓から流れる雲を眺めていた。

 痩せ細った手の甲はしわくちゃな枯れ木のようだ。


 君が目覚めたとしても、僕だってわかっては貰えないかもしれない。

 僕はそんなことを考えながら、今日も姫花が目を覚ますのを待っていた。


 そろそろ、寿命を考える年齢になって、いつまで姫花を待っていられるのかもわからなかった。

 姫花との約束を果たす。それが僕の生きる原動力になっていた。


 ――コンコン。


 病室のドアをノックする音が聞こえた。


「恭哉さん、面会ですよ」


 看護婦の言葉に僕は首を傾げた。

 面会の予定なんて、なかったはずなのに。


「どなたですか?」


 僕の問いかけに、病室の前に立っていた小さな少女が言った。


「……姫花です。姫に花で姫花」


 ――ガタン。

 僕は思わずベットから飛び出して、ドアの前まで駆けだした。

 今だけは年齢を忘れたかのように、僕は年甲斐もなく軽やかな足取りだったように思う。


 すりガラスの向こう側に、小さな少女のシルエットが見える。


「……それじゃあ、お嬢さんはお姫様だね」


 僕は震える声で言った。

 これが夢なら、覚めないで欲しかった。


「……私、王子様を、探しているんです」


 ドアの向こうにいる少女の声も震えていた。


 ガラリ、とドアを開ける。

 それは毎日毎日、眠っている姿を見ていた少女の姿で、姫花の面影なんてないはずなのに、確かにそこに姫花がいると僕はへたりと座り込んでいた。


「……見つかりました。私の、王子様」


 少女の瞳が潤んでいく。

 切なさと嬉しさの混じった表情で少女は微笑むと、僕のことをその小さな身体で抱きしめた。


「……待っていてくれて、ありがとう。恭哉くん」


「……こんなに、おじいちゃんになってしまったけどね」


 僕が照れくさそうに笑うと、君は首を横に振った。


「ううん、凄く素敵なおじいさんだよ」


「……そうかな?」


「うん。恭哉くんがしてきたこと、看護婦さんから聞いたんだ。この世界をよくしてくれてありがとう」


 姫花の言葉に目が涙で滲む。

 歳をとると涙腺が緩んでしまって仕方がない。

 僕は誰に言い訳するでもなく、自分にそう言い聞かせるとそっと涙を拭った。


「……ねぇ、恭哉くんの話を聞かせて……?」


「そうだなぁ……」


 姫花のいなかった時間を埋めるように、僕達は夢中で話し続けた。

 まるで、若い頃に戻ったかのように楽しい時間だった。


「ねぇ、姫花。おじいちゃんにこんなこと言われても困るかもしれないけれど……君のこと、ずっと好きだったよ」


「……うん、私も……私も恭哉くんのこと、大好きだよ」


 姫花の瞳に涙が滲んでいた。

 僕はそれをそっと手で拭うと、姫花の柔らかな髪を優しく撫でた。


 傍から見れば、愛おしそうに孫を撫でるおじいちゃんに見えるだろう。

 だけど、僕はずっと、君に好きだと伝えたかったんだ。


「……なんだろう、君とまたこうやって話が出来て幸せだからかな。眠たくなってきちゃった」


「……うん」


「……少し、眠るよ。なぜだか、ゆっくり眠れるような気がするんだ」


 僕が重たくて仕方の無い瞼を閉じようとすると、遮るように姫花が僕の手を掴んだ。


「……っ恭哉くん! もう一回、私の頭……撫でてくれないかなぁ……」


「……ふふっ、君は甘えん坊だね」


 そう言って姫花の髪を頭を撫でると、寄り添うように体を寄せてきた姫花の肩を抱いて、僕はそっと瞼を閉じた。




 そよそよと、窓から入ってきた風が姫花の頬を撫でる。




「……恭哉くん。記憶を失わない世界を、取り戻してくれて……ありがとう」



 まるで眠っているかのように安らかに、穏やかな表情で息を引き取った恭哉を見つめて、幕を下ろすように姫花は静かに瞳を閉じた。




◇◇◇

ここまでお読み頂きありがとうございました。

本編が完結しました。


あと1話、もしも姫花がもっと早く目覚めていたら……のif世界のお話を投稿して、この作品は完結となります。


お礼は後ほど、後書きで。

あともう少し、お付き合い頂けると嬉しいです!

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