第6話 品定め

 



 なんだか、昨日は密度の高い一日だったなぁ……。

 他の人から見たらなんてことない一日だけれど、僕にとって『いつもと違う』という状況は、大きな変化なのだ。


 そんなことを考えながら歩いていると、いつも僕よりも朝早くから来ているはずの真人よりも早く、研究室についてしまったようだ。


 僕達の研究室は、校舎から離れた所にある。敷地内といえど、結構距離があるのだけれど、考え事をしているとあっというまについてしまう。


 研究室のカーテンを開けて大きく深呼吸すると、とりあえず何の目的もなくパソコンを立ち上げた。


「姫花は、来てくれるだろうか……」


 ぽつりと呟いてみたが、一人きりの研究室で返事が返ってくるはずもなく、無機質なパソコンの起動音だけが、虚しく響いていた。


 はぁ……。一人でいるのには、慣れてるはずだったんだけどなぁ。

 いや、思い返してみると、いつも隣には真人がいたな。


 最初の頃は、僕も他の人から遠巻きに見られるようになったばかりで、このままでは真人まで変人扱いされると思って遠ざけたりもした。


 それでも、次の日には当たり前のように、普通に話しかけてくる真人に、いつの間にか僕は遠ざけるのをやめたのだ。


「真人は周りの人とも上手くやっているようだったから、僕も気にしなくなったけれど、いつのまにかこの生活が当たり前になっていたな……」


 その時のことを除くと、他の人の事をこんなふうに考えたのは随分久しぶりだ。

 人の気持ちを考えるのは得意な方ではないけれど、たまにはこういう事で頭を悩ませるのも悪い気分ではなかった。


 トントン。


 軽くドアを叩く音で、はっと我に返る。


「どちら様ですか……?」


 真人はこの研究室の人間だし、ここへの客人といえば男しかいないので、暫くノックの音なんて聞いていない。


 おそらく姫花であることは間違いないのに、こんな時どうすればよいのかわからずに、そっけない物言いになってしまったと思わず後悔する。


「あの……こんにちは。昨日、訪ねた姫花、です」


 控えめにひょっこりと顔を覗かせた姫花の後ろから、気の強そうな女の子が覗き込むように、ぐいと姫花を研究室の中へと押した。


「姫花、真人いた?」


 姫花とは違って、今時の女の子といった印象の彼女は、ミニスカートを履いており、肩にかからないくらいの位置で切りそろえられた金髪をさらりと撫でた。

 女性と呼ぶには少し幼く、少女と呼ぶには少し大人びてみえた。


「真人くんは、まだいないみたい……」


「あいつ……今日は早く来ておいてって言っておいたのに!」


 彼女の雰囲気に押されて、僕はまだ自己紹介が出来ていなかったことに気づく。


「えっと、はじめまして。僕は恭哉。莉奈さん……だったよね? よろしくね」


 手を差し出して微笑んでみたのだが、彼女から反応が返ってこない。

 何かおかしなことでもしてしまったのだろうか。

 やり場のなくなった手を引っこめるタイミングを逃してしまい、僕はそのままの姿勢で立ちすくんだ。


 まさか、真人が来るまでこの状態で待たなければいけないのか……。そんなことを考えていたら、差し出した僕の右手を睨みつけていた莉奈が、突然僕の手を握り、僕は更に混乱するはめになった。


「……莉奈よ」


 莉奈がぼそりと、自分の名前を発した。


「え?」


「だからっ、莉奈! あたしの名前!」


 どうして今までフリーズしていたんだろう。疑問はつきなかったが、きっと人見知りなんだろうと、僕は自分を納得させることにした。


「あぁ。名前、あってたよってことかな?」


「……いや、そうだけど。違くて! あんた……怒ってないの?」


 何を怒るというのだろう。

 と、いうよりも、さっきから怒っているのは莉奈の方のような気がする。


「だから、あたしがあんたのこと無視して、握手しかえさなかったこと! 怒ってないの?」


 なるほど。僕は意図的に無視されていたのか。


「そんなことで怒らないよ? 握手するのが嫌だったのかなって思っていたし……。でも、今してくれたってことは、そういうわけじゃないのかな……」


「はぁ……。なんか、気が抜けちゃった」


 莉奈の行動について考察している僕を見て、大きなため息をつくと、途端に莉奈はぶつぶつと独り言を呟きだした。


「変な噂しか聞かないし、そもそも校舎で見かけたこともないし、どんなやつか品定めしようとしてたのに。まさか、こんな人だったなんて……真人に聞いても変な奴だよとしか言わないし」


 さっきまで静かに睨んでいるように見えたのは、品定めと称して僕の様子を伺っていたようだ。


「それで、僕は君のお眼鏡にかなったかな?」


「初対面の相手に品定めとか言われても怒らないんだ」


「初対面だからするんだろう? どんな相手か見極める為に」


「それは、そうかもしれないけど……。あんたって、やっぱ変な人ね」


 やっぱり、か。変人と言われることに抵抗はないけれど、お眼鏡にかなわなかったという意味なら、彼女は姫花を連れて帰ってしまうのだろうか。


 僕の不安をよそに、莉奈がにっこりと満面の笑みで僕の肩を叩いた。


「変な人だけど……、あんたって噂で聞くよりずっといい人ね!」


「そうかい?」


「自信持ちなさいよ! あたしが初対面で、この人なら姫花に近づけても大丈夫って確信する人って、なかなかいないんだから!」


 最初の気の強そうなイメージとはうってかわり、彼女の面倒見の良さそうな一面が見え隠れする。


「ほら、姫花って見ての通りおっとりしてるから。悪い奴について行っちゃったら困るからね。あたしが守ってあげないと!」


「もう……莉奈が思ってるほど、世間知らずじゃないのに」


「世間知らずじゃなくても、隙だらけなの!」


「……そうなのかな?」


 表情のころころ変わる莉奈と、おっとりとしている姫花は、本当に対照的だ。


「ところで、お眼鏡にかなったのは光栄なんだけど、よかったら恭哉って呼んでくれないかな?」


 さすがに、このままずっと『あんた』でやり取りするのは少々やりにくい。



「あっ、ごめんごめん。改めて、よろしくね。恭哉!」



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