第22話 記憶の境界線
「あたしもね、お母さんがいたんだ! だけど、全っ然覚えてないの!」
ひたすら明るい声で、あっけらかんとして莉奈は言った。
「前はいないって……」
「姫花に嘘ついてたわけじゃないんだよ? あたしは今でも覚えてないし、お母さんの記憶もない。だけど、今だからわかるんだ」
莉奈が真っ直ぐに僕のことを見つめてきた。
僕達は、それぞれがパズルのピースを持っていて、きっと、僕の謎が莉奈の謎と繋がったのだろう。
「あたしね、お母さんが死んじゃう瞬間まで一緒にいたの。多分、それが悲しくて泣いていた」
「莉奈は、覚えてなかったんじゃ……?」
「うん。悲しかった理由を覚えてないし、あの時の女の人がお母さんだなんて、今でも思い出せない。でも、その瞬間に傍にいてくれた人に聞いたんだ」
莉奈がちらりと真人の方を向く。
真人はそれをどう受け止めればいいのかわかっていないのだろう。
その視線を受け流すと、壁にもたれかかって腕を組んだ。
「あの時、あたしが倒れてる女の人をお母さんって呼んで泣いてたこと。途中で泣いてる理由をあたしが忘れちゃったこと。そして……お母さんのことを忘れた瞬間も、見ていてくれた人がいるんだ」
「そう、だったんだね」
「うん。でも、ああ、ほら! しめっぽい空気はなしなし! あたしは何にも覚えてないの! だから悲しいとかそういう感傷なんて全く残ってないから大丈夫!」
『覚えていないから悲しくない』は本心なのだろうけど、言い表せない感情は確かにあって、その空元気が少しだけ痛々しくみえた。
「だから、姫花がそんな顔しなくてもいいんだよ」
そう言うと、莉奈は姫花の頬を両手で包み込み、優しく微笑んだ。
「う、うん。気を遣わせちゃってごめんね。そんなに変な顔してたかな……」
「ううん。姫花はいつでも可愛い顔してるよ! なーんてね」
こういう自分のことよりも相手のことを考えられるところが、莉奈のいいところなんだろうな。
それでも、隠すのが癖になってしまっていたら、いつか莉奈の心が弾けてしまうのではないかと、僕は少しだけ心配になった。
「まぁ、つまり。あたしの場合は、本題はそこじゃないの。その場にいた人は、たまたま通りがかった人で、あたしとお母さんを知らなかったの」
人数が増えてまとまらなくなりそうだった為、真人はホワイトボードに、さささっ、と登場人物の名前を書いていく。
「どうして通行人Aのところに、真人の名前を書いたんだい?」
「まぁ、俺だからな」
莉奈が驚いた表情で真人のことを見つめていた。
「どうした、莉奈?」
「いや、真人は隠しておきたいんだと思ってたから……」
「こいつらに隠したって意味ないだろ? この先の話もしずらくなるだけだしさ」
二人の間にだけ通じる何かがあるのか、なにやらヒソヒソと言い合っていたようだが、最終的には真人が補足を入れていくスタイルに決まったらしい。
「つまり、あたしとお母さんを知らない真人が、一部始終を目撃した。それなのに、真人は何一つ忘れてなかったの」
「客観的な事実として、目の前で起こっている内容を覚えてる。って感じだったよ。俺は莉奈も莉奈の母さんもその時が初対面だったから」
「だから、消えちゃう記憶にも境界線があって、知らない相手のことは『忘れる』ことがないみたい」
「忘れる記憶が存在しないからな。俺はあの時、テレビの外側から莉奈達を見ていたような……。言い換えるなら、当事者では無い。そんな感覚だった」
消える記憶と消えない記憶。
この二つの条件を確認するには、なかなか複雑な仕組みのような気がしてならない。
「そうか。真人にとって、恭哉のお母さんは、よく遊んで貰ってた知り合いだったから〜」
「うん。そういうことだと思う。……っていうことを、あたしは言いたかっただけかな」
謎を紐解くと、更に謎が出てくる。
けれど、謎と謎を繋ぎ合わせて、数式のように当てはめていくと、いくつかの法則が見えてきた。
「じゃあ、はい! あたしの番は終わり! 次は……美樹と優斗どっちからにする?」
莉奈は自分の話を閉めると、次は誰が話そうか、と美樹と優斗を交互に見た。
「じゃあ、次はボクの理由から話してもいい〜?」
「うん、美樹がいいならいいよ」
横目で美樹の方を向くと、小さく頷いたので、僕は優斗に話の先を促した。
「ボクは右手の小指の感覚がないんだ〜」
「えっ」
衝撃的な告白に、思わず、僕は声が漏れてしまった。
「子供の頃に、事故に合ったみたいで、全然動かないんだよね〜」
深刻そうな話になりそうだ。
それなのに、優斗はなんとも間の抜けた声で、世間話でもするかのようにのんびりと語り始めた。
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