『死』の概念は削除されました~忘却の彼方~

日華てまり

第1話 アスファルトの赤いシミ

 



「昨日の予報だと雨だったのに、この様子だと今日は降りそうにないな……」


 ビルの間から眩しく照りつける太陽の日差しを遮るように、僕は空へと手をかざして目を細めた。


 ドサッ。


  降ってきたのは、雨ではない。耳を塞ぎたくなるような鈍い音ともに、僕の目の前に、人が降ってきた。


 目を背けてしまいたくなる凄惨な光景に、僕は腰を抜かしてしまい、へたりと地面に座り込んだ。

 立たないと。落ちてきた人が無事かどうか確かめないと。そう思うものの、脚がすくんで動けない。


 僕は恐怖で震える足を強く叩いて立ち上がった。

 目を逸らしたくなるのをぐっと堪えて、僕は落ちてきた人の様子を伺った。

 みるみるうちに、アスファルトが血で赤く染まっていく。


「……っ! 大丈夫ですか! どうしたら……」


 溢れ続ける血、呼びかけても返事をしない重傷の怪我人に、僕はどう対処をすればよいのかわからずに、きょろきょろと辺りを見回した。


 珍しく寝坊をしてしまった僕は、大学の講義に遅刻をしない為に、普段は通りもしない路地裏を使っていた。土地勘もなければ、そもそも人気のないこんな路地裏で、都合良く他に人がいるはずもなかった。


 ふと、壁に貼られているポスターが目に留まった。


「緊急事態対策本部、連絡先……?」


 そのポスターには、事件や事故のような緊急事態、その他にも個人で対応の出来ない事が起こった場合にお気軽に連絡下さいと書いてある。


「そうだ、これ! 何か困ったことがあれば、すぐにここに連絡するようにと、子供の頃から口を酸っぱくして言われていたじゃないか……!」


 つい先日の大学の講義の後にも、このポスターの内容と緊急連絡先が流されていたことを思い出すと、僕はすぐに電話をかけた。


 プルルルル――。


「こちら、緊急事態対策本部です。本日はどうなされましたか?」


 ワンコールで電話に出てくれたことに安堵しながら、僕は急いで状況を説明した。


「事故ですね。通報者の名前は恭哉きょうや。……データ、該当有り。連絡のあった地点より、五分前に信号の弱まった人物が確認出来ました。至急、職員が出動致しますので、その場で待機して下さい」


 どうやって状況の確認が出来たのかはわからないけれど、電話先でイタズラ電話ではないことを確認したようで、オペレーターから的確な指示を出されて、僕は職員が来るのをその場で待った。


 その間にも、アスファルトのシミは拡がり続けて、目の前に倒れている人の顔から、どんどんと血の気が引いていくのが恐ろしかった。


「お願いだから、早く助けに来てくれ……」


 僕は、この異常事態の恐怖と戦いながら、永遠に感じるほどの長い時間、血塗れの男を見つめ続けることしか出来なかった。


 バタン。


 黒塗りの車が、路地に入る前の道路へと停められると、黒いスーツにサングラスをかけた怪しげな男達が駆け寄ってきた。


 本当にこんな怪しい人達が、この国の認める機関の人間なのだろうか。僕は、心の中で疑いながらも、今は藁にもすがる想いで、サングラスの男達を手招きした。


「……早く、助けて下さい! 血が止まらないんです……! 病院に連れて行かないと!」


 本当なら、すぐにでも病院へと連れていきたかった。それでも、タクシーの一つも通っていないのに、この狭い路地裏から、ただの学生である僕が重傷の男を病院へと運ぶすべはなかった。

 それに、素人が触っていいような状況には思えず、無闇に動かすのも躊躇われた。


「状態を確認します。通報者は下がっていて下さい。……脈拍が低下しています。これは、もう……」


 サングラスの男が、僕の方をちらりと見る。ヒソヒソとどこかに連絡を入れているようだった。


「あの、早く運んであげないと……。さっきから、何をしているんですか?」


 一向に、倒れている男を助ける気配のないサングラスの男達に、僕は痺れを切らして詰め寄った。


 カチリ。


 頭の中で、何か音がしたような気がした。


 ぐらりと視界が揺れて、僕は地面へと倒れ込んだ。

 まるで、スイッチが切り替わるように、僕の意識は遠ざかっていく。


「識別コード3255560。恭哉。確認しました。プログラムの起動を確認。意識レベル低下を確認。前後、二十四時間の記憶の消去と、記憶の上書きを申請します」


 薄れゆく意識の中で、サングラスの男が話す声が聞こえる。

 この人達は、一体何を言っているんだろう。倒れていた人は大丈夫なんだろうか。


 段々と男達の話し声が遠くなっていく。

 あぁ、駄目だ。ここで意識を失ってしまったら、あの人を助けることが出来ない……。



 その決意も虚しく、僕は意識を失った。



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