第2話 お姫様

 



「……おはよう、真人」


 今朝はなんだか、やけに頭が重い。

 僕はズキズキと痛む頭を抱えながら、研究室のドアを開けると、先に来て準備をしてくれていた古くからの友人である真人まなとに声をかけた。


「おはよう、恭哉。昨日は急に具合が悪くて来れない、なんて連絡してきてどうしたんだ? 風邪でもひいたのか?」


 パソコンに届いていた僕からのメールを見せて、真人は言った。


 そんな連絡しただろうか。

 僕は首を捻ると、送った記憶のないメールを確認した。確かにメールの送信者は、僕の名前になっている。


 昨日の記憶を思い出そうとすると、ズキズキと頭の痛みが増していく。


 昨日は珍しく寝坊をしてしまって、焦って支度をした僕は、近道をしようと……。

 いや、違うな。そうだ。確か昨日は研究室に向かう途中で、酷い目眩に襲われてそのまま帰宅したんだった。


 あまりの具合の悪さに、ベットになだれ込んだ僕は、そのまま眠ってしまったんだった。

 きっと、その時に義務感で真人にメールを送っておいたに違いない。


「風邪、という訳でもないんだけどね。なんだか昨日は目眩が酷かったんだ。今も頭がずっと重たくて……」


「パソコンと睨めっこばっかりしてるからじゃないか? たまには外へ出ろ。それで自分の殻にばっかこもってないで、ちょっとは外の世界に触れてみろよ」


「確かに、目と頭を使い過ぎているのかもしれないね。……外に出るのも気分転換にはなるだろうけれど、僕はこの研究室で真人とこの世界の謎について探っている方が楽しいんだ」


「……まったく、そんなんだから変人だなんだのと、好き勝手に言われるんだ。俺の社交性を少しは見習えよ」


 誰になんと言われても気にならない、と言う僕に、真人が大きく溜息をついた。


「とはいっても、最近、妙に視線を感じるんだけれど、やっぱり僕はその変人だとか、そういう噂とともに目立ってしまってるのかな?」


「視線?」


「嫌な視線ではないんだけど、何か探られているような……。構内にいる時に、よく見られている気がするな」


「あぁ、なるほど」


 真人はそれだけ言うと、にやにやと意味深な笑みを浮かべたまま、それ以上は答えてくれなかった。

 これでは言い損ではないか。


「まぁ、この世界で、僕が異端であることは事実だから、仕方がないよね」


 誰も、この世界を疑わない。


 この世界では、生まれてすぐに、初等部と呼ばれる施設に集められる。そして、不要な事を考えないようにと、偏った知識を与えられて育つのだから。


 それでも、僕はどうしても納得がいかなかった。


 大人になって年老いた時に、僕達はどうなるのだろう。

 不慮の事故が起きたら、僕達はどうなるのだろう。

 病院の重傷者病棟に入った人間が、どうなってしまうのか、僕達は何一つ知らなかった。


 こんなにも、僕達はこの世界のことを知らな過ぎるというのに、どうして誰もこの世界に疑問を持たないのだろう。


 僕だけが特別なのだと、思い上がっている訳ではない。寧ろ、今までにこの疑問を提示した研究者が一人もいないというのも、酷く不自然なことだと感じさせる。



「この世界はおかしい」



 研究室の窓の外を眺めながら、僕は呟いた。


「また、それかよ……。俺だって、この世界はおかしいと思ってるけどさ、その台詞を聞くのも何回目だ? いい加減聞き飽きた。なんか、もう一歩、踏み込んだ話題はないのか?」


 真人は呆れたように溜息をつくと、僕には目もくれずに珈琲を飲み干した。


「聞き飽きたとは失礼だな……。だって、奇異の目で見ずに僕とこんな話をしてくれる相手なんて、真人だけなんだから。しょうがないだろう? それに、世界の謎についての研究だって、何から手をつけていいのかわからなくて、なんの進展もないからね……」


 僕だって、何か進展さえあれば、真人と夜通し語り合いたいと思っているし、その内容を論文にまとめたいと思っている。


 けれど、進展どころか、研究の進む目処すら経っていないのだから、壊れたカセットテープのように繰り返し同じ台詞を言ってしまうことくらい、大目に見て欲しい。


「研究が進まないのは、いつもの事だからいいとして。恭弥きょうや君は数少ない友人……というか、たった一人の友人である俺を大切にしようとか考えないわけ?」


「考えた上でこの対応なんだけど……」


「なおさら悪い。いつまでたってもお前がそんなんだから、狂ってるとか周りの奴らに好き勝手に言われるんだ」


 全く、狂っているだなんて心外だ。

 僕はただ、疑問なだけだ。


 人は生まれるのに、その先を僕達は知らない。住む場所も有限だ、無限に増え続けているのなら、とっくに人で溢れかえっているはずなのに、その気配は無い。


 人は日々減っている。それがどういう事なのか、どうして誰も疑問に思わないのか僕は不思議で仕方ない。


「そんなんだと、一生女の子なんか寄ってこないぞ。ついでに俺も愛想を尽かす」


「真人は僕に愛想を尽かさないよ。今更こんなことで愛想を尽かすなら、とっくに僕なんて相手にせず周りに馴染んでるはずだからね」


 憎まれ口をたたく真人は、眼鏡を指でくい、と直しながら、僕を見て舌打ちをした。


「……ちっ。これだからお前は質悪いんだよ!」


「ふふっ、今日も世界は平和だね」


「わかりやすく話をそらすな! ……ったく、これだからお前は……」


 そう、世界は常に平和なのだ。

 平和で便利な世の中なのだから、誰も世界に不満なんて感じないのだろう。

 この世界でこんなことを考えている僕らがおかしいのだ。


『世界がおかしい』などと、言う奴は二つに分けられる。


 思春期だの厨二病だのと、世間から生暖かい目で見られる奴。もう一つは、大人になっても言い続けて、世間から冷たい目を向けられる奴だ。


 僕らは後者。

 世間でいう、精神異常者らしい。

 僕としては、狂ってるつもりは毛頭ないし、至って正常だ。だが、世間の目は相変わらず厳しかった。


「それにしても酷い話だよね。研究者として、世界の法則に疑問を持って、解明しようとしている僕らを精神異常者なんてさ」


「お前の性格が助長してると思うけどな」


「そうなのか? でも、研究者が疑問を持たなくなったら、それはもう研究者じゃないだろう?」


「まぁな。でも、一つ言わせろ」


「なんだい?」


「僕らじゃなくて、お前。だろ? 俺は至って普通な学生だ」


 真人だって、この世界がおかしいとは思っている癖に。僕は心の中で、ひっそりと悪態をつく。


「酷いな、僕らは親友だろう? まさか! 真人はそう思ってなかったのか……。僕はこんなにも真人を尊敬しているし、大切だと思っているのに」


 シェイクスピアの台詞でも読み上げるように、大袈裟な動作で悲しむ僕を見ると、真人はやれやれと溜息をついた。


「親友じゃなくて、腐れ縁な。お前はよくそんなクサい台詞がぽんぽん飛び出してくるな。天地がひっくり返っても、俺はそんなこと言えねぇよ……」


「こういう性格なものでね」


 こんなくだらないやりとりを、もう何十、何百と繰り返している。


 真人は心底呆れたという顔をすると、僕に背を向けた。これもいつものことだ。思い浮かんだら唐突に会話が始まって、唐突に終わる。

 僕らの毎日は、そんな今日の繰り返しで出来ている。


 すると、はっと思い出したように真人が振り向いた。


「あぁ、そうだ。そろそろ来る時間なのを忘れてた!」


 何がそろそろなんだろうか。

 僕の疑問に答えるように、真人がにやにやと笑って、大袈裟な動作で近寄ってきた。


「世界に不満だらけの紳士くんに、親友から素敵なプレゼントをやろう」


 さっきまで親友じゃないと言っていた癖に、この言い草。

 真人がこんなことを言う時は、決まって何かを企んでいる時だ。確実に僕の返事なんて、聞くつもりはない。


「正しくは不満じゃなくて疑問ね。……プレゼントって?」


 この答えを待っていたというように、真人がにやりと笑う。

 すると、タイミングよく、研究室のドアがトントンとノックされた。


「あの……失礼します」


 控えめな女の子の声だ。こんなところに何の用があるっていうんだろう。


「俺らの貴重な同志を連れてきた」


 真人がそういうと、そっとドアが開き、白いワンピースに身を包んだ大人しそうな少女が入ってきた。なんだか、浮世離れしたような不思議な空気感の子だな。


「……あの、はじめまして。私、姫花ひめかって言います。姫に花で姫花……」


 名前のせいだろうか、それとも彼女の持つ儚げな雰囲気のせいだろうか。

 年齢も僕と近いか同じはずなのに、女性というよりも少女のようだ。まるで、御伽噺にでてくるような、お姫様みたいだ。


 ふわりとなびいた茶色の長い髪が、窓から差し込む陽の光でキラキラと透き通って見えて、僕は思わず息を飲んだ。


「はじめまして、僕は恭哉。うやうやしいかな? で恭哉。なんて、これはちょっと苦しいかな」


 彼女の自己紹介に合わせようとしたのに、上手いことが言えなかったな。

 僕は心の中で一人反省会を繰り広げそうになるのを我慢すると、彼女の前に手を差し出した。


「よろしくね、お姫様」


 これが、僕と彼女の出会いだった。

 そして、退屈で繰り返されるだけだった毎日が、この瞬間に音を立てて動きだした。



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