第49話 教授って誰だ?

 



「…………姫花?」


 それは、助けて欲しいと心の中で求めていた親友の声だった。聞き慣れた心地の良い莉奈の声に、姫花は涙を堪えるのも忘れて、顔を上げるとぼろぼろと涙を零した。


「ちょっと、こんなとこに隠れるみたいに座り込んで何してるの! っていうか、大丈夫……?」


 姫花は儚げに見えるが、本当は芯の強い女性だ。簡単に涙を見せないはずの親友の弱りきった姿に、莉奈はおろおろと駆け寄って、安心させるように姫花を抱きしめた。


 状況が把握出来ずにいる莉奈の隣で、真人が声を上げた。


「……っ恭哉!? おい! 何があったんだ! こいつは……!」


 横たわる恭哉に気づいて、真人は恭哉の元へと駆け寄った。慌てて恭哉の口元に手をかざし、呼吸をしていることを確認すると、安堵するように胸を撫で下ろす。


「……っは。よかった……とりあえず、無事なのか。……姫花、何があったんだ」


「ちょ、ちょっと真人! 姫花が落ち着くまで待ってってば!」


 はっ、と涙を流して莉奈へと縋り付く姫花に視線を送ると、真人は少しだけバツが悪そうに頭をかいた。


「……悪い。だけど、こんな訳のわからない状況なんだ。もしかしたら、もたもたしてる猶予もない状況かもしれないんだ。この場で説明出来るのは姫花だけなんだ。頼む、何があったのか話してくれ……」


 真人の意見はもっともだった。異常事態であることは明らかに明白で、普段泣かない親友を心配する気持ちは変わらないものの、莉奈はそれ以上真人を咎めることは出来なかった。


「……うん。真人くんの言う通り……。私が話さなくちゃ。今すぐに、逃げないと……!」


 未だ混乱しているのか、姫花は捲し立てるように莉奈の腕を掴んで言った。


「歩きながら話すから、今は逃げることだけ考えて欲しいの。お願い、真人くん。恭哉くんのこと、運んで欲しいの……!」


「……わかった。恭哉は俺に任せろ。莉奈は姫花が歩くのを補助してやれ。とにかく今は、一刻を争うってことだな」


 最優先事項は理解した、というように真人は恭哉を慎重に持ち上げて、テキパキと移動の準備を整えた。

 緊迫した空気に、莉奈も急いで姫花に肩を貸すと、三人は無言で歩き出した。


「とにかく、何かから逃げたいんだろ。隠れるのにいい道がある。莉奈、さっき来た道に戻るぞ」


「わ、わかった! 姫花、こっち!」


 真人と莉奈に先導されて、真人の父親の会社へと繋がる隠し通路へと入る。


「……何も聞いていないのに、信じてくれて……ありがとう」


「何言ってんの、当たり前でしょ。っていうか、あんな状況みたら、信じる以外ないってば」


「そ、そっか。……そうだよね」


 一人きりでは無い安心感から、姫花の顔色に生気が戻る。


「それで、何から逃げてるんだ?」


「……黒服の人達。……だと思う」


「……だと思う?」


「私、さっきまでの記憶がないの」


「…………っ!」


 記憶がない。それは、姫花が身近な人間を失ったということだ。真人は母親を失った直後の莉奈を思い出して、ぞわりと寒気のする背筋を逃げすように身を捩った。


「……ねぇ。真人くん達は、なんともないの?」


「え? あぁ、俺達は別に変わったことはないと思うぞ。恭哉から連絡が来て、研究室に向かっていたところだしな」


「その、連絡の内容って、覚えてる?」


「……え?」


 姫花に言われると、途端に真人と莉奈の顔色が変わった。


「……なんだ、これ。……思い出せない」


「……あ、あたしも。恭哉と姫花が研究室で待ってるってことしか……」


「いや、おかしいだろ。なんか、なんか言われてるはずだろ。……なんで、合流しようって話になったのか、全くわからない……」


 自身の記憶にも異変があったことに気づいて、二人は焦った表情で姫花を見つめた。


「……やっぱり、二人も忘れちゃってるんだね」


 姫花は困ったように視線を足元へ向けると、躊躇いながらも小さな声で呟いた。


「……教授が、死んでしまうところを見たの」


 姫花の言葉に、真人と莉奈は息を飲んだ。

 それも、そのはずだった。


「…………待てよ。……教授って、誰だ?」


 その場にいる誰もが、そんな人物に心当たりすらなくなっていたのだから。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る