第4話 消えていく日記

 



「この世界から、消えている人。それって……」


 僕が信じられないという顔をすると、姫花は弱々しい声でそう思ったきっかけを語り出した。


「……始まりは、日記がきっかけなんです。私、子供の頃からずっと日記をつけていて……今日はこんなことがあった、とか誰と何をしたとか、近所の人と話したこととか他愛のないことまで書いていました。だから、日記にはいろんな人の名前が書いてあったんですけど……」


 自分でも信じて貰えないと思っているのか、姫花が濁すように視線を逸らす。


「何人か、消えていたんです」


 僕は、その現象に心当たりがあった。


「正確にいえば、久しぶりに読み返してみたら、知らない人の名前が何人か書かれていて、中には何日も何日も親しくしてる様子が書かれていたりしているのに、名前も顔も思い出せない人がいて……。他の人に聞いても、そんな人は知らないって言われて……」


「誰も、その人のことを覚えていなかったってことか」


「私も、最初はそう思ったんです。だけど、忘れてるというよりも、まるで、最初から存在していなかったような感じで、消えてしまっていたんです。私の記憶からも、皆の記憶からも」


「だから、姫花はこの世界がおかしいと思ったんだね」


 こくり、と姫花が頷く。


「それに、その仲が良かったらしい人から、お揃いで貰ったって日記に書いてあったキーホルダーは確かに私の部屋に存在していたから……」


 僕は姫花の鞄についていた、幼い女の子向けのキーホルダーを思い出した。きっと、あれがその『存在しない誰か』から貰ったものなのだろう。日焼けにより色も薄くなっているキーホルダーからは、姫花が大切にしていたのだということが伺えた。


 姫花は寂しげな表情で、囁くように呟いた。


「この、キーホルダーだけが、その人が存在した事を覚えているの。……私だけが覚えていないだけなら、私が忘れてるだけかもしれない。だけど、誰も覚えていないなら……」


 姫花がぎゅっと、キーホルダーを握りしめた。


「それは、世界がおかしいんだって思うの」


 そう言った姫花は、真っ直ぐとこの世界を見据えていた。


「姫花の話、僕達は信じるよ」


「……本当に?」


 いつの間にか、姫花から敬語がぬけている。


「本当だとも。……と、言っても、信じるのとは少しだけ違うのかもしれないね。僕らも、『消えてしまった人』がいることを、


 そう、意味深に告げた僕の話を遮ると、さっきまで黙って聞いていた真人が問いかけた。


「なぁ、俺達は日記なんてつけるタイプじゃなかったから、姫花と同じ経験はしなかったけど……日記をつけてるやつなんて、もっといるだろ?」


「……うん。別に特別なことじゃないと思う、けど……それが、どうしたの?」


「つまり、姫花と同じような奴が沢山いたんだったとしたら、俺達みたいにこの世界の違和感を感じてるやつがもっといてもおかしくないんじゃないか? なのに、なんで俺達は今までそんな奴に出会ってこなかったんだ?」


 確かに、真人の言う通りだ。

 日記を書いて、何年後かに懐かしんでそれを見返す。それ自体は特別に変わった行為では無い。それなのに、この世界を疑う人間があまりにも少な過ぎる。この状況は、だ。


「……そうだね。こんなにも変人だなんだと噂をされている僕達に理解を求めて会いに来たのが、姫花しかいないなんて、少な過ぎる……」


 そんなことが起こりうる、一つの可能性が、僕の頭をよぎった。

 真人も同じ答えに辿り着いたのか、僕達は緊張した面持ちで顔を見合わせた。


「……まさか、この世界の違和感に気づいた奴は、消されているのか?」


「……いや、それなら僕達が消されていないのはおかしい。大学内だけとは言っても、僕達の考えは噂になるほど周りの人にも知られているんだよ?」


「それもそうだよな……」


 僕の言葉に、真人と姫花も首を横に捻った。


「……そうか。もしかして、僕達はまだ何も知らな過ぎるから、消されていないだけなんじゃないかな……?」


 あまりにも恐ろしい想像に、僕はごくりと唾を飲んだ。


「この世界の真実に近づいた者は消されてしまう……。そう考えたら、日記から何人かの人が消えていたのも辻褄が合う。姫花、その日記で消えていた人の年齢がわかる情報は書いてあったかい?」


「……えっと、キーホルダーをくれた子は私と同い年だから、多分小さな子供かな。近所の人は、おじいさんって書いてあったよ」


「これは僕の推測だけれど、その人達も何かしらの出来事から、この世界の違和感に気づいたんじゃないかな」


「それで、消されたの……?」


「幼い子供が消される理由なんて、何か重要な秘密を知ってしまったから、くらいしか思いつかないからね」


 怯えたように姫花が自分の腕をぎゅっと抱いた。

 しん、と静まり返った空気の中、沈黙を破ったのは真人だった。


「なぁ、これ以上込み入った話に入る前に、呼んだらどうだ? 俺達と話がしたいのってさ、姫花だけじゃないんだろ?」


 どういう意味だろうか。僕が首を傾げていると、真人が眼鏡をくいと上げる仕草をしながら、得意げに言った。


「どう考えても、即行動に移して、会ったことも話したこともない俺達に、いきなりこんな話をするなんて姫花のキャラじゃないだろ? 姫花に助言した奴が居るとみた」


 相変わらず、こういうところで頭がきれる。それもそうだ、姫花みたいなタイプが、いきなり話したこともない相手に、それも周囲に広まれば僕らの様に馬鹿にされるような内容をそう易々と喋ったりはしないだろう。


 まずは身近な誰かに相談したりして、僕よりも構内での遭遇頻度の高い真人の様子を観察して、信用出来るか確信できなければ話しかけはしないはずだ。



「その、私の他に、三人いるんです。二人に会わせたい人……」



 予想していなかった姫花の返事に、僕はボールペンを持っていた手を滑らせた。



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