第78話 本心を引き出して

 



 いくつもの国が存在していて、今よりもずっと多くの人が、今よりずっと化学の進んだ世界で暮らしていた。

 それなのに、平和は簡単に脅かされて、人と人が傷つけ合って簡単に『死』が訪れる世界。


 そんな世界なんて想像できないくらいに、母さん達の創ったこの世界は平和だった。

 過酷な過去の世界の話に、僕も姫花も言葉を失ってしまった。


「……僕は、貴方が間違っていたとは思えない。日常的に人が死んでいく世界だなんて……残されることに耐えられなくて、自ら『死』を選んでしまうのもわかる気がするから……」


 肯定されると思っていなかったのか、僕の言葉に哉斗が驚いたように顔を上げた。


「……貴方達がこの世界を創らなければ、人類は絶滅していたかもしれない」


「それなら、どうして……。そう思うなら、どうして君達は僕に抗おうとするんだ」


 それは本心なんだろう。

 過去の世界で正しい選択をした。そう肯定するのに、平和なこの世界をこの人達が必死で繋ぎ止めたのに、なぜ今になって理解を拒もうとするのか、本当にわからないといった様子だった。


 それまでずっと黙って聞いていた姫花が口を開いた。


「……私は『死』を覚えていないから、こんなことを言えるのかもしれないけど……例え大切な人を失っても辛くても、大切な人を忘れたくないから抗うんです」


 姫花が僕を見つめて言った。


「『死』によってその人を失ったのに、その人との思い出まで失くしたくないの。記憶を無くすことは、その人にとって、二度目の『死』なんじゃないかって思うから……」


 腑に落ちた。姫花の言葉がストン、と言葉に出来なかったもどかしさにすっぽりとはまったようだった。


「……君は、まるで桜みたいなことを言うんだね」


 そう言った哉斗の目は虚ろで、どこか危うい雰囲気を感じさせた。


「……あの時もそうだ。桜の言葉に、桔梗も、真司くんも変わっていった。姫花きみみたいな『死』の恐怖を知らないような人の一時の感傷に触れて、皆皆毒されていく」


 哉斗の瞳がどんどん暗く濁っていく。

 その瞳の奥に、怪しげな光が宿っているようで、思わず僕は姫花を背に守るように腕を広げて目の前の哉斗に警戒した。


「……なんで、君達は僕から奪っていくの……? なんで、僕だけを取り残していくの? なんで、僕だけを置いて……皆変わっていってしまうんだ……!」


 哉斗の絶叫が、静まり返った室内に響いた。

 子供の癇癪のような絶叫に、姫花がびくりと肩を揺らすのが見えた。


 この人は……こうやって、自分の主張ばかりで、母さんを理解しようとせずに、桜さんを拒絶するばかりで歩み寄ろうとしなかったんだ。


 哉斗さんは心が子供のままなんだ、と真人の父親が言っていたという言葉を思い出す。


 記憶を失っているから、心の成長が止まっていても仕方がない?

 永い時間を生きてきたから、心が麻痺しているから、仕方がない?


 大人達が腫れ物を扱うように接してきて、無意識に哉斗を許してきた事実に、僕はふつふつと怒りが込み上げてきた。


 真人の父親はこの人のせいで大切な人を失った。

 最後までこの人を止めようとしていた母さんの想いも、母さんの愛情も、この人は受け入れなかった。


「……どうして。……どうして、貴方が被害者みたいな顔をしているんだ!」


 こんなに大きな声で怒鳴ることも、本気で怒ることも、僕にとって初めてのことだった。


「貴方が頑張ってきたのは理解した、僕なんかが想像できないくらい大変だったのも、辛い経験をしたのもわかった」


 怒りに握りしめた拳が震えていた。


「……だけど、貴方が自分勝手な感情で、桜さんを傷つけたのは紛れもない事実だ! 貴方の苦しみは、誰かを傷つけていい理由になんてならない! ……人を傷つけた時点で、貴方はただの加害者だ!」


 はぁはぁと息を切らして僕は叫んでいた。

 哉斗が呆気にとられた表情で、僕のことを見つめている。


 この人は、その境遇から、今まできっとどんなに悪いことをしても本気で怒られたことがなかったんだ。

 どこか被害者の気持ちで、受け入れてくれなかった相手を責め続けていたんだろう。


「……だったら、どうすればよかったんだ。引き返すことの出来ない道を進み続けて、桔梗にも見放されて。僕はどうすればよかったって言うんだ!」


 哉斗の言葉はまるで引き返したかったと言っているようにも聞こえて、どうしてこれを聞いているのが母さんじゃなくて僕なんだろう、と僕は苦い想いで歯を食いしばった。


「……貴方が、目を向けようとしなかったからでしょう! 母さんも合図を出していたはずだ。後戻りできるタイミングはあったはずだ……。なんで、もっと早く、その本音を吐き出してくれなかったんだ……」


「……っ! お前に何がわかる!」


 ガタン、とテーブルを乗り越えて、哉斗が恭哉の胸倉を乱暴に掴んだ。


「……桔梗とは二万年前からずっと一緒に生きてきたんだ。僕が一番桔梗のことをわかってあげられる、僕が一番桔梗のことを大切に想っているのに……。だんだんと掌から溢れていくんだ。大切にしたいのに……。大切にする方法を忘れていくんだ……」


 哉斗は僕の胸倉を掴んだまま、弱々しく吐き捨てると膝をついた。

 最早、取り繕う余裕もなくなってしまったのか、哉斗はうわ言のように語り出す。


「……きっと、あの日が最後のチャンスだったんだ」


「……あの日?」


「桔梗が僕に会いに来た最後の日。……桔梗がこの世界からいなくなった日……。桔梗は僕に言ったんだ。もう、終わりにしよう、って」


 懐かしむように語り出した哉斗の瞳はやっぱり虚ろで、吸い込まれそうな深い瞳が恐ろしかった。


「君の持っているその記録媒体、あの時桔梗が持っていたものと同じなんだろう。そこにある装置に接続することで、きっとこの世界のプログラムを破壊するはずだ。……もっとも、桔梗はそれすら出来なかったんだけどね」


「……母さんは、何をしたんだ」


「……何も」


「何もって……」


「何も出来なかったんだ……。桔梗の身体はもう限界を超えていた。……やっと会いに来てくれた桔梗が、久しぶりに僕に向かって微笑んでくれた。もう終わりにしようって言って、手を広げてくれた」


 僕を掴む哉斗の腕が震えていた。


「許されなくてもいい。桔梗が最後に微笑んでくれたから、最後に抱きしめて貰えたら、僕はもうどうなってもよかった。だけど、あれは僕への罰だったのかな……」


「罰……」


「桔梗のそばへ駆けていって、抱きしめようとした。けれど、抱きしめることも叶わないまま桔梗は倒れてしまったよ。会話を交わすことも出来ずに、桔梗は目をつぶったまま二度とその瞳に僕を映すことはなかったんだ……」


 そうか。

 ドラマみたいに劇的な何かがあった訳じゃない。

 感動の再会も、ドロドロとした復讐劇もない。

 母さんに許されることも、罵られることも、仲直りをすることも、愛を語り合うことも、何もなかったんだ。


 だから、この人は……どこへも進めなくなってしまったのか。


「僕は、桔梗の『死』を見つめるあの瞬間まで、桔梗が病気だったことも知らなかったんだ。……死んだ人間を生き返らせることは出来ないのに」


 どうして、優斗の身体がすぐに使用出来る状態で保管されていたのか。どうして、母さんはもう居ないのに、もう一体のクローンが存在しているのか。


「……父さんは、母さんが死んだことを受け入れられていないんだね……」


 僕の言葉に哉斗がつぅ、と一筋の涙を流した。


 それが、引き金だった。


「……もしかしたら、桔梗が戻ってくるかもしれない。未練がましくクローンの研究を続けたところで、桔梗は戻ってこないのにね」


 ひしひしと伝わってくる哀しみに、僕は言葉を飲み込んだ。


「桔梗がいない世界で、生きてなんていられない。僕はもう、疲れたよ……」


 カチリ。


 哉斗が自身の心臓の辺りを押し込むと、スイッチの入るような機械音がした。


 哉斗は僕を振り返ることなく、スタスタとコードの伸びている方へと向かうと、おもむろにマイクを手にして静かに言い放った。


「……僕を支えてくれた君達には悪いけど、もう……終わりにしようと思うんだ。僕の身体に埋め込まれたスイッチを押した、これからすぐにこの施設の倒壊が始まるから、巻き込まれる前に逃げて欲しい。ごめんね……もう、疲れてしまったんだ」


 施設内に繋がる放送なのだろうか。


 投げやりに、それでも一緒にこの世界を維持してきた仲間達を犠牲にするつもりはないようで、哉斗は放送で逃げるようにと指示を出していた。


「……やっぱり僕は、君の言う通り自分勝手みたいだ。……君たちも、早く逃げるといい」


 そう言った哉斗が余りにも穏やかに微笑むから、僕はやるせない気持ちになった。


(……どうしたら、この人の心を救うことが出来るんだろう。いや、この人を救えたのは……母さんだけなのに。僕じゃ、駄目なのに……)


 ふいに、ポケットの中に手を入れると、こつんと『KIKYOU』の入っている記憶媒体が指に当たった。



 もしかして、『KIKYOU』なら……。



「くそっ……!」



 一か八かの賭けだった。

 僕は『KIKYOU』を繋げる為の装置の元へと真っ直ぐ走ると、形状の一致する箇所へと記憶媒体を接続した。



「……母さんにしか、父さんは救えないんだ……っ!」



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