第77話 死の概念は削除されました

 



 黒服に取り次いでもらえば、ひそひそと耳につけた無線で伝言を伝えると、あっさりと隠し扉の前へと案内をされた。


 美樹から事前に聞いていた通り、隠し扉の向こう側は沢山の本で埋め尽くされていた。

 本棚の階段を抜けて、真っ白な地下施設へと出る。


 見たこともない機械が沢山並んでいるその部屋は、研究室だろうか。

 僕達の名前ばかりの研究室とは違うその部屋は、異様な空気感を醸し出していて、明らかに僕達の暮らしている世界と比べても化学が遥かに進んでいるように思えた。


「よく来たね。優斗は元気かい?」


 僕によく似た声に振り返ると、そこには僕にそっくりの白衣の男が立っていた。

 柔和な笑みを浮かべているこの男が、僕の父親……。真人から聞いた話と母さんの日記から読み取ったイメージと比べると、意外にも普通だ、と僕は思った。


 能面のように表情がないわけでも、感情のない声で話すわけでもない。ロボットのような人間を想像していたせいで、にこやかに立っている男に思わず拍子抜けしてしまう。


「おかげさまで元気にしているよ。……僕の知っている見た目ではなくなっていたけどね」


 皮肉めいた言葉がすらすらと出てきたことに自分でも驚きながら僕は言った。


「……不可抗力だったんだ。死ななかっただけ、感謝してもらいたいくらいなんだけどね。……大切な身体スペアをあげたんだから」


 そう言った哉斗の表情が少しだけ揺らいだような気がした。


「……大切な身体、ってどういう意味……」


「なんだ、気がついていなかったんだね。まだ成長させている途中でね、少し幼い状態だったけれど、君もよく知っているだろう。優斗かれに渡した身体は、桔梗のクローンだよ」


「……母さんの!?」


 今の優斗の顔を思い出してみると、確かに母さんの写真の面影はあるかもしれない。


 けれど、それ以上にこの哉斗おとこが母さんの身体を優斗に譲る。その事実が信じられなかった。


(……母さんにしか興味がなかったんじゃないのか……?)


 僕の疑問が表情から筒抜けだったのか、哉斗が呆れたようにやれやれと両手を上げて言った。


「別に、クローンは一体じゃないんだよ。あと一つ、桔梗の身体は残っているんだ。僕だってそんなにお人好しではないからね」

 

「……貴方がお人好しじゃないことなんて知ってるよ。でも、優斗を助けてくれてありがとう」


「……! お礼なら美樹に言うといい、彼女の真剣さが僕を動かしたんだから。……でも、まさかお礼を言われるなんて……君は素直だね。僕には似てないや」


「……僕を育てたのは母さんだからね」


 僕の言葉に、大した感情を抱かなかったのか、世間話でもするような感覚で何しに来たんだと聞きながら、部屋の隅にあるソファへと促された。


「まぁ、桔梗の身体は改良を重ねてるから、優斗にも負担はかからないだろう。それで、今日は何しにきたんだい? まさか、久しぶりに会った父親とお茶でもしに来たわけではないんだろう?」


 哉斗がテーブルを挟んで向かい側のソファへと腰掛ける。

 僕と姫花は促されるままソファへと座ると、僕は単刀直入に訊ねた。


「あながち、間違いではないかもしれないね。……僕達は、貴方と話に来たんだから」


「君の親友の母親を殺した人間と何を話すって言うんだい?」


 明らかに挑発しようとしている哉斗の言葉を聞き流す。


「僕はこの世界の謎が知りたい。貴方と母さんが、どうしてこんな世界を創ったのかを、僕は知りたいんだ」


 僕達は憶測でしか、真人の父親づてにしか、知らない。

 母さん達が何を思って、死んだ人の記憶を削除するような仕組みを創り出したのか、それを知らなければ僕はこの人を止めることなんて出来ないんだ。


「……いいよ、話してあげよう。僕と桔梗、始まりの科学者だった僕達が、どうしてこんな世界を創り出したのかを」


 僕を止めるのは君かもしれないからね、と聞こえるか聞こえないかわからないくらいの小声で、哉斗は呟くと長い長い昔話を語り出した。




 *




 時は遥か遠く、二万年前にさかのぼる。



 哉斗ぼくの生きていた時代、それは化学が発達し、あらゆることが電子空間に結びつけられた便利な世界だった。


 けれど、そんなに便利な世の中になっても、人間の力ではどうする事も出来ない問題が数多く残っていた。

 地球温暖化による環境問題は、電子化が進むのと比例して悪化していった。


 化学で発達した技術は兵器をつくる技術として利用され、それは温暖化を悪化させるばかりか、世の中に混乱を招いていった。


 ニュースで流れるのは毎日毎日、戦争のことばかり。一つ、また一つと国が地図から消えていった。


 便利になったかのように思えた世界は、以前よりも住みにくい世界へと変貌した。


 この頃の僕はしがない研究者の一人で、仕事として言われたことを研究する日々を過ごしていた。

 それが、人々を豊かにする為ではなく、戦争の道具に使われていることを知るのは、人類が滅亡の危機を迎えてからだった。


 戦争によって、人類は滅亡しかけることとなったんだ。生き残ったのは、全世界で僅かの二千人。


 国を超えて、僕達に残されたものは、大切な人を失った深い悲しみだけだった。この頃には、もう、それすら……残っていなかったのかもしれない。

 それほどに、僕達は大勢の『死』を見つめ続けた。


「僕達で、世界を作り変えよう」


 そう言った僕の言葉に、生き残った人々は手と手を取り合った。

 国籍も違う、言葉も違う。そんな僕達を繋いだものは、大切な人を失った悲しみと戦争への疲労からくる諦めだった。


 残された人類が求めたものは、『悲しみのない理想郷』だ。

 そんな空想にしか存在出来ないような理想郷を叶えたのは、皮肉にも科学技術を発展させた僕達、天才科学者だった。


 お互いの国を滅ぼした罪滅ぼしか、ただ本当に疲れ果ててしまっただけなのか。

 科学者達は、理想郷をつくることに成功したんだ。


 かつて、小さな島国のあった場所へ、人類最後の世界を造り上げた。


 僕達、科学者達は『消える世界の法則』を実行プログラムした。


 それは、死んだ人間に関する記憶を削除する法則。

『消える世界の法則』は生き残った二千人の遺伝子に埋め込まれた。

 これ以上、苦しまない為に、残りの人類は忘れることを選んだんだ。


『死』という概念の消失だ。


 それから、永い月日が経ち、人類は数を増やしていった。

 かつての滅亡しかけた世界を知るものは、理想郷を維持するプログラムを管理する為に、延命措置を受け入れた僕を含めた数人だけとなった。


 僕達の『理想郷』が完成したんだ。


「これからは、誰も『死』によって、悲しまなくていいんだよ。僕が、この世界を維持し続けてみせるから」


 もしかしたら、この言葉が僕にとっての呪いの言葉だったんだろうね。


 プログラムの管理をする僕達だけは、死んでいった人のことを忘れることは出来なかった。

 死体の処理に、死者についての記憶管理、身近な相手に記憶や喪失感が残ってしまっていれば、記憶操作が必要になるからだ。


 それでも、僕にはこの世界を始めた責任がある。

 だから、忘れられないことがどんなに辛くても、感情が麻痺したとしても、それでこの世界から悲しみがなくなるのなら、それで良かったんだ。


 次第に膨大な人間の記憶データに耐えられず、古いものから僕は自分の記憶も削除していったよ。

 それは、桔梗も同じだったはずなのに……桜と出会って、桔梗は僕を置いて変わってしまったんだ。


 桔梗も、真司くんも、君達も、きっと僕が間違っていると言うんだろうね。



 だけど、僕は僕達の選択が間違っていたとは思っていないんだ。



 ――だって、ここは完璧な理想郷なのだから。


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