第60話 残酷な人

 



「美樹も優斗も無事だったんだ。莉奈、もう泣くなって……」


 研究室からの帰り道で、ひっくひっくと嗚咽をもらす莉奈の背中をさすりながら、真人が困ったように慰めていた。


「……だ、だけど。優斗、大怪我しちゃってたんだよ。……死んでたかもしれないんだよ?」


「それはそうだけど……戻ってきただろ?」


「……そうだけど! でも、優斗の身体は、もう元には戻れないんでしょ……?」


「それは……」


 二人が無事だったという安心感と、優斗が死にかけたという事実から、泣き続けている莉奈を見て、真人はぽりぽりと頭をかいた。


(俺だって、あいつらが無事でほっとしてる。優斗に起きたことを考えるだけで、ぞっとする。……だけど、正直……あいつらが二人揃って戻ってこれただけで奇跡みたいなもんだ)


 身体がどうであれ、死ななかっただけで儲けもんだ、なんて薄情な本音を、今の莉奈に言う気にはなれず、真人は口を噤んだ。


「……莉奈。多分だけどさ、今……一番、責任を感じているのは美樹だ。それを分かっているから、優斗はあんな風になんでもないかのように振る舞っている」


「……うん」


「……わかるだろ? 俺達には想像もつかないくらい辛くても、それを表に出したくない奴だってこと」


「……うん」


「俺達に出来るのは、あいつに乗っかって、気にしてないって素振りを貫くことくらいなんだよ。……お前が泣いてたら、美樹なんて、立ち直れないだろ」


「……うん。……ごめんね」


「……いや、謝ることじゃない。その反応が正しいのは分かってるんだ。だけど……優斗の気持ちを汲んでやってくれ」


 そう言うと、莉奈はぐっと涙を拭って、空を見上げた。


「……うん。あたし達は、いつも通り。優斗の姿が変わったからって、何も変わらない」


「……あぁ」


「……言い聞かせてるだけだけどね。美樹と優斗が飲み込めるまで、見守らなくっちゃ……!」


 無理矢理作った笑顔を向けてくる莉奈の頭を、真人はぐしゃぐしゃと乱暴に撫ぜた。


「……っよし! 俺達は俺達で、親父と話をしないとな!」


 あからさまに明るく装う真人に、莉奈は小さく微笑むと、真人の服の裾を掴んで帰路についた。


「……おかえり。待っていたぞ」


「……ただいま」


 ぎこちない雰囲気で挨拶を交わす真人と真司を見かねて、莉奈が元気よく挨拶をする。

 あの日以来、落ち着いて話をする機会がなかったが、親子関係は挨拶をする程度には回復していた。


「……無事だったんだろう? ……良かったな」


 先んじて、莉奈から美樹と優斗が無事だった連絡を貰っていたのだと真司は言った。


「……あぁ。これでやっと、あんたの話が聞けそうだ」


「そうだな……。夕飯は出来ている、席について話そうか」


 真司に促されるまま、夕食の席につくと、ぽつりぽつりと呟くように真司は過去を語り出した。


「……あの頃の俺は、ただの気弱な研究者だった。出会いは偶然に等しかったものの、この世界の始まりの研究者である桔梗と哉斗、彼女達と共に研究出来ることを誇りに思っていた」


 真司は寂しげな表情で言った。


「そして、ずっと変わらずにいられるなんて……本気で信じていたんだ」




 *




「ねぇ、面白い事を考えついたわ」


「なんですか、桔梗さん。また、研究に関係ないことでも思いついたんですか?」


 桔梗さんがいつもの様に明るい調子で言った。

 真司おれが呆れたように聞き返すと、そうよ! と言って、聞いて聞いてと話を催促してくれと食い下がる。


「そうよって……はぁ、いいです。なんですか?」


「私と哉斗の身体のことなんだけど……。私達が、遥か昔から生きてるってことは知ってるでしょう?」


「はい。哉斗さんがこの世界で一番の権力を持っている……のを証明されるまでは、信じていませんでしたけど」


「ふふ……。それはもう、人類の最後の生き残りだったんだもの。あれからずっと生きてたら一番偉くもなるわ」


「そうでしょうけど……」


「それで、私達は管理者として生き続ける為に、クローン体に何度も身体を入れ替えて、生きてるわけだけどね……そんな面倒なことをしなくても、全部機械に変えてしまえばいいと思うのよ!」


 キラキラとした瞳で、とんでもないことを言う彼女はいつでも本気だった。

 そして、それをやり遂げてしまえる頭脳を持ち、やり遂げてしまえる時間をも持っている。


「はぁっ!?」


 それにしたって、自分の身体を自分でなくすことに抵抗を感じたりしないのだろうか。いや、最早クローン体に乗り換えることで、そんな感情はなくなっているのだろうか。


 そんなことを考えていると、今まで黙って聞いていた新入りが口を挟んできた。


「面倒って、何言ってるんですか」


 新入り、と言っても彼女は研究者ではない。植物を使った研究をした時から入り浸るようになった花屋の娘だ。今では、家政婦のように研究室の片付けや食事の用意なんかを手伝ってくれている。


「もうっ、そんなこと言って、哉斗さんが聞いたら悲しみますよ?」


「どうして、哉斗が悲しむの?」


 純粋に分からない、と首を傾げる桔梗さんに、新入り……桜が困ったように問いかける。


「……だって、お二人は私が想像もつかないくらい昔からの恋人なんですよね? そんな相手が体温も感じられない身体になるなんて……」


「体温なんて感じられなくても生きていけるわよ?」


「そういうことじゃなくて……えっと、哉斗さんのこと好きなんですよね?」


「好きよ? 哉斗が死んでしまったら生きていけないくらい」


 けろり、とした表情で言ってのける桔梗さんに、桜は混乱しているようだった。


「そんなに好きなら……」


「でも、そうね。私か哉斗のどちらかが、万が一死んでしまっても……悲しくて生きていけなくならないように忘れてしまうから大丈夫よ」


 桔梗さんの言葉に、桜は息を飲んだ。


「好きな人のことを忘れたくない……なんて思わないんですか?」


「だって、私と哉斗……管理する人がいなくなってしまったら、この世界はまた終わってしまうわ」


 真司おれは、何も言えずに二人の会話を聞いていた。


「それに、覚えてなんていたら、死んでしまうわ。……そうやって死んだ人を何人も見たんだもの。覚えていないから、生きていける。私達はそうやって生きてきたんだもの」


 そう言って微笑んだ桔梗さんは、心の底から桜が何を言ってるのかわからないようだった。


(……桔梗さんは、自分が言っていることが、悲しい事だと気づいていないんだ)


 二人の噛み合わない会話を聞いていて、桔梗さんと哉斗さんに感じていた違和感の正体がやっとわかった気がした。


 研究者として尊敬した。憧れた。この人達のすることに疑問を持たなかった。


 けれど、永い時を生きていた彼女達は……ずっと子供のままなんだ。


 二人から感じる普通と違う無邪気さは、辛い過去と永い時間によって壊れた心の一部だと思っていた。

 だけど、そうじゃない。

 あれは壊れた訳じゃない。大人になって積み重ねたものが、誰かの死で記憶を無くすたびに消えてしまっていたんだ。


 あの人達の心は、記憶と一緒に消えてしまったんだ。




 *




 散々感じていたもやもやの正体が分かったところで、何の解決にもならなくて、ふらふらと屋上の扉を開けると、真司おれは慣れない煙草に火をつけた。


「こんなところで、何をしているんですか?」


 急に話しかけられた声に、勢いよく振り返ると、そこには桜が立っていた。


「君こそ……こんな時間までどうして?」


「ふふ。質問に、質問で返すんですね」


「す、すまない。その、人と話すのはあまり得意じゃないんだ」


「冗談ですよ、謝らないで下さい」


「そ、そうか。すまない」


「ふふ。また謝ってる」


 つい癖で謝ってしまう俺を見て、桜がおかしそうにくすくすと笑っていた。


「……でも、意外です」


「……なにがだ?」


「桔梗さんと話している時と、印象が違うなって思って」


「あぁ、あの人の事は尊敬しているから」


「……桔梗さんには、哉斗さんがいますよ?」


「……そういうのじゃない。研究者としての憧れだ」


「そうなんですか? 哉斗さんと話している所をあまり見かけないから……もしかして、なんて思ってました」


 そう言うと、何が楽しいのか、桜はころころと笑っていた。なんとなく、その表情から目が離せなかった。


「哉斗さんの事も尊敬している。ただ、あの人はなんとなく話しかけにくいっていうか……。あまり近づいて欲しくないみたいだからな。そういう距離感ってあるだろう」


「……そういうの、素敵ですね」


「同じ研究者だから、二人の凄さがわかるんだ」


 そう言った俺の言葉に、桜は屋上のフェンスに手をかけると伏し目がちに呟いた。


「私が、おかしいんですかね。私は、研究者じゃないから……さっきの桔梗さんの話を聞いていて、悲しくなりました。なんで悲しくなったのか、桔梗さんに上手く伝えられない事に、また悲しくなりました」


 俺ですら感じたんだ。一般人よりの彼女がそう考えるのもおかしくはない。


「この世界の仕組みが間違ってたとは言えません。……桔梗さんの言っていたとおり、きっと記憶があると生きていけないから」


「……そうだな」


「でも、記憶がないから。……今の桔梗さんは悲しい事に気づけないんです。真司さん……。貴方は、今のこの世界が間違っていると思いますか?」


 そう問いかける桜は、俺にも同じ考えでいて欲しいと言っているようで、俺は研究者として素直な気持ちを答えることにした。


「俺は、研究者として……あの人達のしたことが間違っていたとは思っていない。そうしていなければ、人類は確実に絶滅していたと言い切れる」


「そう、ですか……」


「だが、今の桔梗さんが欠けているのは俺でもわかる」


「……っ!」


 一瞬、桜の瞳がキラリと輝いた気がした。


「恐らくだが、桔梗さん達の心は壊れてはいない。何も知らない子供みたいなもので……少しずつでも教えていけば心も成長する、だろう」


「本当ですか!?」


「あ、あぁ……」


「なら、私……頑張ります! 何が悲しくて、何が嬉しいか、桔梗さんに思い出して貰います!」


 俺の意見を述べただけのつもりが、想像以上に食いついてきた桜に、どうしてそこまでするのかと訊ねてみる。


「桔梗さんが心を取り戻したら、私と友達になってもらうんです! 私と友達になれてよかったって思ってもらいたい、私のことを忘れたくないって思ってもらいたい。それだけです!」


 なんて明るい表情で、酷なことを言うのだろう。

 あの人達にとって、それは何よりも忘れてしまいたい感情のはずなのに。


「あの話を聞いて、忘れたくないと思わせるなんて……少し、残酷じゃないか?」


「そうかもしれません。でも、それでも我が儘な私は、忘れないで欲しいんです! だって、元々この世界は残酷だから!」


「……ふん。酷い奴だな」


「はい! 酷いんです、私!」


 輝いてみえる彼女の表情から、俺は目が離せなかった。


「でも、まぁ、嫌いじゃないよ。そういうの……」


「……っ! 私も、真司さんみたいな不器用な人、嫌いじゃないですよ」


「…………そうか」


 そして、真司おれはこの日から、事細かく日記をつけるようになった。


 残酷なあいつの事を、忘れたくないと思ってしまったから。


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