第58話 まだ、覚えてる
プルルルルルルル――。
無機質な着信音が、延々と研究室で響いている。
「くそっ……! なんで、美樹も優斗も出ないんだよっ!」
真人は苛立ちを隠さずに、持っていたスタパットを勢いよくソファへと叩きつけた。
「あの日から、もう五日も経っているのに……」
カレンダーを確認するように横目で見ると、赤いペンで書かれたバツ印が二人の不在を主張している。
どうしようもない焦りに、僕は髪をくしゃくしゃと混ぜ返して頭を抱え込むと、小さな声で呟いた。
「……二人なら大丈夫。まだ、僕は覚えてる……」
そう言った自分の台詞に、自分自身でも驚きと後悔を隠せず、僕は思わず自らの手で口を覆った。
それは、まるで二人がいつ死んでもおかしくないことを認めているようで、しんと静まり返った部屋の温度が更に下がったような嫌な気持ちになった。
「……まさか、直接連絡がつかないからって、記憶の削除をこんなふうに使うとは思わなかったよ……」
力なく乾いた笑いをこぼした僕の肩を、暗い表情をした真人がぽんと叩いた。
「……仕方ないだろ。今はあいつらを覚えてるってことだけが、あいつらが死んでいない証明になっちまってんだから」
「……うん、ごめん。軽率だった」
ちらりと姫花と莉奈の方を見ると、満足に眠れていないのか、目の下には隈があり、二人とも酷い顔色で俯いている。
なんの情報もなく、ただただ集まっては美樹と優斗の無事を祈るだけしか出来ないのだから、二人が疲弊するのも無理もなかった。
――パタパタパタ。
「……っ! ねぇっ、今の足音!」
足音が聞こえたのだと、急に莉奈がばっと顔を上げた。耳を澄ますと、小刻みに掛ける足音が聞こえてきて、さっきとは打って変わって莉奈の表情がぱぁぁ、と明るくなった。
「美樹だよ! 美樹の足音だ!」
莉奈は涙を目に滲ませて、嬉しそうに笑うと研究室の扉を勢いよく開けた。
「もうっ、どこに行ってたの……! 心配してたんだからっ!」
扉を開けて、美樹と目が合うや否や、莉奈はぎゅっと美樹を抱きしめた。
「ん……? 誰……? 美樹の友達……? ……ってか、優斗は一緒じゃないの……?」
美樹の隣に、見知らぬ少女が立っていたことに気づいた莉奈が不思議そうに訊ねると、美樹は気まずそうに少しだけ視線を逸らした。
「それが、一応ボクが優斗なんだよね〜」
聞きなれた口調で、のんびりと自身を優斗だと名乗る少女に、僕達は顔を見合せた。
そんな事は有り得ない。そう思いながらも、このタイミングで少女がそんな嘘をつく理由も、美樹が見ず知らずの人を連れてくる理由もなく、この状況が真実であると受け入れる他なかった。
「……本当に、君が優斗……なのかい?」
「そうだよ〜。恭哉くんと話したこと、皆と話したこと、全部覚えてる」
「その姿は……? いや、その前に今まで何処にいたのか、何があったのか、教えて貰えるかな。僕達も……二人のいない間に進展があったから、状況を共有しておきたいんだ」
「もちろんだよ〜。ちょっとだけ、長くなるんだけど……こんな姿になっちゃったこと、この世界の真実に近づいたこと、話してもいい?」
話し方がいつもの優斗だからだろうか、仕草の端々に優斗である証を感じるからだろうか、中身が優斗である安心感からか、意外にも僕は何事も無かったかのように初対面の少女を優斗として認識しているようだった。
気兼ねなくいつも通りのやり取りで、ソファへと向かう僕達に、優斗が小さく胸を撫で下ろすのが見えた。
「……本当は優斗が一番混乱しているはず……なんだもんね」
のんびりとした口調も、へらへらと微笑むゆるい空気感も、あれは僕達を安心させる為の優しさであることを僕はもう、知っていた。優斗が不器用なほどに、器用で周りを見ている男なのを、僕と真人は気がついていた。
「美樹と優斗がいない間に、教授が死んだんだ」
ソファへ腰を落とし、膝に拳を乗せて、皆の日記をテーブルの上に並べながら、僕は告げた。
ただ、美樹と優斗も気づいていたのか、大して驚くことなく自分達の日記を並べだした。
「記憶が無くなったから、やっぱりそういうことだとは思ってたんだよね〜。それで、流石に今は引き返そうと思っていたんだけど、図書館がバタバタしていて扉を閉められちゃったんだ〜」
「お前ら! 行くなって言われていたのに、やっぱりあの日、図書館に行ってたのか!」
「うん。どうしても、この目で見たいものがあってね。美樹ちゃんとは共犯、だよ」
長い髪を靡かせて、可愛らしくウインクする姿が妙に様になっている。
この行動ですら、空気を変えたい時の優斗のやり口を思い出させて、なんだか不思議な気持ちになる。美樹が重荷を背負わないように、優斗らしく戦っているんだろう。
「掻い摘んで話すけど、ボク達は図書館の隠し通路に入ったんだ。本棚の階段を抜けると、扉があって……その向こう側は真っ白な病院とか研究室って感じの近未来的な施設だったよ〜」
「はい。図書館の地下とは思えない、地上の発展した都市でも見かけないような……オーバーテクノロジーがそこにはありました……」
「そこで、ちょっとだけナイフで刺されちゃって死にそうになっていたボクを、通りすがりの白衣の人が助けてくれたってわけ」
「はぁあああっ!?」
淡々と告げられる優斗の身に起こった出来事を聞いていると、聞き捨てられない言葉がぽんぽんポップコーンのように湧き出てきてしまう。
僕はその言葉をごくり、と飲み込んで、まずは落ち着いて話を聞くことにした。
「見たこともない機械に囲まれた部屋でね、この身体……自我のないクローン体と呼ばれるこの身体を見せられたんだ。死ぬ前にこの身体に、脳のデータを……記憶を、感情を、コピーすれば……これがボク。なんだってさ〜」
「クローン体……。聞いている限り、かなり僕達のこの世界よりも図書館の地下の方が文明が進んでいるみたいだね。これは、ロストテクノロジーだよ」
「そ。さすが恭哉くん。ボクは本物のボクだって思っているわけだから、死んではないし、助かってよかった〜なんだけど……。なかなか壮大なスケールになって来ちゃったよね〜」
そこまで話すと、何が起こるかわからない状況で、今日中に全ての情報共有を済ませたかった僕達は、まずは事実のみを報告し合うことにした。
「えぇと、まとめると……美樹と優斗は図書館の地下施設に侵入、命の危機を経てクローンの身体に記憶のコピー、そこで助けてもらった僕にそっくりな男が僕の父親でこの世界の中心人物であることがわかった、んだね」
美樹と優斗がこくりと頷いた。
「それで、私と恭哉くんは教授からメモを預かって、教授が死ぬところ、黒服が生徒を捕まえるところを目撃しちゃったこと。あとは、その時の状況を日記に残してた内容くらいかな……」
「俺達は、親父が思っていたより深くこの世界を知っていることを知った。恐らく、恭哉の母親と父親はこの世界の中心人物だ。詳しい話は今夜の夕食の時に教えてくれるっつー話だけど……」
それぞれのチームで、急に想定よりも多い情報が手に入ったことで、何から手をつければいいのかと、僕は頭を捻らせた。
「教授が死んでしまってからのこと、優斗の身体のこと、抱えている問題は多すぎるから……。まずはこの世界の根幹に関わってきそうな、僕の両親について考えるのが良さそうだね」
「まぁ、そうだな。俺らの親父ルートからも、恭哉の家の家探しからも、美樹達の実際に話した感じからどんな人なのかがまとまっていけば、この世界がこうなった理由に近づけるかもしれないからな」
ガタン。
急に優斗がよろけて壁にぶつかる音がした。
「ごめ〜ん。ちょっとぐらついちゃった〜」
えへへ、とお茶目なポーズをキメて見せるが、誰が見ても馴染んでいない身体の負荷であることはわかった。
「美樹ちゃんと優斗くんの無事が確認できたし、とりあえず、今日は帰ろうか?」
今まで静かに話を聞いていた姫花が小さな声で呟いた。
「私も、今の話で整理しておきたいこともあるし……、皆も凄く疲れているから……少し休んだ方がいいよ」
心配そうに眉毛を八の字に歪める姫花に、僕らはふふっと笑みをもらした。
「そうだね。ここのところ、気の休まる日がなかったならね……。明日はおやすみにしよう。それで、話を整理したい人や、動きたい人は明後日に逐一グループ連絡をしながら行動をすること。危険な所には近づかないこと。……いいね?」
まずは休息が何より必要であることを伝えると、夏休み前の先生のような気持ちで、念を押した。
もう、こんなに生きた心地のしない一週間は、二度とごめんだ、と僕はこっそり優斗を見つめた。
「よし、俺もそれで異議なしだ。立て続けに違うところで違うことが起きてて、よくわからなくなってもいるしな。休み中にまとめておくよ」
「ありがとう、真人」
皆も状況の整理が必要だと、僕の提案に賛同すると帰る支度を始めていった。
(僕の両親が、この世界の中心人物かもしれない……)
それが本当ならば、僕は全てを知る必要がある。
この世界を創った理由。
この世界の幸せの形。
『死』の概念がない世界が、間違っているのか、正しいのか。
この行く末に、僕が選び取らなければいけないような、そんな気がした。
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