第18話 あたしの左側半分

 



「……何か、あったの?」


 完全に記憶にないといった様子で、莉奈が訊ねる。


「お前の様子が落ち着くまで、抱き締めてたんだ。……あの時のお前に、お母さんを見せないほうがいいと思ったから。でも、背中越しに倒れているのが見えたんだろ。慌てて俺から離れて、お母さんの元に駆け寄っていたよ」


「あたしは……なんて、言ったの?」


「お姉さん、大丈夫? こんなところで眠ったら、風邪ひいちゃうよ? ねぇ、真人くん。この人、すっごく手が冷たいよ? 寒そうだから、この人も一緒に連れてっちゃダメかなぁ? って……」


 真人は悲しそうな表情で、莉奈の目を見つめた。


「お前が、そう、言ったんだ。俺は、お前が泣いてるとこから、忘れてしまうところまで、ずっと見てた。恭哉の言ってたことが脳裏をよぎったよ」


 流石にあの時は怖かったな、と真人が呟く。


「怖くなって、親父を呼んだんだ。そしたら、お前のお母さんを見て、言葉を失って……。それで、後は任せろって言われて……」


「言われて……?」

 

「お前の母さんを、親父はどこかにやってしまった。あの人がどうなったのか、いくら聞いても聞く耳を持たなくて、何も答えちゃくれなかった」


「それって……。真人がお父さんをよく思わなくなったのって、もしかして、あたしのせい……?」


「まさか、違うよ。それも一つのきっかけではあるけどさ。俺は、自分の母さんについて、聞いた時のことで親父に腹が立っているんだ」


「……そっか。でも、あたしがあの時、そんな風になってたなんて知らなかった……。やっぱり、記憶がなくなっちゃってたんだね」


 掌を見つめて、ぎゅっと莉奈は掌を握った。


「それも、今ならわかる。消えているのは、死んだ人に関係する記憶だけ」


「あぁ。多分、俺がお前の母さんを覚えてるのは、交流も思い出もなくて、ただ、お前がお母さんと呼んでいた事実を知っていただけだから、忘れてなかったんだろう」


「……真人には、消える記憶が、元々存在してなかったってことだよね」


「……大丈夫か? 嫌なら、無理に話さなくても、誰も何も言ってきたりしないと思うぞ」


「そうだね。皆はきっと何も聞かないでいてくれる。でも、あたしは大丈夫だよ! これでまた一つ、消える記憶と消えない記憶の差がはっきりしたわけだし、皆の役に立てると思うし!」


「そうか……。そうだな。莉奈は、そうやって笑っていたほうがいい。お前が泣いていると、俺まで悲しくなるからな」


「ふふっ、じゃあ……ずっと笑ってるよ! いつでも、真人の前では笑ってる!」


「そういうことじゃなくて……」


 真人は気恥しそうに、ぽりぽりと頬をかく。


「泣きたい時は、俺の前で泣け。そうしたら……お前に笑顔が戻るまで、ずっと一緒にいてやるからさ」


 真人の言葉に、一瞬だけ莉奈が固まる。

 逆光のせいで、莉奈の瞳が潤んだのを、真人は見えていなかった。


「……まったく! そういうとこ、真人は優しいんだから! そんなんだから、あたしは……」


(どんどん、真人を好きになっちゃう。その優しさに……胸が締め付けられて、泣いてしまいそうになる)


「ん? なんだ?」


「なーんでもないよっ! あたしのお兄ちゃんが心配性すぎるなーって話だよ」


「そりゃあ、莉奈は特別だからな。血の繋がりはなくても、俺たちは家族だからな。俺だって、何があってもお前の味方でいるさ」


「……ありがと。あたしにとっても、真人はずっと特別だよ」


 真人が、特別だと言ってくれる。

 真人が、唯一の家族だと言ってくれる。

 それでも、妹以上にはなれなくて、真人の本当の特別にはなれないから……。だからこそ、莉奈はこの関係が嬉しくて辛かった。


(きっと、あたしの笑顔は左側半分だけ、隣にいる貴方に見せられるの。もう半分は、きっと真人の望む笑顔じゃないから……)


「ねぇねぇ、今日のご飯は何にしよっか?」


「肉系だと嬉しいんだけどな」


「ねぇ、真人」


「ん、なんだ?」


(真人に拾われたあの雨の日から、あたしの心も命も、全部全部、真人のものなんだよ。言うつもりもないけど、叶わないとしても心の中で想ってるくらい、いいでしょ?)


「ん、肉系なら高いお肉がいいなーって!」


「全く、本当に莉奈は花より団子だな」


「あったりまえじゃん!」


 本当は、団子になんて興味はない。

 本当は、花にばかり見惚れている。


(だけど、どうか真人には気づかれませんように……)


 晩御飯のメニューをあれやこれやと考えている真人を、莉奈はちらりと横目で盗み見る。


(いつも、あたしの左側を歩いてくれる真人には、貴方に恋をしている、あたしの右側は見えていないんだよね)



 夕日のせいか、真人のせいか。

 莉奈の右頬が紅く染まっていることを、真人が気づくことはなかった。




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