第16話 『死』って、なに?

 



「それにしても、よく、痕跡を残さないことまで気が回ったね……」


 姫花の友達がその先に進んで消されてしまったのだとしたら、その先に進まずに、扉からも痕跡を消しておいた美樹の判断は最前だったのだろう。


 幼い美樹の行動に、僕は素直に感心してしまった。そんな恐ろしい状況で、僕ならそんなに冷静に行動出来ただろうか。それも、幼い子供の頃に。


「それで、その拾った本にはどんな重要なことが書かれていたんだい?」


「それは……」


 少しだけ言いづらそうに、美樹が言葉を濁した。


「その本が『死んでしまう』ことに、関係する本だったってことか」


「そう、なんですけど……違うんです」


「どういうことだ?」


「その本はただの短編集の小説だったんです」


「なんで、そんなもんが厳重に管理されてたんだ?」


「ただの短編小説。だけど、あらすじには『7つの死の物語』って書いてあって……。どれも誰かが物語だったんです」


「また、『死んでしまう』か……」


 真人が眉間に皺を寄せると、大きく溜息をついた。


「おそらく、『死んでしまう』というのも、『死ぬ』というのも、どれも『死』という言葉の言い方を変えたものなんです。『死ぬ』というのは、存在そのものがなくなる、消える、いなくなることに近い意味みたいです」


 存在の消失。それは、確かに僕らが疑問に思っていることと同じだ。


「死んだ人は、そこに身体があっても、意識もなく、心臓も動かず、息をしてない状態を示すそうです。そして、それはいなくなることよりも、忘れることよりも辛いこと……らしいです」


「いなくなるより、忘れるよりも辛いこと……」


 つまり、今の僕達は何より辛い『死』というものを、忘れてしまっているのだろうか。


「近い言葉は沢山あるのに、その言葉だけがなくなっている。それも、その様子じゃ、意図的に消されている」


「真人さんのお母さんは、きっと死ぬことの意味を知っていたんです」


「そうか……。そういえば、手紙には他にもよくわからないことが沢山書いてあった。それに、親父や恭哉の母さんらしき人に対する謝罪みたいなのとか、後悔みたいなのとか……」


 そこまで言って何かを考える素振りをしていた真人が、はっと何かに気づいたようで大声で言った。


「もしかしたら、親父達も今の俺達みたいに……この世界の謎を暴こうとしていたのかもしれない!」


「はっ? 何いきなり言ってんの!」


 ぎょっとしたように、莉奈は持っていたティーカップから、紅茶をこぼしそうになって慌てて姿勢を整えた。


「いきなりじゃない。そういうことだったんだ。あの手紙に書いてあったんだよ! 親父に対して、貴方は間違っているだとか、恭哉の母さんはきっと自分達よりも大きな何かを抱えてるとか!」


 再び興奮したように、真人の声がどんどんと大きくなっていく。


「この世界は、哀しくて……おかしな世界だってこと。あれは、母さん達が、この世界について何かを知っていたということか!」


「ちょ、ちょっと待ってってば! そんなこと一気に言われてもわかんないし、それってつまり、同じことしようとしても意味ないってことじゃない?」


「なんでだ?」


「だって、あんたのお父さんは、この世界の謎ってやつ、全部知ってるってことなんでしょ!」


「親父は知らない。知っているなら、そのことを明らかにしてるはずだ」


「でも、それじゃあ、知らないってことは、お父さん達は挫折したってことでしょ! さっきの話が本当にこの世界の謎に繋がってるんなら、二人のお母さんは死んじゃってる。それって、あたし達だって……!」


「俺は、親父とは違う!」


 段々とヒートアップしてきた会話が、真人の怒声でぴたりと止まった。

 真人が声を荒立てるところなんて、長い付き合いの中で、僕も初めて見たかもしれない。


 真人のあまりの剣幕に、莉奈もびくりと縮こまった。好きな人に怒鳴られたのだ。萎縮してしまったとしても、仕方がない。


「莉奈……」


 泣き出しそうになりながらも、涙が出るのを堪えている莉奈の肩を、心配そうに姫花が自分の方へと引き寄せた。


 静まり返った研究室の中で、時計の音だけが響いている。


「大丈夫かい……?」


「…………悪い。大きい声出して」


 真人は気まずそうに目を逸らすと、小さく頭を下げて謝った。それでもバツが悪いのか、莉奈の方を向けないようだった。


「気にしなくていいよ。誰だって触れられたくないことも、直視したくないこともあるからね」


「……ははっ、サンキュー。でも、微妙にオブラートに包みきれてないぞ?」


「不器用なものでね」


「それ言えば、なんでもオッケーだと思うなよ?」


 よかった。

 いつもの真人だ。


 僕と真人はいつものようなくだらないやりとりを始めるが、やはり部屋に漂う空気は、ずっとぎこちないままだ。

 他の四人も、どうしていいのかわからずに、話に入って来れずにいるようだ。


「あぁ、もうこんな時間だね。カーテンを閉めきっていたから忘れていたよ」


 今日は一度解散したほうがよさそうだ。

 僕はわざとらしく、ちらっと時計を見るふりをして、皆に帰り支度を促した。


「それじゃあ……。今日は一度帰って、また明日集まるでいいかな?」


「あぁ、それでいい。皆……、空気を悪くして悪かったな」


「次は、皆の意見もまとめようね。また明日」


 半ば無理矢理帰らせようとする僕に、優斗、美樹、姫花、莉奈は一言だけ挨拶をすると、それぞれの家へ帰っていった。


「さっきは助かった。……いつも、気を使わせて悪いな」


「かまわないよ。あれくらい、気遣いなんて言わないさ。それに、僕の方が普段からフォローしてもらっているしね」


「……そうか」


「そんなことよりも。僕より莉奈にフォローしてきたら? 落ち込んでいると思うよ」


「……だよな。あー、やっちまった! 流石にあれは悪いことしたよ……。莉奈のやつ、すげーびびってたもんなぁ……」


 真人が、やっちまったと顔を手でおおった。


「ほら、気になるなら早めに謝らないと。後だと、どんどん言いにくくなってしまうよ? 戸締りなら僕がやっておくから、ね?


「……おう。行ってくる」


「いってらっしゃい」


「とりあえず、サンキューな。んじゃ、また明日」


 真人が出て行くのを見届けると、僕も鍵を閉めて研究室をあとにした。


 真人は、莉奈に謝ることが出来ているだろうか。


 なんとなくだけれど、僕も知らない何かを莉奈は知っていて、真人にも、他の皆にもまだまだ知らない隠し事があるのだろう。


 そして、それは僕の話と同じように、この『死』という概念に疑問を抱いているということは、きっと明るい内容ではないのだろう。


 そんなことを考えると、明日は、誰からどんなことを言われるのか、僕は少しだけ不安になって、小さな石を蹴飛ばした。


 それでも、また明日も研究室で皆に会えるという単純な事実が、今はとても心地がよくて、僕はただ、その喜びを噛み締めた。



「夕日がやけに綺麗に見えるなぁ」



 それはきっと、気の所為ではないのだろう。


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