第32話 苦戦
くるみは京王百貨店に到着すると、すぐにフロアガイドを確認し、和菓子屋がある階へと向かった。エスカレーターで一階と地下一階の間にあるMB階へ下りると、惣菜屋、洋菓子屋、弁当屋などさまざまな店舗がずらりと並んでいた。その中に和菓子屋が集まっている一角があり、くるみはさっそく目の前の和菓子屋の女性店員に声をかけた。
「すみません」
「はい」
「こちらにおはぎは売っていますか?」
「ああ、ごめんなさいね。うちはどら焼き専門店だから、おはぎは取り扱ってないのよ」
よく見ると確かにショーケースに並べられているのはどら焼きばかりだ。
「あ……すみません」
くるみは頭を下げながら、さっとその場を離れた。恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じた。確かに和菓子屋ではあるが、どら焼き専門店ではどうしようもない。
同じミスを繰り返さないようによく確認していくと、ひとつの和菓子に特化した専門店もあれば複数の和菓子を取り扱う店舗もあり、その中でショーケースにおはぎが置いてあるのは二店舗だけだった。
ひとつは月風庵という複数の和菓子を取り扱っているお店で、ようかん、栗饅頭、お汁粉などの中に、おはぎもあった。
くるみはその店の若い女性店員に声をかけた。
「あの、すみません」
「はい」
「UKCという競技に参加している者なんですけど」
「UKC……はい」
女性店員の眉間にシワが寄った。
「ご存知ですか?」
「今やってるやつですよね」
「はい。それの出場者なんですけど、今私のペアのお題がおはぎなんです。なので、もしよければ、こちらのおはぎをひとつ貸してもらえないでしょうか」
「……少々お待ちください」
そう言うと女性店員が奥のほうにいた中年の男性に声をかけた。おそらく店主なのだろう。男性がくるみの元へやってきて、
「UKCだって?」
「はい。おはぎをお借りしたいんです」
「申し訳ないけど、協力はできないね」
「ひとつだけでいいんです」
「ひとつだけでとはなんだ。ひとつの菓子を作るのにどれだけの手間がかかると思ってるんだ」
「すみません。そういうつもりで言ったんじゃないんですが」
くるみは頭を下げた。
「あんなくだらないゲームなんかに、協力なんかできないね」
「そこをなんとか、お願いできないでしょうか」
くるみは必死に頼み込んだ。
すると店主がDBに目をやり、
「おい、勝手に撮るんじゃない! 許可してないだろうが!」
DBを叩き落とすような仕草をしながら怒鳴った。
「すみません。失礼します」
店主のあまりの剣幕に、これ以上粘っても無理だと判断したくるみは、慌てて店を離れた。
次におはぎを取り扱っているもうひとつの甘王堂という店に足を運んだ。大福が評判のお店としてくるみもその名を知っているが、おはぎも三種類取り揃えられていた。
相当な人気店のようで、次から次へと客が訪れている。スタッフは女性が三人と男性が一人いて、くるみは六十代くらいの店主と思われる男性に声をかけた。
「あの、すみません」
「はい」
くるみは自分がUKCの出場者であることや、お題がおはぎであることを早口で説明し、貸してくれないだろうかと頭を下げた。
「UKCですか……申し訳ありませんが、協力はできかねます」
丁寧な言い方だったが、男の目からは絶対に妥協しませんよという明確な意思が感じ取れた。
「UKCというのが引っかかりますか?」
「ええ、まあ」
「UKCは視聴率も高いので、宣伝効果も大きいと思うのですが」
「いえ、あのような競技にうちの商品を貸し出すのはイメージが悪くなりますので。以前にも一度、和菓子を貸してくれと参加者の方が来られたことはありましたが、お断りさせていただきました」
「どうしてもダメですか」
「ええ。ごめんなさいね」
「そうですか……わかりました。ありがとうございます」
甘王堂はすでに人気店だ。評判を下げるリスクが少しでもあることにわざわざ協力する必要などないと考えるのは、当然といえば当然だ。
おはぎを取り扱っているお店さえあれば、借りることはそれほど難しくはないだろうと思っていたが、甘かった。お店の宣伝になるので喜んで協力してくれるのではないかと考えた自分が恥ずかしい。
くるみは建物の外へ出た。太陽の日差しに思わず顔をしかめながら、博が奮闘しているであろう小田急百貨店のほうへと歩いて行く。
*
小田急百貨店の地下一階には複数の和菓子屋があったが、おはぎを取り扱っている店舗は二店舗だけだった。
博が最初に声をかけたのはおはぎで有名な久太郎という店で、ショーケースには見たこともないようなさまざまな種類のおはぎがずらりと並べられていた。博は店長だという男性に対し、会社員時代に培った完璧な角度のお辞儀を披露しつつ丁寧にお願いしてみたが、取り付く島もなくきっぱりと断られた。
ショックを受けながらもなんとか気持ちを立て直し、博は今、おはぎを取り扱っているもうひとつの店の前に立っている。
いきなりお願いするよりも、少し話をして親近感を与えてからのほうが断られる可能性が低くなるのではないだろうか。そう考えた博は、咳ばらいをひとつしてから、五十代くらいの人の良さそうな女性店員に声をかけた。
「こんにちは」
「はい。いらっしゃいませ」
「このおはぎ、美味しそうですね」
「ありがとうございます。美味しいですよ」
「ほかのお店はぜんぜん置いてなかったんで、見つけた瞬間嬉しくなっちゃいました」
「うちも普段は取り扱っていないのですが、今は秋のお彼岸なので期間限定で販売しております」
「秋のお彼岸? ああ、なるほど、そうなんですね」
「ええ」
おばさん店員はニコニコ顔で頷く。
ここだ。ここで仕掛けるんだ。
「あの、私、UKCの出場者なんですけど」
「ああ、ダメです」
おばさん店員は博の言葉に被せてくるように言った。すごい瞬発力だ。
「貸してほしいってことですよね?」
「ええ」
「それは無理です」
「ダメですか」
「はい。以前、一度だけ貸し出したことがあったんですけど、テレビを観た人からものすごい数のクレームがきたんですよ。それ依頼ご協力はしない方針になったんです」
「そうですか……わかりました」
博はがっくりと肩を落とし、店の前から離れた。目の前におはぎがあったにもかかわらず借りられなかった。悔しさが腹の底からこみ上げてくる。多少強引でも、もっと粘ってみればよかったかもしれない。
せっかく秋のお彼岸の時期に合わせておはぎを販売していたというのに……。
お彼岸? 秋の、お彼岸……。
博の頭にひらめくものがあった。
お墓だ!
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