第23話 ふみと文子
到着したのは、競馬場に向かう途中で見かけた葬儀場だった。駐輪場にバイクを停め、表に回る。
「葬儀場?」
「ここならいるだろ。悲しみに沈んでる奴がよ」
タイチがニヤリと笑う。不謹慎極まりないが、それを不謹慎と思う常識やモラルはない。
入口の前に設置されている立て看板を見ると、どうやらこれからここで通夜が行われるようだ。
「確かに一人や二人はいるかもな。でもそんな状況の奴が一緒に来てくれるのかよ」
「やるしかねえよ。いざとなったら土下座でもなんでもしてやるぜ」
二人は躊躇することなく建物の中へと入っていった。
受付の前をそのまま通り過ぎて、ロビーへ足を踏み入れた。そこでは喪服に身を包んだ人々が集まり、静かに会話を交わしていた。通夜まではまだ時間があるようで、早めに到着した参加者がここで待機しているのだろう。
穏やかな笑みを浮かべる老人、涙を拭う男、ただぼうっと窓から景色を眺めている女。さまざまな表情をした人々がタイチの目に映る。
この中から、【悲しみにくれる人】に当てはまりそうな人物を見極めて声をかけなければいけない。全員がそのようにも見えるし、全員が該当しないような気もする。
いきなり現れたガラの悪そうな二人に、その場にいた人々の視線が集中する。
「どうするよ」
たくみが不安げな声を出す。
「とにかく声かけていくしかないだろ」
とはいうものの、誰に声をかければいいのかわからない。
焦りと緊張で上半身に汗が噴き出してきて、Tシャツが肌にべっとりと張りつく。
「あの、失礼ですが」
急に声をかけられ、驚いて振り返る。タヌキのような丸顔の、スタッフと思われる女がそこにいた。
「通夜に参列される方でしょうか」
「お、おう。そうだよ」
「では、受付をしてもらえますか」
「あとでやるよ」
「本当に参加される方でしょうか」
女の表情が険しくなる。
「そうだっつってんだろ」
そう強気に出てはみたが、その目を見れば女がまったく信用していないことは明白だ。
「部外者以外は立ち入り禁止です」
女が冷淡な表情で言い放つ。
タイチは睨みつけたが、女は一歩も譲らない。毅然とした態度で「お引き取りください」と言った。
「わかったよ、うるせえな」
もうひと言でも何か言われたら殴ってしまうかもしれない。これ以上タヌキを相手にしても意味がないと判断し、とりあえず外へ出る。
「なんだよクソ。こんなとこ来ても、どうにもならねえじゃねえか」
ここに来た時の勢いが嘘のように、タイチは呆然と立ち尽くす。
「おい、あそこ」
たくみが遠くのほうを指さしている。葬儀場の敷地内ギリギリのところにベンチが置いてあり、黒い服を着た一人の女が座っていた。女はうつむき加減でその表情は読み取れないが、かなり若そうに見える
タイチはなぜかその少女に惹きつけられ、近づいて行って声をかけた。
「おい、ここで何してるんだ」
少女はゆっくりと顔を上げ、タイチを正面から見た。思っていた以上に幼い顔をしている。中学生くらいかもしれない。
「べつに」
少女が答えた。
「お通夜の参列者じゃねのか」
「そうだよ」
三人掛けのベンチが二つ並んでいて、タイチは隣のベンチに腰を下ろした。
「もうすぐ始まるんだろ」
「どうでもいいよ」
「出ないのか」
「出ない」
「誰が死んだんだ」
「おばあちゃん」
「お前の?」
「そう」
「名前は」
「
「いや、お前の名前だよ」
「ふみ」
「ふみ? ばあちゃんがふみこで、お前がふみ?」
「そう」
「気に入ってるのか、その名前」
「うん」
ふみの声は極端に小さく、聞き取るのが難しい。
そこでタイチは覗き込むようにしてふみの顔をはっきりと見た。目が真っ赤だった。
「つかぬことを聞くがよ。お前、悲しみにくれちゃってたりする?」
ふみはたっぷりと間を空けてから、
「うん」
と言って頷いた。
「そうだよな。わかるわ、その気持ち」
ふみは何も言わず、そっとタイチに顔を向けた。
「いや、俺もばあちゃんっ子だったからよ。死んだ時はがらにもなく泣いたよ」
まったくの嘘だ。タイチの祖母は二人とも生きている。もう何年も会っていないが。
「お前、通夜に出る気がないんだったら、ちょっと協力してくれねえか。UKCって知ってるか?」
「……知ってる」
「俺ら、今UKCに出てるんだけどよ、お題が悲しみにくれる人っていうクソみたいなお題なんだよ。それでその、なんだ、悲しんでるとこ悪いんだけどよ、一緒に来てもらえねえかな」
ふみは考えているのか無視しているのかわからない表情で自分の手元を見ていたが、やがて口を開いた。
「いいよ」
「ほんとか?」
ふみが小さく頷く。
近くで二人の話を聞いていたたくみも「おっ」と驚きの声を漏らした。
「よし、なら来てくれ」
タイチはふみの手首を掴むと、強引に引っ張っていくようにして駐輪場まで連れていった。
誰かに見つかったら困る。さっさとここを離れなければいけない。
「俺はこいつを乗せていくからよ、お前はタクシーでも拾ってくれ」
「おう、わかった」
「マルタの前で落ち合う。いいな」
「オッケー」
たくみはそう言うと駆け出していった。
タイチはタンデムシートを叩いて、
「乗ってくれ」
ふみがゆっくりと足を上げながらまたがる。
「俺の腰に手を回してガッチリ掴んどけよ」
そう言ってから、ふみの頭にヘルメットを被せる。
バイクを発信させて正面のほうへ回ると、入口の前に一人の女がいた。女は辺りをきょろきょろと見回している。ふみの母親だろうか。だとしても関係ない。承諾を得ている暇はないのだ。
新宿まではあっという間だった。法定速度を気にしないタイチだがらこその早わざだが、たくみの到着を待たなければいけないということを考えると、早く着いても意味はなかった。
駐輪場にバイクを停め、ヘルメットを脱ぐ。気配を感じて視線を上にやると、すっかりその存在を忘れていたDBがそこに浮いていた。一台しかいないということは、もう一台はたくみに張り付いているということか。あれだけ飛ばしたのに見失わずについて来やがるとは、思った以上に高性能な野郎だ。
新宿マルタの入り口前で、たくみが来るのを待つ。いくら新宿とはいえ、眼光鋭い金髪ピアスと喪服姿の少女の組み合わせは明らかに浮いていた。通行人が二人に視線を向けてくるたびに、タイチのイライラは増していく。
「お前、中学生か?」
沈黙の気まずさに耐えかねて、ふみに声をかけた。
「……中二」
「そうか……」
そこから先、言葉が出てこない。妹もいなければ、親しい後輩の女もいない。これまで二人の女と付き合った経験はあるが、どちらも年上だった。年下の女、ましてや女子中学生など、どう接すればいいのかさっぱりわからない。
無理に話しかけることを諦め、一服しようとポケットから煙草を取り出したが、中身が空だった。
「クソッ」
空箱を握り潰し、地面に叩きつけた。
足元に転がっている空箱をふみが拾い上げ、
「おばあちゃんが吸ってたのと同じだ」
「煙草吸ってたのか?」
「うん。ヘビースモーカーってやつ」
「死んだのは、それが原因か」
「違う。交通事故」
ふみは拾い上げた空箱をタイチに向かって突き出した。
「ゴミ箱に捨てなきゃダメだよ。おばあちゃんヘビースモーカーだったけど、ポイ捨てだけは許さない人だった。小学生の時はよく一緒に道に落ちてる吸い殻拾いしてた」
知るかよ。俺は用済みと判断したタイミングで捨てるだけだ。その時にゴミ箱がそこになけりゃ置いていないほうが悪い。ひしゃげた空箱をもう一度投げ捨ててやろうかと思ったが、また何か言われても面倒なので、ふみの手からひったくるように掴み取ると、そのままポケットに突っ込んだ。
コンビニに煙草を買いに行くか。そう考えた時、目の前でタクシーが停まり、中からたくみが飛び出してきた。
「悪ぃ、待ったか? 運転手のおっさんがトロくてよ」
そんな言い訳はどうでもいい。煙草も後回しだ。
「行くぞ」
三人はエレベーターに乗り込み、リッキーの待つスタジオへ向かった。
ニコチン不足のイライラで、七階に到着するまでの数十秒が永遠にも感じられた。
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