第22話 リスク

○ 片山大輔・片山緑 初日15時


 緑は二杯目のカレーうどんのスープを、ズズズッと豪快な音を立てながら一滴残らず飲み干した。


「あ~、旨かったわ」


 満足そうな顔でお腹をなでる。

 安くて美味しそうな店を探していると西部新宿駅前にカレー屋を見つけ、何気なく入った。千円以下のメニューがカレーうどんしかなかったため、仕方なくそれを注文したのだが、あまりの美味しさにもう一杯注文してしまった。

 時間を無駄にしたくはないのでゆっくりしてはいられないが、カレーうどんを二杯も食べてしまったせいですぐに動くのはきつい。店はかなりの人気店のようで、順番待ちの客が列をなしていたが、緑はつまようじをシーハーしながらしばらく休憩する。


 カレーうどんの余韻を味わいながら、最初のお題で獲得した五千万円のことを考える。途端に緑の全身が幸福感で満たされていく。この調子でいけば億万長者になるのも夢ではない。いや、もうすぐそこ、掴めるところまできている。


「緑ちゃん、お客さん待ってるから、そろそろ出ないと」


 だらしない笑みを浮かべている緑に大輔が声をかける。


「ん? 何よ、うるさいわね」


 せっかくのいい気分をぶち壊すんじゃないよ。


「出して」


 緑が手のひらを突き出す。


「……何を?」

「KARIMOに決まってんでしょ」

「ああ」


 大輔が素早い動作でバッグからKARIMOを取り出し、緑に手渡す。


「緑ちゃん、次もグリーンでいくつもりなの?」

「当たり前でしょ」

「さっきはたまたま成功したけど、そううまくはいかないと思うんだよね。だからもう少し慎重に……」

「バカなこと言ってんじゃないよ。チマチマやってたら優勝した時にもらえる賞金が少ないじゃないの」

「それはそうだけど……」

「それに、あたしの名前も緑だから、グリーンカードは縁起がいいでしょ」


 そう言うと、フィリピンバナナのような太い人差し指でKARIMOをタップし、グリーンカードを選択する。

 

【サーフボード】


 示されたお題を見て、緑が顔をしかめる。

 サーフボードって、あのサーフボードのことよね? サーフィンの時に使うやつ。あんなスポーツの何が楽しいっていうのかしら。板に乗ってバランス取ってるだけなのに。


「何が出たの?」


 大輔が聞いてくる。


「ねえ、緑ちゃん?」


 首を伸ばし、緑の手元を覗き込んでくる。

 緑は突然立ち上がった。

 氷が溶けきったグラスの水を一気に飲み干すと、隣の席の客が振り向くほど大きな声で言った。


「湘南に行くわよ」


      *


○ 金崎タイチ・岩瀬たくみ 初日15時


 煙草の吸える喫茶店でコーヒーを飲みながら立て続けに三本吸ったタイチが、外へ出た途端に新たな一本に火をつけた。


「次はシルバーでいくか」

「シルバー? マジで言ってんのか」

「おう、マジだぜ」


 タイチが真剣な表情で言う。


「めちゃくちゃ難しいんじゃねえのかよ」

「だろうな。でもよ、俺たちなら絶対いけるって。根性が違うんだからよ。それにほかのチームにグリーンとかシルバーとかクリアされたら一気に引き離されるぜ。だから早めにこっちも勝負かけねえとダメなんだよ」


 たくみはタイチの目をじっと見つめると、


「そうか。そうだな。お前が言うなら信じるよ」

「おう」


 くわえ煙草のまま、タイチがポケットからKARIMOを取り出す。


「一億三千万だよな。なんか緊張するな」


 たくみの声が微かに震えている。


「どうってことねえよ」


 タイチがシルバーカードをタップする。

 たくみも画面を覗き込む。


【悲しみにくれる人】


「ん?」

「なんだよこれ。どういう意味だよ」

「悲しみにくれてる奴を探せってことか」

「意味わかんねえ。そんな抽象的なのもあんのかよ。どうやって探すんだよ」


 たくみがイラ立った声を出す。

 二人してしばらく沈黙し、考え込む。

 短くなった煙草を捨て、次の一本に火をつけて深く吸い込んだその時、タイチの頭にある考えが浮かんだ。


「ギャンブルだな」

「ギャンブル?」

「ギャンブル場なら大負けして絶望してる奴がいるだろ。競馬とかボートレースとか」

「ああ、なるほど」

「俺の親父もそうだったしな」


 小学生の時、父親に連れられて競馬場に行った記憶が蘇る。有り金を全部突っ込んでオケラになり、馬券を握りしめたまま呆然としていた父親の姿が。


「ならパチンコ屋でもいいんじゃねえのか」

「パチンコで大負けしてもせいぜい数万だろ。その程度の悲しみじゃおそらくダメだろうな」

「なら、どこ行くよ」

「競馬場だな。ここからだと、府中の東京競馬場が近いな」

「有名なとこだな。バイクで行くか?」

「おう」


 無類のバイク好きのタイチは、日頃からどこへ行くにもバイクを使う。今日も埼玉から新宿までバイクに乗ってきた。二人はバイクを停めてある近くの駐輪場へ向かった。タイチは愛車のレブル250が傷をつけられていないか入念に確かめる。


「おい、早くしてくれよ」


 たくみが急かす。


「はいはい。ほらよ」


 ヘルメットをたくみに渡し、バイクにまたがる。

 轟音を轟かせ新宿の繁華街を出発すると、猛スピードで都会の喧騒の中を走り抜けていく。

 東京にある競馬場には、バイクを飛ばして何度か行ったことがある。通称府中競馬場と呼ばれる東京競馬場にも一度だけ行ったが、虎の子の二万円が一瞬にして消えた苦い思い出しかない。


 赤信号につかまりバイクを止める。何気なく視線を横にやると、葬儀場が目に入った。葬式の準備に追われているのか、喪服を着た数人の女が慌ただしく動いている。

 俺が死んだら、葬式に来てくれる奴はいるのか? そんな思いが頭をかすめた。たくみはおそらく来るとは思いうが、それ以外は確実に来るだろうと思える奴がいない。

 何が葬式だよ、くだらねえ。死んでから誰が何人来ようがどうでもいい。好きなことだけやって野垂れ死んでやらあ。


 信号が青に変わり、再び走り出す。

 やがて、東京競馬場の門が見えてきた。東門の横にある駐輪場にバイクを停める。

 競馬場に足を踏み入れると、その広大な敷地には多くの人々が集まっていて、場内全体に興奮と期待が漂い、独特な熱気に包まれていた。


「で、どうするよ」

「大損ぶっこいて絶望してそうな奴を探す」


 それから二人で手分けしてスタンド席エリアを歩きながら、目を凝らして確認していく。一階席から二階席、そして三階席へ移動してみるが、多少興奮している奴はいても、オケラになって絶望していそうな人間は一人もいない。

 四階席でたくみと合流する。どうだ? と聞いてみるが、「まったくダメだ」と言って首を左右に振った。


 タイチがクソッと言って顔をしかめたその時、スタンド席がドッと湧いた。振り向くと一頭の馬が団子状態から飛び出し、勢いそのまま二着以下に大差をつけてゴールを駆け抜けた。騎手が拳を突き上げて喜びを爆発させている。


「なんだよ、ちくしょうがっ」


 すぐ近くからそんな声が聞こえてきた。

 視線をやると、五十代くらいのおっさんが馬を睨み殺すかのような表情で悔しがっている。

 何かを感じ取ったタイチはおっさんに歩み寄り、声をかけた。


「なあ、おっさん」

「あ? なんだよ」

「今のレース、負けたんだろ? どんだけ負けたんだよ」

「なんなんだよ。なめてんのか」

「なめてねえよ。聞いてるだけだ」

「そんなことお前に関係ねえだろ」

「あるかもしれねえから聞いてんだよ」

「は? うるせえよボケ。どっか行けよ」


 おっさんが怒鳴った。


「てめえ、人が下手に出てりゃよ」


 タイチがおっさんに詰め寄る。


「おいやめろ。手え出すと失格になるぞ」


 たくみがタイチの腕を掴み、そのままスタンド席の外へ連れ出す。


「あのおっさん連れていっても、【悲しみにくれている人】じゃなくて、【怒り狂ってる人】になるだろ」


 アホのたくみにしては鋭いことを言う。


「一服してくるわ」


 喫煙室に行き、煙草をくわえてポケットからライターを取り出すが、オイルが切れていて火が出ない。なんだよクソ。百均の安モンが。


「わりぃけど、火貸してくんない?」


 隣にいたおっさんに声をかけた。

 おっさんはタイチに睨みつけるような視線を送ると、煙草を灰皿に投げつけるように捨ててそのまま出て行った。


「殺すぞボケが」


 タイチが怒りに身を震わせながら吐き捨てる。あのおっさんも大損ぶっこいて機嫌が悪かったのか? にしても、火ぐらいいいだろうが。普段なら間違いなくぶん殴っていたところだ。

 まったくムカつくぜ。狂気の借り物レースに出ているというのに、ただの火すら借りられないとはな。

 ここでこれ以上ウロウロしても意味はない。何か別の方法を考えないとダメだ。

 スタンド内にあるコンビニでライターを購入し、もう一度喫煙室に向かおうとしたその時、ふとある光景が頭に浮かんだ。

 あそこなら……いるかもしれねえな。


「おい、行くぞ」


 たくみに声をかける。


「あん? どこにだよ」


 それには答えず、タイチは駐輪場目指して駆け出した。「おい、待てよ」と慌ててたくみが後を追う。


「早く乗れ」


 愛車にまたがり、たくみに向かって叫ぶ。


「だからどこ行くんだっつうのよ」


 その声を無視し、たくみがタンデムシートにまたがった瞬間、レブル250は猛スピードで走り出した。

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