第21話 青梅市民の二人
○ 門脇リコ・門脇ミコ 初日15時
無理をせず、ブラウンカードのお題をひらすらクリアしていくという作戦に変更はない。早い段階で難易度の高いお題に挑戦して脱落するのはUKCにおいて一番の愚行だ。
【ターミネーター2のDVD】のお題をクリアして三百万円を獲得した時、リコは身体の芯が震えるほどの興奮を覚えた。最も低い獲得賞金額ではあるが、幼少期からお金に苦労してきたリコにとって、三百万円はそれほどの大金なのだ。
妹のミコは「三百万円なんて、優勝を狙うことを考えたらはした金でしかない」などと言っていたが、自分たちのやるべきことを淡々とこなしていけば、ほかのペアの状況次第ではあるが、コツコツ三百万円を積み上げていく作戦だけでも、大いに優勝の可能性はあるはずだ。
「カード、選ぶよ」
「うん」
とミコが頷く。ミコはコンビニで買った抹茶のドーナツをかじっている。ファストフード店で昼食を済ませたばかりだが、店を出て十分も経たないうちにお腹が減ったと言ってコンビニに駆け込んだのだ。
リコはKARIMOを操作し、ブラウンカードを選んだ。カードがくるりとめくれ、お題が現れる。
【海水】
「海水? 海水って、あの海水だよね。海の」
ミコの問いに、「だろうね」と答える。
「てことは、海に行けばいいってこと?」
「そういうことね」
「東京って、海あったっけ?」
「本気で言ってる? あんた東京人でしょ」
「青梅市民だから」
「それを言うな。誇りを持ちなさい誇りを」
大学の友人にも「青梅市って群馬だっけ?」と、知っているくせにいじられることがよくある。青梅市を愛するリコはこの手のノリが好きではない。
「わたしも東京で海があるとこに行ったことがないから詳しくはないけど、パッと思いつくのは、お台場かな」
「ああ、お台場ね。それはさすがに知ってる」
「海に面した大きな公園があった気がする。そこへ行けばいいんじゃないかな」
「なんか曖昧だね。海に行く以外の方法はないの? 魚屋さんに行ってみるとか」
「それは、どうだろう……とにかく海まで行けば確実に手に入るんだから、それが一番いいでしょ」
「しょうがない、行くか」
ミコが面倒くさそうに言う。しょうがない、とは何だ。余計な一言を付け足してしまうのはミコの悪いクセだ。文句があるなら何か建設的な案を出せばいいのにと思う。昔から自分で考えることはせず、姉の意見に乗っかることで要領よく生きてきた女、それがミコだ。
「で、お台場って、何区?」
ミコが聞いてくる。
「……わかんない」
「この青梅市民が」
JR新宿駅で駅員のおじさんにお台場にある海に面した大きな公園について尋ねると、それはおそらくお台場海浜公園のことで、地下鉄で汐留まで行き、ゆりかもめに乗れと丁寧に教えてくれた。
おじさんはきっと、そんなことはスマホで調べればいいだろ、と思ったはずだ。実際そんな表情をしていた。ごめんねおじさん、忙しいのにくだらないことを尋ねて。
「ほかのチームって、どうなってるんだろうね」
地下鉄の車両に乗り込み、並んで座席に腰を下ろしてすぐにミコが口を開いた。
ほかの参加者のことが気にならないというと嘘になる。いや、間違いなく気にはなる。ブラウンカードだけを選んでコツコツ小さな賞金を積み上げていく作戦である以上、ほかの参加ペアがリスクを取って勝手に脱落していってくれることが勝利への鍵となるからだ。
だが、ほかのペアの状況を知るには、自宅、ホテルの部屋、飲食店、家電量販店など、テレビが置いてある場所でUKCの放送を確認するしかない。とはいえ、それでもテレビをずっと観ているわけにはいかないため、得られる情報といってもたかが知れている。
確実に全ペアの状況を知れるのは、午後九時からの途中経過の発表だ。テレビ中継の中で、その時点での全ペアの獲得賞金や脱落の有無などを発表し、その情報は同時刻にKARIMOにも届くことになっている。
「まだどのペアも大差ないでしょ。始まったばっかりなんだし」
「KARIMOでいつでも確認できるようにしてくれたらいいのにね。各ペアの現在の情報をさ」
確かにそれはいいかもしれない。でも、それができたらずっとKARIMOをチェックし続けてしまいそうで、それはそれでしんどそうだ。
汐留駅からゆりかもめに乗り替える。窓の外をぼうっと眺めていると、すぐに海が見えてきた。
リコの脳裏に懐かしい思い出が甦る。あれは、家族五人で行った海。小学一年生くらいの頃だった。波打ち際で駆け回り、海水浴を楽しんだ。どこの海だったかは覚えていないけれど、それほど遠くではなかったような気がする。
記憶はぼんやりとしている。だけど、リコとミコが乗った小さなゴムボートを父親が泳ぎながら押している場面だけは鮮明に覚えている。まだ二歳だったカコが浜辺で母親と砂遊びをしていたとことも、薄っすらとだが記憶にある。
笑顔いっぱいに海を満喫した一日。それが家族みんなで過ごした最後の思い出となってしまった。
リコが小学三年生の時、父親が交通事故で死んだ。突然の出来事に、残された家族は深い悲しみに包まれた。孤独な時間が流れる中、母親は娘たちのために再婚を決意する。男は母親が勤めていた保険会社の上司で、十歳年上の寡黙な男だった。
新しい家族での生活は、初めは穏やかなものだったが、次第に男の本性が露わになり、家庭は暗い影に覆われていく。男のDVが激しくなり、その被害は母親だけでなく三姉妹にも及んだ。
辛い日々が三年ほど続き、母親はついに離婚を決意する。
今思うと、三人の娘を一人で育てていくことに金銭的にも精神的にも限界を感じ、焦っていたのではないだろうか。自分がときめきを覚える相手ではなく、娘三人を成人まで不自由なく育てられる安定を求め、その結果として、ろくでもない男をつかまえてしまった……。
男は母親と別れたあと、しばらくは消息不明だったが、数年後に門脇家の近所にアパートを借りて住み始めた。男は経済的に困窮していて、たまに母親にお金をせびりに来るようになった。リコやミコがいない時を狙ってやって来ては、泣きながら頭を下げるのがお決まりのパターンで、悲しいことに、人のいい母親は別れた元夫に同情してお金を渡してしまうのだった。リコやミコがいくらやめろと言っても、「あの人も可哀そうな人だから」と言ってきかなかった。
泣きながら頭を下げるのだって、演技に決まっている。どこまでも図々しく、狡猾な男に心底腹が立つ。母親のことを思うと、不憫でならない。カコの病気が治ったら、今度こそ幸せを掴んでもらいたい。
ゆりかもめが静かに停車する。目的地であるお台場海浜公園駅に到着した。
まだ車内なのに潮の香りがしたのは、きっと気のせいだろう。
「ところでさ、海水を取れる場所があったとして、それを何に入れるの?」
「……あ、考えてなかった」
「ちょっとぉ、お姉ちゃん、しっかりしてよ」
「わたしのせいにしないでよ」
「せいにはしてない」
「何事も二人の責任なんだから」
「はいはい」
ミコが気だるそうに言う。不毛なやり取りにうんざりしながら、リコは目に入った自販機で、280mlのペットボトルの緑茶を購入した。
「これに入れたらいいんじゃない?」
「なるほど」
中身を空にするために、リコはひと息に緑茶を飲み干した。
「あ、私も飲みたかったのに」
「買えばいいでしょ」
「これだから青梅市民は」
ミコは憎たらしい表情でそう言うと、自販機に向かって歩いて行った。
リコは妹の背中を見つめながら、ふぅ~っと長めに息を吐いた。キンキンに冷えた緑茶が身体を駆け巡り、力が漲ってくるのを感じた。
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