第20話 元エースの球速

「さあ、続いて戻って来たのは柿谷ペアです。お二人は早くも本日二度目のお題チェックとなります」


 オープニングも合わせるとリッキーと絡むのは三度目だが、この日本人離れした陽気さには、この先何度接しても慣れる気がしない。


「柿谷ペアが選んだのはグリーンカード、お題は【球速140キロ以上出せる人】です。その可能性を秘めているのがこちらの方というわけですね」


 リッキーが腹沼を手で示す。


「はい」


 くるみが短く答える。


「腹沼さん、でしたね。いやまさか、キスを条件にするとは驚きましたよぉ」


 言いながらリッキーが顔をしかめる。


「え? なんで知ってんの?」

「おやおや、気づかなかった? あれカメラですよ。ずっとくっついて撮ってましたから」


 リッキーが指さしたほうに視線をやった腹沼は、宙に浮いているDBを見て驚きの表情を浮かべる。


「……なんか飛んでるなとは思ってたけど……そっか、カメラだったのか」

「ええ、観てましたよぉ。ゲスですねえ、実にゲスです。でも最高のキャラですよあなた」


 腹沼の顔を指さしながら、嬉しそうに言う。


「自己紹介しときます? お店やってるんでしょ? いい宣伝になりますよ」


 リッキーの言葉に、腹沼の顔がパッと輝いた。


「腹沼雄二、三十三歳、『じゅうじゅう』ってお好み焼き屋のオーナーやってます。品川と川崎と歌舞伎町にあるんで、ぜひ食べに来てください!」


 大声でアピールしながら、握った拳をカメラに向かって突き出した。現金な男だ。


「いやでも、キスの件があるから、炎上して大変なことになる可能性もありますよねえ」

「ちょっと、脅かさないでよ」

「今からの頑張り次第じゃないですか。カッコ良くビシッと百四十キロ以上出してクリアすれば、好感度も回復するってもんですよ」


 そんなことで腹沼の好感度が回復するとは思えない。すでにSNS上では悪意の呟きが垂れ流され、お店には嫌がらせの電話がかかってきているのではないだろうか。そうであってほしいとくるみは願った。

 リッキーと腹沼が喋っている間に、スタッフが的の付いた捕球ネットを素早く準備する。


「ボールはこちらの硬球を使用してもらいます。チャンスは3回です。あの的に向かって投げるだけで球速がすぐにスクリーンに表示されますので」


 三つのボールが入った箱を腹沼に見せながら、リッキーが早口で説明する。


「ちょっと準備運動してもいい? 肩をあたためてから投げないとケガしちゃうから」

「どうぞどうぞ、ご自由にしてください」


 腹沼は肩を回したりストレッチをしたり、シャドーピッチングをしたりと、投球前の準備を入念に行う。

 くるみはその様子をじっと見つめていた。

 腹沼は四十代半ばに見えるが年齢は三十三歳だと言っていた。まだガタがくる年ではないのだろうが、お腹がぽてんと出ているのが気になる。身体は鍛えていると言っていたが、本当だろうか。


「よし、こんなもんかな」 


 十分程度軽い運動をしただけで、腹沼のライトグレーのインナーには大きな汗ジミが広がっている。


「準備オッケーでしょうか」

「オッケー」


 腹沼の顔には緊張感が感じられない。この状況を楽しんでいるようにも見える。


「ではでは挑戦していただきましょう。二年連続甲子園出場。エースピッチャーとしてベスト8の実績を誇る腹沼さん。果たして百四十キロ以上を出せるのか。それでは一投目、どうぞ!」


 腹沼が渾身の力でボールを投げる。

 スクリーンに出た球速は……百二十九キロだった。

 客席から「あ~」とため息がこぼれる。


「う~ん、なるほど」


 と腹沼は呟いて、グルグルと右肩を回す。ゆっくりと頷きながら、二球目を手に取る。


「二球目、お好きなタイミングで投げてください」

「投げまーす」


 一球目を投げて一分程度しか経っていないというのに、早くも次を投げるのか? もう少し投げ方について考えたり、呼吸を整えるなりしたほうがいいのではないだろうか。

 くるみがそう考えている間にも、腹沼の投げたボールは的に当たり、バンッっという音が大きく響いた。


 表示された球速は……百三十三キロ。


「あーとっと、二投目もざんねぇぇぇん!」


 リッキーが叫ぶ。


 あっという間に二球を投げてしまった……。

 失敗したらくるみか博のどちらかが連行されるということを腹沼は知らないのか? 言っておくべきだったか? たとえそれを伝えていたとしても、腹沼のやる気が増すとは思えないが。

 チャンスはあと一回しかない。

 番組的には盛り上がるのだろうが、くるみは気が気ではない。

 博も表情を失ったまま、呆然と突っ立っている。


「腹沼さん、あと一球ですが、いけそうでしょうか?」

「うん、感覚はだいぶ掴めたよ。もう少し足を高く上げてみようかなぁ」


 腹沼が軽い調子で言う。


 次……失敗したら、どちらかが脱落となる。

 冷や汗が額を伝い、息が苦しくなってくる。

 くるみはパニックになりかけていた。


「クリアできたら、もう一度キスしてあげる」


 腹沼の耳元でそう囁こうと思った。

 少しでも腹沼の本気度を高めて成功する確率を上げないといけない。効果があるかどうかはわからないが、やらないよりはマシだ。

 決意を固め、腹沼に近づこうとしたその時、腹沼は「でいっ」っと雄叫びを上げながらボールを投げた。


 的に突き刺さる。ドンっという鈍い音。

 え? 投げたの? そんな、あっさりと……。


「あーっと出ましたー。百四十一キロ~!」


 リッキーの声が聞こえる。

 急なことに、成功したのか失敗したのか、一瞬わからなかった。


「クリアぁぁぁ!」


 リッキーの声がくるみの頭にキーンと響いた。

 成功したのだと理解すると同時に、全身の力が抜けていく。


「はぁ……よかった……」


 博が安堵のため息を漏らす。


「どうよ、水樹ちゃん」


 腹沼が胸を張る。


「ありがとうございます」


 軽く頭を下げる。腹沼の協力には感謝するが、一秒でも早くこの男から離れたかった。

 客席に手を振っている腹沼を残し、くるみはさっさとスタジオを出て行く。

 建物の外へ出て新鮮な空気を吸った途端に、腹沼とキスをした時に感じたチーズのような臭いが鼻の奥に蘇ってきて、えずきそうになった。

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