第37話 因縁

 何の面白味もない大輔との暮らしは退屈極まりなく、ただ惰性で結婚生活を続けていただけだった。それだからなのか、約二十年連れ添った大輔が連行されても、緑は少しの寂しさを感じることもなかった。UKCで優勝した場合、特典として一億円で連行されたパートナーを復活させられるが、もちろん優勝しても大輔を復活させるつもりはない。


 緑は冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、一気に飲み干した。

 大きなゲップをしてから、KARIMOを手に取る。大輔がいないため、次のお題をクリアできなかったらペア消滅となってしまうが、緑は攻めの姿勢をやめるつもりはなかった。

 ひと呼吸入れてから、緑色のカードをタップする。カードがめくれてお題が現れる。


【ダイヤモンドの指輪】


 その文字をじっと見つめながら、どう動くべきかを考える。

 自分はもちろんダイヤの指輪など持っているはずがなく、持っている人を探して声をかけまくるのもしんどい。大輔がいればその役目を押し付けられたのに。

 そこでふと、緑の頭にある人物の顔が浮かんだ。


「あのコなら持ってるかもしんないわね」


 お金持ちの二世議員と結婚した、小中学校時代の同級生の真知子だ。

 緑は十数年前、同窓会に参加したことがあった。自宅に案内状が届き、特に会いたい同級生などいなかったが、日々の生活があまりにつまらなかったため、たまにはイベントごとに参加してみるのもいいかと思い、気まぐれに参加を決めたのだった。

 そこで再会したのが真知子だった。小中学生の頃は地味で目立たない存在だったのに、その時の真知子は派手な洋服とメイクでめかし込み、話し方にも自信が滲み出ていて、まるで別人のようだった。


 話すことと言えば旦那と娘の自慢ばかりで、緑はその口に料理の皿を突っ込んでやろうかと思うほど辟易しながらも、自分とかけ離れた世界の話を興味深げに聞いてしまったのも事実だ。

 同窓会が終わり解散となった後、まだ飲み足りない話し足りないという女子たち数人でどこかで飲み直そうという流れになった。そこで真知子が自宅が近いからよかったら来ないかと言いだし、なぜか緑にも声がかかり、嫉妬心でムカつきまくっていたはずなのに、真知子の生活ぶりがどれほどのものか興味が湧き、思わず行くと言ってしまった。

 真知子の家はまさに豪邸と言える一軒家で、室内は見るからに高級そうな調度品で溢れかえり、地下にはワインセラー、屋上には小ぶりではあるがプールまで設置されていた。勝ち誇ったような顔でそれらを案内していく真知子を見ながら、来るんじゃなかったと激しく後悔したのをはっきりと覚えている。


 緑は新宿から山手線に乗って目黒へ向かった。十数年ぶりだったがほとんど迷うことなく真知子の家までたどり着いた。あの頃と何も変わっていない、優雅な雰囲気を纏ったまと一軒家がそこにあった。胸くそ悪い。唾でも吐きかけてやろうかしら。

 旦那や娘、家政婦なんかが応答したら面倒だな。そう思いながらインターホンを押した。


「はい」


 すぐに女の声で応答があった。


「こんにちはぁ」


 緑はインターホンのカメラレンズを覗き込んだ。


「どちら様でしょうか?」

「真知子? 真知子でしょ? 緑よ緑。み、ど、り」

「……緑? あ、え? 緑?」

「そうよ。久しぶりぃ」


 緑は笑みを浮かべて手を振る。


「おーい。聞こえてる?」

「……あ、うん。緑、どうしたの?」

「あのね、結論から言うと、ダイヤの指輪を貸してほしのよ。持ってるでしょ?」

「ダイヤの指輪? なんで?」

「あたし、UKCに出てんのよ」

「UKC? ほんとに?」

「ほんとほんと。で、今出されてるお題がダイヤの指輪なのよ。知り合いで持ってそうなのあんただけだから、貸してほしいなと思って」


 そこで言葉を切って真知子の反応を待つが、返ってきたのは沈黙だった。


「おーい、真知子さ~ん」

「ああ、ごめん。えっと、ダイヤの指輪ね」

「そうそう。持ってる?」

「うん。まあ、持ってるけど」

「貸してよ、ね? お願いだからっ」


 緑は大きな声で言った。


「おねがーい! 真知子さーん!」


 大口を開けてインターホンに向かって叫んだ。急に緑の口がアップになって、驚いた真知子が向こうでひっくり返っているかもしれない。


「わかったわかった。わかったから大きな声出さないで。……ちょっと待ってて」


 三分ほど経過し、もう一度インターホンを鳴らして怒鳴ってやろうかと思った時、玄関が開いて真知子が出てきた。久しぶりに見た真知子は同窓会で会った時と外見はほとんど変わっておらず、髪の毛はツヤツヤ、肌もぷるぷるだった。お金をたっぷりかけてアンチエイジングに励んでいるのだろう。


「これでいい?」


 真知子が青い指輪ケースを差し出してきた。眉を八の字にして、心底迷惑そうな顔をしている。

 緑がケースを開けると、キラキラと輝くダイヤ付きの指輪が入っていた。


「ありがと」


 口の端だけを上げて笑みを作り、礼の言葉を口にする。


「絶対に返してよ」

「スタッフが返しにくるから安心して。じゃ、確かにお借りしたわ」


 借りるもんさえ借りられれば、もう真知子に用はない。こんなところ、二度と来ることはないわ。

 緑は別れ際の挨拶も言わず、さっさと背を向けてその場を後にした。




 緑がスタジオマルタに姿を見せた瞬間、観客の歓声がワッと上がった。あちこちから「緑ちゃ~ん」という声が飛んでくる。

 あたしってけっこう人気者? 金を持ってなさそうなチンケな男に好かれても何の足しにもならないけど、まあ、悪い気はしないわね。


「お疲れ様です、緑さん。いや~、旦那さんがいなくなってもパワフルぶりは健在ですね」


 目を爛々と輝かせながら、リッキーがマイクを突き出してくる。


「そんなことはどうでもいいのよ。はいこれ」


 緑は指輪ケースを白い台の上に放り投げるように置いた。


「とっとと判定しろということですね? 無駄を嫌う緑さんらしいですね。オッケー、ではさっそく鑑定しましょう!」


 リッキーがそう言うと、ハットを被った六十代くらいのおっさんがゆっくりとした足取りで出てきた。


「こちらは宝石鑑定のスペシャリスト、棟方龍夫むなかたたつお先生です。先生、よろしくお願いします」


 棟方がケースから指輪を取り出し、鑑定用ルーペを使ってじっくりと観察する。

 緑は貧乏ゆすりのように太ももを拳で小刻みに叩きながら、その様子を見つめる。さっさと終わらせてくれ。こっちはすぐにでも次のお題に取りかかりたいんだから。

 緑がイライラを募らせ始めた時、棟方が「はい。わかりました」と言った。まだ一分も経っていない。


「もうわかりましたか? さすがですね。では先生、鑑定結果を発表してください!」

「偽物ですね」


 まったくタメを作ることなく、さらっと結果を口にした。


「なななんと、偽物ですか?」

「ええ」

「いわゆるイミテーションってやつでしょうか?」

「というより、おもちゃですね」

「おもちゃ? 精巧に作られた偽物というわけでもなく、おもちゃ?」

「数百円くらいでしょう」

「ちょっと、待ちなさいよ。どういうことよそれ!」


 思わぬ鑑定結果に衝撃を受けて固まっていた緑がやっと口を開いた


「どうもこうも、そういうことです」

「はぁ? ふざけてんじゃないわよじじい」

「緑さん、落ち着いてください」


 リッキーが慌てて二人の間に入ってくる。


『ゾッコウヲキボウスルバアイワ、イップンイナイニ、ミノガシボタンヲオシテクダサイ』


 KARIMOから音声が流れてくる。


「緑さんは一億円以上持ってるので見逃してもらえる権利があります! ペア消滅を避けるためにはもう見逃しボタンを押すしかありません!」


 何でよ、どういうことよ。金持ちで見栄っ張りの真知子が何で偽物なんか持ってんのよ。偽物と知らずに買ったのをずっと本物だと思って持ってたの? それを本物と思い込んだままあたしに貸したってこと?

 ……そんなわけがない。絶対に。偽物を持ってた理由はわかんないけど、偽物とわかっていてあたしに貸したんだわ……。騙しやがって、あのメス豚が!


「緑さん、押さないんですか? 時間がないですよ!」

「うるさいわね!」


 押すに決まってるだろ。くそっ。

 緑はKARIMOの画面に表示されている<見逃し>ボタンを拳で叩くように押した。

 ピロロンと音が鳴った後、


『イチオクエンガボッシュウサレマシタ、レンコウヲトリケシテ、アナタヲミノガシマス』


 その音声を聞いた途端、緑は呼吸が苦しくなった。

 一億円……あたしの一億円が……。

 胸に手を当て、荒い呼吸を繰り返す。


「なんということでしょう。ここまでトップを独走してた緑さんですが、一気に大変な状況になってしまいました!」


 リッキーが緑に近づいてきて、背中に手を当てる。


「緑さん大丈夫ですか?」

「触んないで!」


 手を振り払い睨みつけると、リッキーはおどけた表情で肩をすくめた。

 緑はゆっくりと踵を返し、ふらついた足取りでスタジオを出ていった。


「一億円……」


 廊下に出てすぐ、無意識にそう呟いた瞬間、急に全身が鉛のように重くなった。

 死神に取りつかれたのだと思った。


      *


 真知子は自宅のテレビでその様子を見ていた。

 口元に笑みを浮かべ、「バカね」と呟いた。


 真知子は小学五、六年生の二年間、クラスメイトだった緑からいじめを受けていた。暗いだの地味だの言われて散々からかわれた。さらに緑はほかのクラスメイトをそそのかし、みんなで真知子を無視するようにもなった。おかげで修学旅行も運動会も遠足も、何も楽しめなかった地獄のような二年間を送るはめになった。

 同窓会で再会した緑はそんなことなど覚えていない様子で、「あんた、あか抜けたじゃない」などと言ってきた。同窓会後に自分の家で飲み直すことになった時、今の自分の勝ち組ぶりを見せつけてやろうと緑も誘ったが、果たしてどのように思ったのか、その態度からは読み取れなかった。


 そんな緑が急に訪ねて来てダイヤの指輪を貸せだなんて、図々しいにもほどがある。

 緑に渡してやったのは、クリスマスプレゼントとして子供用に買ったおもちゃの指輪だ。


 バレて怒らせたらどうしようと内心ドキドキだったが、見抜けないとはまったくマヌケな女だ。

 軽い復讐のつもりでやったことだったが、まさかこんなことになるなんて思わなかった。

 いい気味だわ。あんたみたいな女は一生負け犬がお似合いよ。

 真知子はくくくっと笑った。今日はとても良い日になりそうだと思った。

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