第36話 魂胆
○ 片山大輔・片山緑 2日目8時45分
窓際に佇み、大輔は窓の外に広がる新宿の街を見下ろしている。人や車が虫のように小さく見えるが、自分が大物になった気分にはなれない。あくまでも自分は、ただ嫁の尻に敷かれているだけの惨めな中年男でしかない。
この高級ホテルのスイートルームの独特の雰囲気にもまったく馴染めない。昨日はベッドに入ってからなかなか寝付けず、数時間しか寝ていないため寝不足で頭がぼうっとする。
大輔は今朝、七時に起きた。緑が少しでも早く最初のお題に取りかかりたいと言うので、七時に備え付けのアラーム機能をセットしておいたのだが、先に目を覚ました大輔がいくら声をかけようが、緑は「うるさい」と言ってなかなか起きようとしなかった。
七時四十五分にようやくベッドから這い出し、それから二人で朝食を食べに行った。バイキング形式の朝食を十分ほどで食べ終わった大輔は先に部屋に戻ってきたが、緑はまだレストランに残って食べている。
大輔は腕の筋肉に引きつったような痛みを感じ、指先で軽く揉んでみる。
昨日はたぬきの置物、サーフボードと、重たい物を持ち運んだため、一日経って筋肉が悲鳴を上げているのだ。
緑の人使いの荒さには辟易するが、ここまでは緑の強引とも言えるリードのおかげで上手くいっているのも事実だ。たぬきの置物というお題も緑の知り合いのおかげでクリアできたし、サーフボードというお題が出た時も、大輔はあたふたするばかりで何もアイデアは浮かばなかったが、サーフィンと言えば湘南だろうと緑が言い、湘南新宿ラインと湘南モノレールを乗り継いで海辺の街へ行き、サーフィンをしている若者から借りることができた。
サーフボードのお題をクリアした後、遅い時間帯ではあったが、緑は貪欲にレッドカードに挑戦すると言って、【金色の財布】というお題を無事にクリアした。もちろん金色の財布を持っている人を探して駆けずり回り、声をかけまくったのは大輔だが……。
現在の順位は一位。獲得賞金額が一億円を超えているのは自分たちだけだ。とはいえ、二位につけている親子ペアとの差は大きく開いているわけではなく、まったく安心はできない。
大輔は窓ガラスに映る自分の顔を見つめながら大きなため息をついた。今日も緑に振り回されながらさまざまなお題にチャレンジするのかと思うと憂鬱でしかない。
「ああ~、食べすぎたわ」
緑が戻ってきた。苦しそうに顔を歪め、お腹をさすりながら革張りの高級ソファに腰を下ろす。
「もうこんな時間じゃない。早くスタートしたかったのに」
まるで大輔に非があるような言い方をする。
「チンタラしてらんないわ。やるわよ。
「苦しそうだけど、大丈夫?」
「なんとかなるわよ。早く」
大輔はバッグからKARIMOを取り出して緑に手渡した。
「次もグリーンでいくわよ」
「グリーン? 今一位なんだし、もう少し慎重にいったほうがいいんじゃない?」
「バカ言わないでよ。優勝しても獲得賞金が少なければ意味ないでしょ。目標は最低三億円よ。それに今トップって言っても、まだまだ安心はできないわ。ここで一気に突き放しておくべきよ」
緑は強気の姿勢を崩す気はないようだ。
「じゃ、やるわよ」
そう言って緑がKARIMOを操作しようとした時、ピコンピコンピコンと大きな音が鳴った。
「うわっ。びっくりした。何よもう」
「なんの音?」
大輔は緑に近づいて、KARIMOの画面を覗き込んだ。
【ラッキーカード】
・二枚のカードのどちらかを選択してください。
・当たりカードを選んだ場合は、ブラウンカードにチャレンジし、クリアすると二億円獲得できます。
・はずれカードを選んだ場合は、どちらかが失格となり連行されます。
「ラッキーカード? 何よそれ」
「この競技を面白くするための仕掛けかな?」
「ブラウンカードで二億円だって。めちゃくちゃラッキーじゃない」
「いやでも、はずれを選んじゃったらどっちかが失格だよ?」
「ほかのペアは挑戦しないかしら?」
「絶対にしないと思うよ。リスク高すぎるもん」
「じゃあ、あたしたちがクリアすれば、さらに大きく差をつけられるってことでしょ?」
大輔は冷や汗がどっと全身から噴き出すのを感じた。まさか……。
「やるわよ」
「やる? 嘘でしょ? このタイミングで?」
「このタイミングだからよ。ここで勝負をかけられるかどうかで運命が決まると言っても過言ではないわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。冷静に考えようよ」
「あたしは冷静よ!」
緑が怒鳴るように言った。
「それに、万が一はずれを選んじゃっても、一億円払えば一度は見逃してもらえるから大丈夫よ」
「見逃し? ああ、そういえば、そういうルールあったね……」
確かにUKCには、一億円を払えば各ペア一度だけ連行を逃れられるというルールがある。一億円以上を獲得している自分たちにはそれを行使する権利があるのは間違いないが……。
『チャレンジスルカ、パススルカ、キメテクダサイ』
KARIMOが急かす。
「そんなんで一億使うのはもったいなくない?」
「だからそれは万が一の時の話なんだって。当たりカードを引けばいいだけのことでしょ。こういう時は強気でいけばうまくいくものなのよ」
どういう理屈でそうなるのだ。説得力の欠片もない。
「はい、ぽちっと」
緑がKARIMOの画面をちょんと押す。
「ああ……ほんとに押しちゃった……」
ポンッというコミカルな音が鳴って、画面にイエローとピンクのカードが現れた。
『サンジュウビョウイナイニ、エランデクダサイ』
音声が流れた後、画面右上に表示されていた三十秒のカウントダウンが動き出した。
「どっちだと思う?」
緑が聞いてくる。
「そんなのわかんないよ」
パニックになりかけている大輔の声が裏返る。
「いいから言いなさい! どっち!」
「き、黄色!」
大輔はヤケ気味に叫んだ。
「黄色? じゃ、ピンクね」
「え? ピンク?」
緑は戸惑う大輔を無視して、ピンクのカードをタップした。
ピンクカードがゆっくりとめくれる。
果たしてそこに書かれていたのは、〝はずれ〟の三文字だった。
「ちょ、ちょっと緑ちゃん、はずれだよ。はずれちゃったよ!」
大輔は緑の肩口を両手で掴み、激しく揺さぶった。
「痛いわね。離しなさいよ」
大輔の腕を振りほどく。
「あんたの直感なんて信用できないからあえて逆を選んだのに、なんではずれるのよ」
「そんな……」
緑の顔を見つめたまま、情けない声がこぼれる。
「これで、一億円が……こんなことで……」
「ほんと、こんなことで一億円なんて……バカバカしいわ」
吐き捨てるように緑が言う。
何で他人事みたいに言うんだよ。何でそんな言い方ができるんだよ、緑ちゃん!
『シッカクシャヲキメルカ、ミノガシボタンヲオシテクダサイ』
KARIMOの愛想のない音声が、広い部屋の中に小さく響く。
『ミノガシボタンヲオスト、ジドウテキニイチオクエンガボッシュウサレマス』
「まあ、こうなった以上、仕方ないわね」
緑がソファから立ち上がった。
「ここからまた気合を入れ直して、ガンガンいってやるわ」
どうしてこれほどまでに強いのだろう。精神的なショックを微塵も感じていないのだとしたら、もはや人間とは思えない。大輔は頭がクラクラして今にも倒れそうだというのに。
「じゃ、押すわよ」
緑はそう言うと、KARIMOの画面を人差し指で、トンッと力強くタップした。
大輔は全身の力がシューシューと抜け出ていくような感じがして、ふらふらとベッドのほうへ近づいていくと、へたり込むように腰を下ろした。
ここで一億円を没収されたら残り一千万円になってしまう。果たしてその状態から挽回なんてできるのだろうか……。
その時、ガチャリとドアが開く音がしたかと思うと、どたどたと足音が聞こえてきた。
何だ? 大輔は顔を上げた。そこへ姿を現したのは、真っ黒い警察官のような制服に身を包んだ大柄な二人の男だった。
この連中は……カリモノポリス? 何で来たんだ……?
呆然としている大輔の目の前で二人のカリポが止まった。
「連行します」
大輔を見下ろしながら、カリポの一人が冷徹な声で言った。
「は? 僕を?」
二人の大男は大輔の両脇を抱え、ベッドから立ち上がらせる。
「ちょ、ちょっと待ってよ! なんで僕なの? 見逃しボタンを押したんじゃないの?」
大輔は取り乱しながら緑に視線を向ける。
「押したのはあんたの名前よ」
緑はそう言ってKARIMOの画面を大輔に向けた。
「なんで……嘘でしょ、緑ちゃん。最初からそのつもりだったの?」
「そうよ。じゃないとさすがにあんなリスクの高い二択に挑戦なんてできないわよ」
無表情の緑が、冷ややかな声で答えた。
そうか、これまで緑ちゃんが強気でグリーンカードに挑戦できていたのも、もし失敗したとしても僕を脱落させると決めていたからなんだ。僕を犠牲にしてでも優勝してお金持ちになろうという魂胆だったのだ。
「緑ちゃん、それはないって。酷いよ……こんなの酷すぎるよ!」
緑は再びソファに腰を下ろすと、ぷいと横を向いた
「お前となんか結婚しなきゃよかった! 俺の人生返してくれ! くそぉぉぉ!」
涙で顔をぐしょぐしょにしながら、大輔は力の限り叫んだ。その声は広いスイートルームに虚しく響いた。
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