第46話 呼び出し

 けたたましい音が鳴っている。

 ベッドに備え付けられているアラーム機能はセットしていたが、それが鳴っているわけではないようだ。

 ……何?

 くるみはベッドからおりて辺りを見回す。テーブルの上に置いてあるKARIMOカリモから音が出ているようだった。手に取り画面を見ると【STOP】のボタンがあり、それを押すと音がピタリと止んだ。

 時刻は七時だった。


「……なんの音?」


 くるみ同様、謎の爆音で叩き起こされた博が聞いてくる。


「わかんない」


 KARIMOをテーブルに戻そうとしたその時、


「みなさま、グッドモ~~~ニング!!」


 突然画面にリッキーが現れた。


「さすがにまだ寝ている方はいらっしゃいませんよね? 起きましたよね? 起きていると信じてお話ししますね」


 話? 何の?


「UKCに参加されている皆さま、本日、九時までにスタジオマルタに来てください。これは絶対です。来なかったら失格となりますので必ず来てくださいね! では、お待ちしておりまーす!」


 それだけ言うと、リッキーは画面から消えた。


 ベッドの上で呆然としている博と視線がぶつかる。


「……どういうこと?」

「わかんないけど、来いって言ってるんだから、行くしかないよ」


 くるみはうんざりした口調で言う。

 昨晩、悪夢により目が覚めたくるみが再び眠りに落ちたのは明け方だった。それをこんなカタチでまた起こされるとは最悪だ。

 眠気と疲労が全身に残っている。


「二日酔いは?」

「ん? ああ、なんとか大丈夫だよ」


 博が笑顔で答える。


「ならよかった」


 二人は朝食用に買っておいたサンドウィッチとおにぎりを食べ、身支度を整える。


「忘れ物はないよね?」


 博が部屋の中を見渡す。

 昔から父親は心配症だった。家族で家を出る時は何度も忘れ物や戸締りを確認するのが恒例で、いいかげんにしてと母親に怒られることもしょっちゅうだった。


「オッケー。行こう」


 二人は部屋を出た。

 二台のDBが頭上を飛びながらゆっくりとついて来る。

 行動を共にして二日しか経っていないが、カナブンを模したその小さな機械にわずかながら愛着を感じている自分に気づき、くるみは苦笑した。



 くるみと博が新宿マルタに到着し、エレベーターがおりてくるのを待っていると、一人の女がやって来た。競技者の一人ということは覚えているが、その何かを強烈に恨んでいるかのような険しい目つきは、くるみが見た時と印象がだいぶ違う。

 エレベーターに乗り込み、博がどうもと声をかけるが女は反応しなかった。エレベーターをおり、そのまま三人は一緒にスタジオに入った。


「グッモ~ニ~ン! 博さんくるみさん、そしてリコさん! 来ていただいてありがとうございます!」


 朝から元気いっぱいのリッキーが声を張り上げる。ひょっとしてこの人は、競技が始まってから一睡もしていないのではないだろうか。そうだとしたら超人的すぎる元気さだが、この男ならあり得るかもしれない。

 リッキーに負けず劣らず、客席も大いに盛り上がっている。さっと観客の顔に視線をやるが、オープニングの時と同じ人たちなのかどうかはわからない。


「金崎さんがまだ来ていないので、もう少しお待ちください」


 リッキーとしばらく雑談を交わしていると、スタジオの扉が開き、金髪の男が入ってきた。


「金崎さん、グッモーニングです! 間に合いましたね。よかったよかった」


 男が登場した瞬間、くるみは昨晩見た悪夢を思い出し、全身に緊張感が走るのを感じた。男の目には鋭い光が宿っており、くるみは思わず目を逸らしてしまう。


「なんなんだよ。朝っぱらから呼び出しやがってよ」

「ごめんなさいね。ちょっと楽しいことをやろうと思いましてね」

「なんだよ、楽しいことって」


 リッキーはそれには答えず、正面のカメラに視線を向けた。


「さあ、UKCも残すところあと二十六時間となりました。借り物界のカリスマ、そう、真の【借りスマ】がまもなく誕生します。今日は運命を決する激しい一日となるでしょう」


 そこで競技者四人のほうへ身体を向け、


「ドキドキラッキーダ~イス!」


 意味不明な言葉を叫ぶ。

 スタッフが巨大な四角い物体をリッキーに渡すと、


「今から皆さまには、それぞれの面にブラウンからゴールドまで五つの色がプリントされているこちらのサイコロを振ってもらいます。もうおわかりですね? そう、サイコロを振って、出た面の色のカードにチャレンジしてもらいます!」


 そう言うと、サイコロを高々と頭上に掲げた。ニマっと口角を上げ、話を続ける。


「ただし、このバッテンマークが出たらハズレです」


 大きくバツ印が描かれた面を四人に向ける。


「なんとこのハズレ面が出ると、今持っている獲得賞金が半分になってしまいます」

「半分だと? てめえふざけんじゃねえぞ!」


 金髪の男が嚙みつく。


「いやいや、ライバルの賞金が半分になる可能性だってあるわけですから。ね?」


 リッキーになだめられ、男は不服そうな顔をしながら舌打ちをした。


「それでは、さっそく始めましょう。獲得賞金額の多い順に振ってもらいたいと思います。ということで、柿谷ペアからお願いします」


 くるみが博に視線をやると、博は困ったような顔で首を横に振った。投げるのが怖いのだろう。

 くるみはリッキーからサイコロを受け取った。


「ではお振りください。どうぞ」


 くるみは恐る恐るサイコロを投げた。軽く投げたはずのサイコロは思いのほか転がっていき、客席の手前でピタリと止まった。

 リッキーが駆け寄ってサイコロを持ち上げ、上になっている面をこちらへ向けた。


「グリーンです! 柿谷ペアはグリーンカードに決定しました!」


 そこで金髪の男がクソっと言った。ハズレが出てほしかったのだろう。

 くるみは内心ホッとしていた。もともと今日の一発目はグリーンカードを選ぼうと決めていたからだ。


「では柿谷ペアはこの場で、グリーンカードをタップしてください」

「いま?」

「そうです」


 くるみはバッグからKARIMOを取り出す。呼吸を整えてから、グリーンカードをタップした。カードがめくれてお題が現れるまでの時間は一瞬だが、誰かに首を力いっぱい絞められているかのような息苦しさを感じた。


【200cc以上のバイク】


 お題が現れる。

 スタジオの大型スクリーンにも、そのお題が表示されている。


「出ました! お題は、200cc以上のバイクです!」

「中型以上のバイクってことか」


 博が呟く。


「そうですね。よく見かける原付バイクは50cc程度ですから、200cc以上となると見つけるのはけっこう大変かもしれませんね。くぅ~」


 200cc? それがどの程度のものなのか、普段バイクに乗らないくるみにはピンとこなかった。


「全員のお題が出揃ってからスタートしてもらうので、柿谷ペアはそのままここでお待ちくださいね。では続いて、金崎さんお願いします」


 金髪男がサイコロを受け取り、叩きつけるようにそれを投げた。勢いよく跳ねたサイコロはリッキーの足にぶつかり、男の足元に戻って来て止まった。


「グリーンです! 金崎さんもグリーンが出ました!」

「なんだよ。やる意味なかったじゃねえか。無駄なことさせやがって」


 その発言からすると、男もくるみたちと同じく、もともとグリーンカードを選ぶつもりだったのだろう。

 リッキーに促され、男が面倒くさそうにKARIMOをタップする。


【パグ(犬)】


 それが男に与えられたお題だった。


「パグ、犬のパグです! ブサカワと言われている独特のお顔立ちのワンちゃんですね。犬ならなんでもいいわけではなく、犬種が指定されているので、これまた大変そうですねえ。くぅ~」

「なんでまた犬なんだよ。なめやがってボケが」


 金髪男はそう言ってから煙草の箱を取り出し、一本抜き取ってくわえた。


「ちょいちょい金崎さん、ここは禁煙ですよ」


 リッキーが指で煙草をつまんで男の口から引っこ抜く。

 男のこめかみにくっきりと血管が浮き出た。掴みかかりそうな勢いで何か言おうとしたが、


「続いて門脇リコさん、お願いします」


 リッキーはかまわず続けた。

 女はサイコロを受け取ると、暗い表情で何かぶつぶつと呟き始めた。まじないでもかけているのだろうか。


「では投げてください。どうぞ!」


 女は腰をかがめて、そっとサイコロを転がした。

 申し訳程度に転がったサイコロは、すぐにその動きを止めた。上になっている面は、金色に輝いていた。


「出ましたぁぁぁ! 今大会、初のゴールドです!」


 興奮してリッキーが叫ぶ。観客も全員が一斉に立ち上がって喚いている。


「ちょっと待ってよ! こんなのインチキでしょ!」

「インチキではありませんよ。さあさあ、KARIMOでゴールドカードをタップしてください」


 リッキーが優しい声で促す。

 女は大きな深呼吸をしばらく繰り返した後、ようやくKARIMOを手にした。

 自分のことではないのに、くるみは緊張で口の中がカラカラに渇いていくのを感じた。

 いったい、どんなお題が出るのだろう……。

 騒いでいた観客も全員が口を閉じ、スタジオ内に静寂が訪れる。全員の視線が大型スクリーンに注がれる中、女は震える指先で、KARIMOの画面をチョンと押した。


【オリンピックの金メダル(夏季限定)】


 スクリーンにその文字が出た瞬間、また観客が騒ぎ出した。


「オリンピックの金メダル! さすがゴールドカード。これは難題です。しかも夏季限定なので冬季オリンピックはダメってことですから、いやぁ、大変ですねえ」


 冬季オリンピックはダメという条件でどれだけ難易度が変わるのか、スポーツに疎いくるみにはよくわからないが、とにかく相当な難しさであることは間違いない。


「めちゃくちゃ難しいですが、クリアすれば三億円ゲットで一気にトップに立てます! 頑張ってくださいね」


 リッキーが声をかけるが、女はKARIMOの画面を見つめたまま動かない。


「リコさん、金目鯛きんめだいじゃなくて金メダルですからね。間違えないように」


 くだらないリッキーのボケに、観客が湧きかえる。


「ご愁傷様だな」


 金髪男が女に聞こえるような大きな声で言った。女はゆっくりと顔を上げて男に視線を向けたが、何も言わなかった。


「さあ、では、皆さんのお題が出揃いましたので、改めて一斉にスタートしてもらいます。いいですか? いいですね?」

「いいに決まってんだろボケ」


 金髪男がまた暴言を吐く。ニコチンが切れてイライラしているのかもしれない。


「では皆さん、張り切って、いってらっしゃーい!」


 リッキーが大きく手を振った。

 金髪男が真っ先にスタジオを飛び出していった。

 くるみと博はとりあえず外へ出ようと、エレベーターに乗り込んだ。


「さて、どうやってバイクを探そうか……」


 博がそう言った時、くるみはあることを思いだした。


「待って」


 一階に到着して扉が開き、出ようとする博を呼び止めた。


「なに?」


 くるみは扉を閉め、三階のボタンを押した。

 三階は初日に案内された控室がある階だ。確かそこに喫煙所もあったはず。

 三階でエレベーターをおりると、くるみは早足で喫煙所に向かった。角を曲がった先にガラス張りの喫煙所あった。

 真ん中部分はすりガラスだったが、その上の透明のガラスの向こうに金髪頭がチラリと見えた。やっぱりここにいたか。

 くるみは喫煙所のドアを開け、中に入った。

 金髪男が驚いたような表情をくるみに向ける。


「ちょっと、いいかな」

「あ? なんだよ」

「あなた、バイク乗ってたよね?」


 くるみは初日にバイクに乗った金髪男に話しかけられていた。そのことを思い出しながら、続けて尋ねる。


「あれってあなたのバイク?」

「だったらなんだよ」

「あのバイクって、200cc以上ある?」


 男は睨みつけるような視線でくるみを見ていたが、


「そういうことか」


 くるみの言いたいことに気づいたようだ。


「俺のバイクを貸せってことか?」

「ええ」

「バカか。貸すわけねえだろ」

「もちろんタダでとは言わない」


 男は大量の煙をくるみに向けて吐き出した。続きを聞かせろと目で促してくる。


「あなたのお題、パグだったわよね」

「だったらなんなんだよ」

「私、ワンちゃん飼ってるんだけど、それがパグなの」


 そう言うと、男の目が大きく見開かれた。


「……あ? パグ? 飼ってんのか?」

「ええ。ポンっていうの」

「名前なんてどうでもいいんだよ。それマジなんだな?」

「本当よ。だから、あなたがバイクを貸してくれたら、私もポンを貸してあげるわ」


 男は短くなった煙草を灰皿にグリグリと押しつけた。


「お互いにグリーンだから金額の差は開かないけど、獲得賞金を簡単に増やせるわけだから、悪くない取引だと思うんだけど」


 男はニヤリと笑って、


「そうだな。でもよ、誰かから貸してやるよって声かけられてクリアするのはルール違反になるんじゃねえのか?」

「競技者同士の貸し借りは特別に認められてるのよ。だからルール的にも問題ないわ」

「そうなのか?」


 ちゃんとルールブックを読んでいないようだ。確かに細かいルールを全部覚えるのは大変ではあるが、命がけの勝負に挑むのであれば徹底した準備を行うのは当然のことなのに。


「なら断る理由はねえな。乗ってやるよ」

「ありがと」


 二人は喫煙所から出た。

 戸惑った表情の博に事情を説明する。どことなく気が進まなそうではあったが、ぎこちない笑顔を浮かべながら、くるみがいいならいいよ、と言ってくれた。


「マンションまで行ってポンを連れてくるから、ちょっと待っててくれる?」


 男に向かってそう言うと、


「ただ待ってるのも暇だから、バイクで乗せてってやるよ」


 断ると面倒なことになるかもしれないと思い、その提案を受け入れることにした。

 博を新宿マルタに残し、くるみは男と駐輪場に向かった。

 ヘルメットを被って男の愛車にまたがり、男の腰に手を回す。初めての経験だが、もちろんドキドキすることはない。

 一秒でも早く着いてほしい。くるみはただそれだけを願った。

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