第47話 笑顔のカシアス

 リコは呆然と立ち尽くしていた。

 今から何をすればよいのかまったくわからなかった。急に朝早くに呼び出され、まさかゴールドカードのお題に挑戦させられることになるとは……。


【オリンピックの金メダル(夏季限定)】


 KARIMOの画面に表示されているお題をもう一度確認しながら、深いため息を吐く。

 無理だ。無理に決まっている。オリンピックの金メダルなんて、誰に頼めば貸してくれるというのか。

 知り合いに金メダリストなんていないし……。

 そういえば小学校の卒業文集の最後に、将来の夢を「オリンピックの100Mで金メダルを獲る」と書いていた男子がいた。ただ足が速いだけのお調子者がふざけて書いただけで、もちろんその男子がオリンピックに出ることはなかった。あのコ、今何してるんだろう……。現実に目を向けたくないあまりに、そんなどうでもいいことを考えてしまう。


 だけどいつまでも悲観している場合ではない。必死に知恵を絞って、何か糸口をつかまなければいけない。

 オリンピックに出て金メダルを獲った日本人がたくさんいることくらい、スポーツに疎いリコでもわかる。日本中を沸かせた国民的なオリンピック選手なら、数人は思い浮かぶ。


 Pちゃんの愛称で親しまれ、女子マラソンで日本人として初めて金メダルを獲った金橋陽子。

 二大会連続で平泳ぎの世界新記録で金メダルを獲ったイケメンスイマーの成瀬大地。

 史上初めて女子柔道で三連覇した谷村りん。


 知っているとは言っても、一方的に知っているだけで知り合いというわけではないので、その人たちがどこにいるのかさえも知らない。そんな人たちから借りることなど当然不可能だ……。

 考えろ。何か方法はないか……。

 その時、ある男の顔がリコの頭にぼんやりと浮かんできた。

 この人は……バラエティ番組でよく見かけるプロレスラーのカシアス武藤。

 見た目は強面だが茶目っ気たっぷりの天然ボケを連発するそのギャップが面白く、メディアで引っ張りだことなっているおじさんだ。

 あの人は確か……アマレス選手時代にオリンピックで金メダルを獲っている。開催年も開催地も覚えていないが、リコが生まれるよりもずっと以前に行われたオリンピックで。

 住んでいる場所は……確か浅草? 間違いない。カシアス武藤が浅草で開いているジムにタレントが突撃しているロケをテレビでよく見かける。

 あの人だったら、貸してくれるかもしれない。


 リコは駆け出した。走って駅へ向かい、転がり込むように電車に飛び乗った。

 浅草駅でおり、通りすがりのおじさんに、カシアス武藤のジムはどこかと尋ねたら丁寧に教えてくれた。

 おじさんに教えられた場所に行くと、ひときわ目立つ赤いレンガ造りの建物があった。白い看板には大きく「カシアスTRAINING GYM」と書かれてある。錆びついた鉄製の扉には無数の傷跡が残っており、長年培ってきた歴史を感じさせる。

 リコは扉を開けた。中には二人の男性がいて、それぞれ器具を使って筋トレをしている。


「こんにちは。あの……カシアス武藤さんはいらっしゃいますでしょうか」

「会長ですか? いますよ」

「ちょっとお話がしたいんですけど……」


 そう言うと坊主頭の男がちょっと待ってくださいと言って奥へ引っ込んだ。少しするとカシオアス武藤が現れ、


「はいはいどうもどうも、お待たせ」


 顔面の迫力はテレビで観る以上だが、そこに張り付いている満面の笑みは小動物のような愛くるしさがあった。七十代のはずだが、年齢をまったく感じさせない、たくましい体躯をしている。


「こんにちは。門脇リコと申します」

「リコさん。可愛らしい名前だ」

「あの、私、今やってるUKCに出場しているんですけど」

「UKC? 出てるの? そりゃすごいね。私も若い時にUKCがあったら出たかったよ。だははは」


 豪快に笑うカシアス。


「それで、私に何か借りたいってことなのかな?」

「そうなんです。カシアスさん、オリンピックでメダル獲ってましたよね」

「ああ、メダル。獲ってるよ。メダル貸してほしいの? ちょっと待ってね」


 リコの説明をろくに聞かず、カシアスは道場の隅にあるロッカーの中から青いケースを取り出した。その中にメダルが入っているのだろうか? そんな場所に置いておいて、盗まれでもしたらどうするつもりだろう。


「はい、持ってきな」

「いいんですか?」

「いいよいいよ。人に喜んでもらうことが私の生きがいみたいなものだからね」

「ありがとうございます!」


 カシアスの手からメダルケースをうやうやしく受け取る。

 まさか、こんなにもあっさりと手に入るとは。

 リコは興奮を覚えながら、震える手で蓋を開けた。そこには黄金に輝くメダルが……。

 ん?

 リコは眉をひそめた。


「これって……金メダル……ですか?」

「いや、銀メダルだよ」

「銀? 金じゃなくて、銀?」

「うん。でもまだ小さかった娘からは手作りの金メダルをもらったよ。パパ頑張ったねって。それも見る?」


 リコは銀メダルを見つめたまま、肩を震わせる。


「……なんで」

「ん?」

「なんで銀なのよ……」

「それはね、相手が当時世界最強の絶対王者だったんでね、さすがに勝てなかったんだよね」

「そんなこと聞いてないわよ」

「はい?」


 顔を上げ、視線をカシアスに向ける。


「おっさんさ、なんで銀なんだよ。努力が足らなかったんじゃないの? 死ぬ気でやってりゃ金獲れてたんじゃねえのかよ!」


 リコの感情が爆発する。


「え? ちょっと待ってよ、私は私なりに必死で頑張ったんだから」

「頑張っても金獲れなきゃ意味ねえだろうが!」

「そりゃあんまりだよ。銀もすごいんだよ。今までメダルを見せて喜ばなかった人はいないのに……」

「私がほしいのは金なんだよ金! 何よこんなもの」


 リコはケースごと銀メダルを床に叩きつけた。


「ちょっと何すんの。やめてよ」


 ここまでされてもカシアスは怒らなかった。メダルを拾い上げると、そっとケースに収める。


「ごめんね。お役に立てなかったみたいで」


 いつも笑顔のカシアスが、悲しそうな顔で謝る。

 この人は何も悪くない。それはわかっている。わかっているのに、感情がおさえられない。

 リコはその場に立ち尽くしたまま、ボロボロと涙をこぼした。

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