第48話 策略

 玄関のドアを開けると、ポンがくるみの足元に駆け寄って来た。


「ポンちゃん、いい子にしてた?」


 頭を優しく撫でると、ポンは甘えるようにくぅんと鳴く。


「悪いんだけど、ちょっと一緒に来てくれるかな」


 くるみはポンを小型犬用のバックパックに入れ、ゆっくりと背負う。

 エレベーターで一階におり、表に出る。


「お待たせ」


 バイクにもたれかかるようにして、タイチが煙草を吹かしている。


「これ吸い終わるまでちょい待ってくれよ」

「ええ」


 タイチの足元には二本の吸い殻が落ちている。この短時間で3本目? どれだけヘビースモーカーなんだろう。


「にしてもよ、こんな奇跡的なことってあるかよ。お互いのカリモノを競技者同士で貸し合えるなんてよ」

「そうね」

「これをクリアしたら、俺は一億七千万。あんたらとは二千万の差があるけど、最終的には俺が勝つ。悪いけどそれだけは間違いねえよ」


 くるみを見つめるその目の奥が、ギラリと光ったような気がした。


「やってみないとわからないわ」

「いいねえ、その表情。たまんねえわ」


 タイチがははっと声を上げて笑う。


「そんじゃ、行くか」


 そう言うと足元に煙草を落とし、つま先でグリグリと踏みつけた。

 ヘルメットをくるみに渡すと、くるみが背負っているバックパックを覗き込んだ。


「これがパグか。テレビで観たことはあるけど、実際に見ると思った以上におもしれえ顔だな」


 さらりと失礼なことを言って、タイチはバイクにまたがりエンジンをかける。

 くるみとポンを乗せたバイクは、再び猛スピードで上石神井から新宿へ向けて走り出した。




 新宿マルタに到着し、バイクを停めると、博がすぐに駆け寄って来た。入口の前でずっと待っていたようで、額からは大量の汗が噴き出している。


「よかった。無事に戻ってきて」

「俺がなんかするとでも思ったのかよ、おっさん」

「いや、そういうわけじゃないですけど」


 博は苦笑いしながら、顔の前で手を振る。


「おい、ここからはお前がバイク持ってけ。そんでそのバッグは俺が持ってく」


 くるみは言われたとおり、バックパックをタイチに渡した。メッシュ窓の向こうからくるみを見つめるポンと目が合う。勝ち残るためとはいえ、こんな男の手にポンを預けなければいけないなんて……。くるみは心が張り裂けるような寂しさを感じた。

 タイチは片方の肩にバックパックを引っかけ、そのまま入口に向かって歩いて行く。

 その後を追うように、くるみがバイクを押して歩こうとした時、


「父さんが押してくよ」


 と博が言った。


「いいよ」

「いいからいいから」

「いいって」


 そんな不毛なやりとりをしていると、


「おい」


 どこかから野太い声が聞こえてきた。

 視線を向けると、目の前に男が立っていた。

 顔の下半分がひげで覆われていて、ラグビー選手のようながっしりとした肉体の男。

 くるみを正面から見据えるその目がわっている。かなり酔っているのかもしれない。


「お前ら親子が消滅しなかったせいでよぉ、人生かけた大博打がハズレちまったじゃねえかよ」


 何のことかわからないが、この男、どこかで見たことがあるような気がする。


「全財産ぶっ込んだのによぉ、どうしてくれるんだよ」

「あなた、誰?」

「だからぁ、お前ら親子が二番目に消滅するって賭けてたんだよぉ。消滅三連単でよぉ」


 その言葉を聞いて、くるみは思い出した。初日に泊まったホテルのテレビで観た男だ。UKCファンが集まるバーでレポーターにインタビューされていた男……。カメラ越しに自分たちに物騒なメッセージを送っていた、あの男だ。


「ぶっ殺してやるって言っただろぉ」


 男がくるみに近づいて来る。


「それって、ただの逆恨みじゃない。自分の責任でしょ」

「うるせえよ!」


 男が大声を上げる。

 この男、完全に狂っている。


「ちょっと君、待ちなさいって」


 博が男の前に飛び出す。押しとどめようと男の身体に触れた瞬間、


「邪魔すんじゃねえよ」


 男が博の顔面を殴りつけた。


「あふっ」


 博が二メートルほど吹っ飛ぶ。


「おっさんも後でぶっ殺してやっから待ってろって。娘のほうを先にお仕置きしてやらねえとないけねえからな」


 男がそう言いながら、さらにくるみに近づこうとした時、


「おっさん」

「あ?」


 声に反応し、男が振り向く。その顔面に、タイチの拳が叩き込まれた。


「ごえっ」


 ひげ面の男が吹っ飛び、仰向けに倒れる。


「てめえ……」


 片膝を立て、ゆっくりとひげ面の男が起き上がる。顔面をおさえている指の間から血がしたたり落ちている。


「そいつに手え出したらバイクも倒れて傷がつくじゃねえかよ。このボケが」

「殺す……てめえも殺してやるよっ」


 男がタイチに殴りがかった。当たったら致命傷になりそうなほど大振りの一撃はあっさりとかわされた。次の瞬間にはひげ面の男のお腹に、タイチの拳がめり込んでいた。

「おう」っと呻きながら身体をくの字に曲げた男の顔面を、今度は下から膝で蹴り上げる。男はその場に倒れ込み、完全に戦意喪失していたが、とどめとばかりにタイチは顔面を二度踏みつけた。


「カッコ悪すぎるぜおっさん。金が欲しいんならUKCに参加しろや。他人頼みで金持ちになろうとしてんじゃねえよ、クズが」


 男を見下ろしながら、冷たく言い放った。

 タイチはくるみに向き直り、


「無駄な時間使っちまったな。さっさと行くぞ」

「うん……あの、ありがとう」


 くるみは礼を言ったが、タイチはそれには反応せず、地面に置いていたバックパックを背負い直すと、足早に建物の中へ入って行った。


「お父さん、大丈夫?」

「うん、なんともないよ」


 頬をおさえて顔をしかめながら、博が言う。

 くるみはバイクを押しながら、博と一緒に裏口へ回る。搬入用エレベーターに乗り込んで扉を閉めようとしたその時、タイチが駆け込んで来た。


「どうしました?」


 博が聞く。


「やっぱ一緒に行くわ。途中でどっかにぶつけられでもしたらことだからな」


 そう言いながらタイチは愛車に視線をやる。心配でたまらない様子だ。

 命がけの勝負をしている最中に、そんなことどうでもいいでしょ。

 くるみはタイチに聞こえないほどの小さなため息をついた。




「いやぁ、まさかあなたたちが協力し合うとは思いませんでしたよぉ。意外でしたねぇ」


 リッキーがいつになく興奮している。予想外のことが起こり、嬉しくてたまらないという様子だ。


「柿谷ペアのお題が【200cc以上のバイク】、金崎さんのお題が【パグ】。共にグリーンカードのお題です。クリアすれば五千万円です!」


 リッキーが拳を挙げて叫ぶと、客席からさまざまな声が飛び、指笛が鳴り響いた。リッキーも観客も寝ていないからなのか、熱気とノリが異常だ。


「おい、いいからさっさとクリアって叫べよ」


 タイチが言った。


「いえいえ、まだ鑑定しておりませんので」

「鑑定? いらねえだろそんなもん。お前観てたんじゃねえのかよ。本人の持ちもんなんだから、本物に決まってんだろ」

「ええ。DB経由で皆さんの様子は観てましたけど、私が実際に見て触って判断できないものは専門家や機械による鑑定を行うという決まりですので、はい」

「チッ、まどろっこしいことしやがって。じゃあ、さっさとやれよ」

「わかりました。では、どちらから先にやります? 同時にやってもいいですけど」

「同時にできるんなら同時にやれよ」


 タイチがイライラした口調で急かす。


「承知しました。では同時に鑑定を行います。専門家の方にはもうスタンバってもらってますので、さっそく呼び込みましょう。お二人、ご登場願います~」


 リッキーが呼び込むと、リーゼントヘアのツナギを着た男と、白衣を着た真っ白い口ひげの年配の男が現れた。


「こちらがCMでもお馴染みのバイク修理専門の会社『バイクキング』の中谷社長です。トレードマークのツナギがカッコイイですねえ」

「ありがと。今回もよろしくね」


 そう言って中谷社長は親指を立て、真っ白い歯を見せて笑った。


「そしてこちらが、日本獣医師協会会長で獣医の藤田先生です。ご専門はワンちゃんと猫ちゃんです。先生よろしくお願いします」

「はい、よろしくどうぞ」


 藤田先生は丁寧に頭を下げた。


「では、それぞれ鑑定を始めてください」


 中谷社長はタイチの愛車に近づき、真剣な目つきで眺めまわす。

 一方、藤田先生は、優しい手つきでバックパックからポンを取り出すと、人間の赤ちゃんをあやすかのように、そっとその腕に抱えた。

 タイチの愛車の周りをゆっくりと回っていた中谷社長が、


「はい、オッケー」


 と言って手を挙げた。


「もう終わりましたか。では中谷社長、鑑定結果を発表してください」

「レブル250で間違いないね」

「ということは、200cc以上のバイクということですね?」

「そういうこと!」


 中谷社長が親指を立てる。


「クリアぁぁぁぁ!」


 頭が床につくのではないかと思うほどのけ反りながら、リッキーが吠える。

 くるみはホッとして大きく息を吐いた。隣にいる博もほぼ同時に、長く息を吐きだした。


「柿谷ペア、見事クリアで五千万円獲得です!」


 今度はリッキーがくるみたちに向かって親指を立てた。


「ありがとう。金崎さん」


 博がタイチに頭を下げる。タイチは顔をしかめたまま、何の反応も示さない。


「私もオッケーです」


 藤田先生がしわがれた声で言った。


「先生も鑑定が終わったようです。では先生、鑑定結果の発表をお願いします」


 藤田先生は二、三度咳ばらいをしてから言った。


「このコはパグではありませんね」

「あ?」


 タイチが思わず声を出す。


「え? パグではない?」

「はい。このコはフレンチブルドッグです」

「フレンチブルドッグ?」

「おい……待てよ。何言ってんだよじじい」


 タイチはうろたえながら、藤田先生ににじり寄っていく。


「パグとフレンチブルドッグは非常に似ていますから、素人さんだと見分けるのは難しいかもしれませんが、私が見ればすぐにわかりますよ、はい」

「なんだと……」

「待ってください待ってください。パグではなくフレンチブルドッグ? 本当ですか先生?」


 リッキーが聞く。


「間違いありません」


 きっぱりと言う。


「と、ということは、金崎さんの今回のチャレンジ、クリアならずぅぅぅぅぅ!」


 リッキーが叫ぶと、観客も各々、感情を言葉に乗せて叫びだす。うるさすぎて何を言っているのかさっぱりわからない。

 タイチが今度はくるみの目の前にやってくる。


「おい、嘘だよな? あいつはパグだよな?」


 タイチがポンを指さし、唇を震わせながら言う。


「ポンは正真正銘、フレンチブルドッグよ」

「なんだと……てめえ、騙しやがったのか……」


  タイチの目が、バキバキに血走っている。

  くるみは背筋が痛くなるほどの恐怖を感じた。


「ライバルを減らすためなの。ごめんなさいね」


 それでもくるみは真っ直ぐにタイチの目を見据え、冷徹に言い放った。


「なんとなんと、くるみさんの策略だったようです! キュートな顔をして、なんたる策士!」


 リッキーがタイチの感情を逆なでるような実況を入れてくる。


「ふざけんじゃねえぞテメぇぇ!」


 タイチが拳を振り上げた。

 くるみは動くことができず、とっさに目をつぶった。


「ぐはああっ」


 その声に驚いて目を開けると、タイチがその場に倒れていた。

 ……助かった? 何が起こったの?


「くるみ、大丈夫か?」


 博が心配そうに顔を覗き込んでくる。


「……うん」

「金崎選手が暴力を振るおうとしたため、腕輪のビリビリが発動しちゃったようです! くぅ~、気持ちはわかりますが、暴力はいけませんよ暴力は」


 腕輪? そういうことか……。くるみは自分の腕に付けられている腕輪に目をやった。これまでその存在をすっかり忘れていた。


「な……なめんじゃねえぞ……俺をコケにしやがって……クソが」


 くるみは目を見開いた。目の前で、タイチが膝を震わせながら、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。

 嘘でしょ……。

 くるみは全身が硬直して動くことができなかった。


「絶対に許さねえ……てめえだけは……許さねえ……」


 殺されるかもしれない……。そう思った瞬間、

「がはっ」と短く呻いて、タイチがバタリと倒れ込んだ。

 大柄な男が無表情で立っている。手には警棒のようなものを持って。


「いやいやまさか、腕輪の電流を食らって立ち上がるとは、金崎さんの根性恐るべしです。くるみさん、危なかったですねえ。まあ、カリポさんが来なかったらリッキーが一撃で制圧してましたけどね」


 そう言いながら、空手の正拳突きのようなポーズを取るリッキー。

 床に倒れ込んだタイチはカリポの男に担ぎ上げられ、そのまま連れて行かれた。


「いろいろありましたが、柿谷ペアが五千万円をゲットし、金崎さんは連行されたことによってペア消滅となりました!」


 リッキーが何か喋っているが、くるみの頭には何も入ってこない。


「くるみさん、博さん、ちょっとだけお話をうかがいたいので、こちらへ来ていただけますか?」


 リッキーが手招きをする。

 呆然と立ち尽くしていたくるみはハッと我に返り、一歩踏み出そうとしたが、急に膝の力が抜けてその場にへたり込んだ。


「くるみ? 大丈夫?」


 隣にいる博の声が、どこか遠くのほうから聞こえてくるような気がした。

 博が腕を取って起き上がらせようとするが、くるみはしばらくの間、立ち上がることができなかった。

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