第45話 それぞれの夜
目が覚めた時、自分がどこにいるのか一瞬わからなかった。
リコは辺りを見回す。ホテルの部屋のようだ。
ミコが連行されてからの記憶は曖昧だった。どうやってホテルにたどり着いたのか、どの部屋にチェックインしたのかさえ思い出せない。
リコの頭と心にくっきりと焼き付いているのは、泣き叫ぶ妹の声と、カリポの冷たい表情だけ。
ベッドからおりて洗面所へ行く。蛇口を捻り、手ですくって大量に水を飲む。
鏡に映るリコの顔は、憔悴しきっていた。目元はクマに覆われ、唇は血色を失っていた。髪はぐしゃぐしゃで、まるで何日も洗っていないかのようだった。
冷水で顔を洗い、鏡に映る自分を見つめ、深呼吸を繰り返していると、少し気持ちが落ちついてきた。
時間を確認すると、午後十時を少し回ったところだった。KARIMOをバッグから取り出し、最新の途中経過を確認する。
1.柿谷博・柿谷くるみ――1億4,000万円
2.金崎タイチ――1億2,000万円
3.門脇リコ――6,800万円
●片山大輔・片山緑(ペア消滅)
●田所仁志・浅川みちる(ペア消滅)
●久保武弘・谷岡雅史(ペア消滅)
その内容は、リコの絶望に追い打ちをかけるものだった。
現在最下位であるという冷酷な事実が突きつけられたことで、背筋が凍るほどの恐怖を感じた。
枕に顔を押しつけ、大声で叫んだ。涙が溢れてきた。
母親とカコに会いたいと、心から思った。おかしくなってしまったミコにさえも……。
リコは暫く泣き続けた。やがて涙が枯れ果てたリコを虚脱感が包み込み、そのまま深い眠りへと落ちていった。
*
ベッドに潜り込んでから二時間経つが、タイチは寝付けずにいた。身体は疲れているが、気持ちが昂っているせいでまったく眠くならなかった。
【珍しい苗字の人】のお題をクリアした後、中華料理屋で夕食を済ませたタイチは、そのまま昨日泊まった高級ホテル『ザ・グランド・プレミアム東京』へと向かった。まだ十九時台だったが、新たなカードには挑戦しなかった。もはやグリーンカード以上のお題をクリアしなければ意味はなく、その活動しにくい時間帯にグリーンカード以上という難易度の高いお題に挑むことは自殺行為でしかないからだ。
明日に備えてたっぷり睡眠を取っておくのが賢い選択というものだ。
そう考え、タイチはシャワーを浴びるとすぐにベッドに潜り込んだのだった。
しかし、まったく寝付けない……。
「くそっ」
タイチは跳ね起きると、フロントへ電話をかけ、シャンパンを持ってこいと乱暴な口調で頼んだ。
エアコンの温度を下げてからソファに座り、テレビの電源を入れる。
タイチと軽いいざこざを起こした例の中年女が、カリポに担がれて連行される場面が流れていた。
あのババア、連行されやがったのか。ざまあねえな。まだ残ってたらダントツでトップだった可能性もある奴だからな。俺にとっては最高の展開じゃねえか。
映像が切り替わると、今度は年齢不詳の童顔の女が、熊谷光生のサイン色紙をスタジオに持ってきたシーンが映し出された。挑戦したお題はシルバーカードだという。
シルバーカード? この女が? まさかクリアしたのか?
前のめりになって画面を凝視するタイチだったが、スタジオに現れた鑑定士がサイン色紙をその場で鑑定し、その結果、サインは偽物と判明した。女は魂が抜けたような表情のまま、カリポに連行されていった。
タイチは腹を抱えて笑った。偽物を掴まされるとは、バカな女だ。よかれと思って貸した相手もこのシーンを観てショックを受けているかもしれない。そのことを想像するとさらに笑いがこみ上げてくる。
本日のハイライトシーンが終わると、マスコットキャラクターが出てきて踊りだしたので、テレビを消した。
ルームサービスが届く。高級なシャンパンで喉を潤し、KARIMOを手に取る。途中経過を確認するためだ。朝イチで確認しようと思っていたが、起きたついでだ。
もしトップとの差が開きすぎていたらと思うと、確認するのが怖かったが、昨日の時点でトップだった女が脱落したことはさっき確認した。自分の獲得賞金も一億二千万円ある。今の途中経過は俺が絶望するような内容ではないはずだ。それどころかトップの可能性だってある。
タイチは緊張と興奮で震える指先でKARIMOを操作し、途中経過を表示した。
三組中、二番目につけていた。トップの親子ペアとの差は二千万円。
喜びこそしなかったが、確信にも似た手ごたえを感じていた。
いける。この程度の差なら、あと一日あればどうにかなる。
シャンパンのボトルを掴むと、そのままひと息に飲み干した。
それでも高揚した気分を抑えられず、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、立て続けに流し込む。
ふと、たくみの顔が頭に浮かんだ。
「絶対に優勝してお前を復活させてやるからな」
そう呟いた後、高らかに笑い声を上げた。
*
くるみは雑踏の中を歩いていた。お題の〝モノ〟を借りるため、必死にそこを行き交う人たちに声をかけていた。
多くの人が行き交っているにもかかわらず、背後から誰かが近づいて来るのがわかり、くるみは振り返った。耳にいくつもピアスをつけた金髪の男が立っていた。男はくるみを見つめ、不気味な笑みを浮かべている。
くるみは恐怖で身動きが取れず、ただそこに立ち尽くしていると、男はゆっくりと近づき、こう囁いた。
「最後に勝つのは俺だ。お前らはとっとと消えろ」
思わず叫び声を上げる……と、そこで目が覚めた。
エアコンをつけっぱなしにしているのに、額には汗がにじんでいた。時刻を確認すると、零時を少し回ったところだった。
あの金髪の男は、今何をしているのだろう。寝ずに新宿の街を駆け回り、次々とお題をクリアしているのではないだろうか。くるみはそんな気がしてならなかった。
数時間前に確認した途中経過では、金髪男との差は二千万円だった。すぐそこまであの男は迫っている。じわじわと自分たちを追い詰め、やがて絡めとられてしまうかもしれない……。
スタジオで見たあの男の気迫は尋常ではなかった。狂気すら感じた。
明日はラストスパートをかけるマラソンランナーのように、最初のお題からグリーンカード以上のお題にチャレンジしてくるだろう。目を血走らせ、命がけで街中を駆けずり回る男の姿が、くるみの脳裏にありありと浮かんだ。
ベッドからおりて窓辺に向かい、カーテンを開ける。窓にはうっすらと博の寝姿が映っている。【ザ・マッカラン】のお題をクリアした後、もうひとつレッドカードのお題に挑戦するつもりだったが、博の酒が抜けず使い物にならないうえに、くるみ自身も精神的に疲れきっていたため、軽く夕食を済ませた後、早々に近くのホテルにチェックインしたのだった。それなのに、悪夢にうなされて寝られないだなんて……。
早ければ明日中に、いや、日付が変わっているから今日中にも勝負が決する。くるみは目を閉じ、父親の状態が良くなるように祈った。
くるみはふと、以前にもこの状況と似たようなことがあったような気がした。
隆一と旅行に行った時だ。
二人は沖縄に行き、美しい海と青い空を満喫していた。しかし楽しい旅行も、隆一が酔っぱらってしまったことで台無しになってしまった。
隆一は普段からよくお酒を飲むほうだったが、旅行中で気分が浮かれていたこともあり、羽目を外していつも以上に飲んでしまったのだ。ホテルの部屋に帰ってくると、隆一はすぐにベッドに倒れ込んで寝てしまい、くるみは一人で夕食を食べることになり、翌朝は二日酔いの世話もしなければならなかった。せっかくの旅行なのに思い通りに楽しめなかったくるみは隆一に腹を立てた。しかし、同時にそんな隆一が可愛くもあり、すぐに仲直りをした。
くるみはため息をつく。
こんな時に自分を捨てた人間との思い出が浮かんでくるだなんて、バカげてる。今の自分が考えるべきは、愛犬ポンとの新たな人生だけだ。誰もが驚くような成功なんていらない。田舎に家を建ててポンと一緒に静かに暮らしながら、たまに海外に旅行に行く。ただそれだけでいい。そんな生活が手に入れば、もう何も言うことはない。
そのためには、何が何でも、最後まで勝ち抜かなければいけない。
ここまできて負けてたまるか。勝つためなら、どんなことでもやってやる……。
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