第44話 珍しい? 珍しくない?

 熱気あふれるボートレース場のスタンド席の一角。緑があんぐりと口を開け、宙を見つめたまま固まっている。リアルなモーター音や心地よい風を感じられることがウリの一階スタンド席だが、緑が感じているのは絶望だった。

 人生のすべてを賭けた第5レースが始まってすぐ、ボート同士が接触し、5艇が転覆した。緑が買っていた2点の両方に5艇が絡んでいたため、緑の〝ボートレースで五百万円をゲットする〟という希望はあっさりと潰えた。


 タイムリミットまではまだ数時間あったが、あまりのショックに緑はその場で固まったまま動けなくなってしまった。

 そして時間だけが虚しく過ぎ、ついにタイムオーバーとなった。


『ジカンギレデス、カタヤマミドリサン、シッカクトナリマス』


 音声が流れ、スタンド席に二人の大きな男が現れる。


「連行します」


 カリポの一人が声をかけるが、緑はまったく反応しない。

 二人が両脇を抱えて立ち上がらせようとするが、緑の足はふにゃふにゃと踏ん張りがきかない。眉毛の太いカリポが素早く緑を肩に担ぎ上げると、歩いているとは思えないスピードで、そのままどこかへ連れて行った。


      *


 白い台の上に置かれたマッカランのボトルを、リッキーが手に取りる。


「では、こちらのマッカランを本物かどうか調べさせていただきます。別室の機械を使用して鑑定するので、一旦預からせていただきますね」


 そう言うとリッキーは、ボトルをスタッフに渡した。

 本物に決まっている。あのママさんが客に偽物の酒を提供しているわけがない。そうは思うが、いざ別室で調べるなどと大袈裟なことを言われると、万が一にも偽物だったら……と緊張してしまう。


「十分ほどですので、少々ここでお待ちください」


 早くスタジオを出ていきたいくるみには、十分という時間も長いと感じてしまう。


「あの、私ちょっと、そちらに腰かけさせてもらってもよろしいでしょうか」


 と博が言う。酒がまったく抜けておらず、立っているのも辛いのだろう。


「どうぞどうぞ」


 博はセットの端っこのスペースに腰を下ろした。

 鑑定結果が出る間、リッキーと会話するのもおっくうなので、くるみも博の隣に座った。


「くるみさんもリッキーとお喋りする元気がないようですね……ではでは、ちょっとカリモンを呼んでみましょうか」


 リッキーがマスコットキャラクターを呼び込もうとしたその時、誰かがスタジオ内に入ってきた。

 一人は金髪の男で、もう一人はメガネをかけたおじさんだった。金髪の男はもちろん見覚えがある。出場者の中でも容姿と言動においてひと際目立っていた人物だ。昨日見た時よりも、さらに目つきの鋭さが増しているような気がする。全身から殺気を放っているようにも見える。


「おっと、ここで金崎さんが来ました!」


 メガネの男性を強引に引っ張ってくるようにして、二人はステージ中央へとやって来る。


「ようこそようこそ」


 リッキーが両手を広げ、歓迎のポーズを取る。


「連れて来たぜ。さっさと確認してくれ」


 はいはいはい、と言いながらリッキーがタブレットを手に取り、


「えー、金崎さんが今回選んだのはグリーンカード。お題は【珍しい苗字の人】ですね。該当する人物として連れて来たのはこちらの方、ということでよろしいですか?」

「こいつしかいねえだろ」

「わかりました。では、さっそくお聞きします」


 メガネの男性にマイクを向ける。男性は極度に緊張しているようで、顔が引きつっている。おそらく本人は来たくなかったのだろうが、ルール違反にギリギリならない程度の強引さで連れて来られたのだろう。


「あなたの苗字はなんですか?」

「えーっと……私は、宇賀神うがじんと申します」


 小さい声で男性が答える。


「宇賀神さん?」

「はい」

「証明できるものはありますか?」


 男性は免許証を見せた。


「ありがとうございます。間違いなく宇賀神さんですね。なるほど、これは確かにあまり聞いたことがないお名前ですねえ」

「だろ」

「でも、グリーンカードのお題としての基準を超えているかというと、どうなんでしょうか。微妙なところですねえ」


 リッキーが首を捻る。


「あ? 何言ってんだよ。めちゃくちゃ珍しい名前だろうが」

「ええ。それは間違いないのですが、五千万円をゲットするにふさわしい珍しさなのかといえば、どうでしょうか」

「ふざけんじゃねえぞ。変な言いがかりつけてんじゃねえよ!」


 金髪が吠える。 


「落ち着いてください。珍しい苗字かどうか、視聴者投票で決めましょう!」

「は? 視聴者投票だと?」

「テレビの前の皆さんに決めていただくのです」

「おい待てよ。なんだよそれ」


 リッキーがカメラに視線を向ける。


「皆さん、リモコンのXボタンで投票してください」

「おい、だから待てって」

「ではでは、投票スタート!」


 チンチロリロリロリンリンリンと、リズミカルな音楽。


「さあさあ、どうなるでしょうか」


 リッキーは心底嬉しそうな表情で、身体を揺らしながらノリノリだ。金髪の男はリッキーの真横に立ち、その横顔を睨みつけている。

 カンカンカンカンカンと鐘の音が鳴った。


「それでは、結果を見てみましょう。どーぞ!」


 スクリーンに【珍しい】と【珍しくない】の文字が出て、それぞれの横棒グラフがグングン伸びていく。その両方が二万人を超え、激しく競り合う。

 その様子を見ながらくるみは、【珍しくない】のほうが競り勝つことを願った。金髪の男は一人になってしまっているため、ここで失敗すればペア消滅となるからだ。

 くるみが祈るように手を組んだその時、グラフの伸びが止まり、結果が示された。


珍しい・2万7723人

珍しくない・2万5569人


「おーっと、珍しいが上回ったぁぁ。ということで、クリアァァァ!」


 リッキーの絶叫が響き渡る。

 金髪の男も両の拳を握って「しゃぁ!」と吠える。


「いやあ、わずかな差でしたが、見事にクリアしました。投票してくれた視聴者に対して何かありますか?」

「あるわけねえだろ」

「これで獲得賞金額が一億二千万円となりましたが、今どういう心境ですか?」

「てめえと喋ってる時間はねえよ」


 金髪の男はそう言うと、ブーイングが飛び交うのもお構いなしに、スタジオを飛び出していった。

 残されたメガネのおじさんはどうしたらいいのかわからずオロオロしている。


「宇賀神さん、ありがとうございました」

「あ……どうも」

「これからもその珍しいお名前に自信を持って生きていってください。皆さん、宇賀神さんに大きな拍手を!」


 意味不明なエールと拍手を受け、メガネの宇賀神さんは恐縮しながらスタジオを出ていった。


「さあ、それでは、続いて柿谷ペアの持ってきたマッカランの鑑定結果の発表に移りたいと思います」


 金髪男のゴタゴタの間に結果が出ていたようだ。


「お二人、こちらへ来ていただけますでしょうか」


 促されて、くるみと博は立ち上がった。再びリッキーの目の前に立つ。


「では、発表します」


 デュロロロロロ~ンと、奇妙なドラムロールのような音が流れ出す。

 ドドン! と鳴って音が止まると、リッキーは叫んだ。


「クリアぁぁぁぁ!」


 背骨が真っ二つに折れそうなほどのけ反っている。


「柿谷ペアの持ってきたマッカランは間違いなく本物でした」


 当たり前でしょ、とくるみは言ってやりたかったが、口には出さない。


「これで獲得賞金額が一億四千万円となりましたが、手応えのほうはどうでしょう?」

「わかりません。ほかのペアの状況次第なんで」

「そりゃそうですよね。これは失礼しました」


 リッキーがおどけたポーズを取るが、くるみは表情をまったく変えなかった。愛想笑いさえ体力の無駄だ。

 これまでスタジオではリッキーに笑顔で対応していた博も、今は酔っているせいでぼうっとしているため喋るどころではない。


「では、この後も期待してるので、頑張ってくださいね」


 さすがのリッキーも、これ以上会話を弾ませるのは厳しいと判断したようだ。

 出口に向かう二人に、客席からさまざまな言葉が飛んでくる。

 疲れ切っているくるみの耳には、応援されているのか罵声を浴びせられているのか、それすらもわからなかった。

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