第43話 決別
くるみと博がスナックでデュエットする二時間ほど前、タイチはお題に該当する人物を探して、新宿の街を駆けずり回っていた。
【オスの柴犬】をクリアして五千万円を獲得したが、合計獲得額は七千万円しかなく、優勝するためにはまったく足らなかった。
タイチはろくに休憩を取らず、すぐにグリーンカードを選択した。
与えられたお題は、【珍しい苗字の人】だった。
タイチはだれかれ構わず声をかけまくっているが、丁度いい塩梅の苗字の人物には出会えずにいた。
佐藤、斎藤、小林、鈴木、山田、山内、中山、中村、近藤、伊藤、池田、田中、田村、北山、森下、どいつもこいつもベタな苗字ばかりだ。
特に多いのは高橋。男も女も高橋ばかり。次に高橋と言われたらぶん殴ってしまうかもしれない。
目の前を行き交う人々を睨みつけながら、タイチは今にも叫びだしそうだった。
クソったれが。曖昧なお題出しやがって。どこからが珍しい苗字なのか基準がわかんねえだろうが。
「おい、お前」
すれ違いざまに若い男を呼び止めた。
「え、はい?」
「お前、名前は」
「名前、ですか?」
「そうだよ。名前なんだよ」
「つよし、です」
「下じゃねえよ。名前つったら苗字のほうに決まってんだろ!」
「あ、すみません。内山田です」
「うちやまだ……」
タイチは男の顔を見つめたまま固まった。
今まで生きてきて、内山田という苗字の奴に会ったことはない。珍しいといえば間違いなく珍しい苗字ではある。しかしグリーンカードのお題としてはパンチが弱いのではないか……。これがレッドカードなら問題はなさそうだが、グリーンカードとしては……。
「あの……」
「ダメだくそっ」
「はい?」
「内山田じゃ弱いんだよ! なんで外山田じゃねえんだよボケ!」
タイチが怒鳴りつけると、男はひゃっと甲高い悲鳴を上げて走り去って行った。
何なんだよクソったれが。これだけ人がいて何で珍しい名前の奴がいねえんだよ。
「おい、お兄ちゃん。頑張ってるね」
いきなりおっさんが声をかけてきた。
「これあげるよ」
おっさんはビニール袋を差し出してきた。
「なんだよおっさん」
「たこ焼きだよたこ焼き」
「君のこと応援してるから、これあげようと思ってさ」
「いらねえよ」
こんなクソ暑いのにたこ焼きなんて食えるか。
「区役所通りにある『たこ鉄』っていうたこ焼き屋なんだけどさ、知ってる? たこ鉄」
おっさんは必要以上にデカい声で店名を叫ぶ。おっさんが付けているエプロンにも店名がデカデカと書かれてある。
「てめえコラ、ただ店の宣伝したいだけだろうが」
「違う違う。ただ差し入れしようと思っただけで、区役所通りにあるたこ鉄を宣伝したいわけじゃないのよ」
そう言いながらおっさんはチラリとDBに視線をやった。明らかにカメラを意識してやがる。
「ほんとだって。二十種類もメニューがあるたこ鉄の、」
「おっさん名前は」
「え?」
「名前はなんつうんだよ」
「たこ鉄」
「おっさんの名前だよ!」
「ああ、俺? 西田だけど」
「死ね」
それだけ言うと、おっさんに背を向けた。
タイチは目を血走らせながら、獲物を探して草原をうろつく猛獣のような殺気を放ちつつ、再び人ごみの中に突っ込んで行った。
*
往来の真ん中でリコは足を止めた。暑さと極度のプレッシャーのせいで、全身が汗でびっしょりだった。
額に浮き出る汗を拭い、上空を仰ぎ見る。
どこでどう間違ってしまったのか、リコにはもうわからなかった。そのことを考えたくもなかった。
しかし、リコの脳裏には、先程体験した悪夢のような光景が、リコの意思とは無関係に蘇ってくる。
海藤正弘とリコが部屋に入り、コトを終えるまでの時間はわずか十分ほどだった。リコには永遠とも思える苦痛の時間ではあったが、心をどこかに飛ばし、何も考えず何も感じないようにしてやり過ごした。
これで良かったんだと無理やり自分に言い聞かせ、リコは部屋の外へ出た。今にも泣きだしそうな顔でミコが駆け寄って来る。
「大丈夫?」
「……うん」
ミコが睨みつけるような視線をリコの背後に送る。
リコが振り返る。海藤が玄関口に立っている。
「じゃあな。せいぜい頑張れよ」
リコは一瞬、我が耳を疑った。
「え? 一緒に来てくれるんでしょ?」
「行くわけないだろ」
海藤が平然と言ってのける。
「ちょっと待ってよ、約束が違うじゃない」
リコが詰め寄ると、面倒くさそうな顔をして、
「久しぶりに運動したら腰を痛めちゃったから。ちょっと動くのはしんどいわ」
「は? あんた何言ってんの? ふざけないでよ!」
ミコが海藤に掴みかかった。
「うるさいっ」
海藤がミコを突き飛ばす。その場で尻餅をつくミコ。
「俺はな、お前たち姉妹ペアが消滅するのに賭けてんだよ」
海藤の言葉に、リコは唖然とする。
「消滅二連単ってやつだよ。次にお前たちが消滅したら見事的中でそこそこの金が手に入るんでね。だからお前たちに協力なんてするわけがないのよ」
ろくに働きもせず、別れた奥さんから金をむしり取り、さらにはかつて自分の娘だった者の敗北に賭けて儲けようとまでするなんて……。
正真正銘のクズだ。一緒に住んでいたあの頃、躊躇せずに階段から突き落としてやればよかった……。
男が乱暴にドアを閉めた。
その瞬間、リコの胸の中にあった希望が、音を立てて崩れ去ったのをはっきりと感じた。
怒りと絶望を感じながらも、二人はとりあえず新宿へ戻った。道行く人に声をかけて、何が何でも自己破産した人を探さなければならない。
しかし、新宿に到着した時点で残り時間が一時間を切っており、そんな状況で自己破産経験者を探し出せるわけがなかった。実際に、狂ったように駆けずり回ってみたが、物語のような奇跡は起こらなかった。
「もうダメ。絶対に無理……」
ミコがしゃがみ込んで頭を抱える。
リコはミコのそばに駆け寄り、
「残り時間は?」
ミコは反応しない。
リコはミコの肩掛けのバッグを開け、KARIMOを取り出す。
残り時間の表示は三分を切っていた。
「もう時間がない」
ミコが顔を上げた。
「でも、時間を買えばまだ希望はあるよ」
現在六千八百万円ある。一時間二千万円だから、三時間は延長できる。
「ダメ」
そう言ってミコが立ち上がった。
「そんなことにお金を使うなんて、絶対にダメ」
「何言ってんの? 時間切れになったら、どっちかが連行されちゃうんだよ?」
「時間を買ってもクリアできるかどうかわからないでしょ。ここで無駄なお金を使わずに優勝を目指したほうがいいよ」
「……そんな」
「とにかく優勝しないと意味ないでしょ。そうでしょ? ねえ?」
「それは……そうだけど」
それが最善の選択なのか……。そうするべきなのか?
リコは迫りくるタイムリミットへのストレスで、冷静に考えることができなかった。
「お姉ちゃんが失格でいいでしょ?」
「え?」
「だって私のほうが頭もいいし度胸もあるから、私が残るほうが優勝できる可能性は高いでしょ?」
「あんた、本気で言ってんの……」
「お姉ちゃんが残っても無理よ。絶対にすぐ脱落するって!」
ミコが叫ぶように言った。その言葉がミコの口から出たことが信じられなかった。たまに喧嘩をすることもあったが、これまで二人で母親や妹をサポートしながら支え合って生きてきたのに……。
『シッカクシャヲ、キメテクダサイ』
KARIMOから音声が流れた。画面を見ると、残り時間の表示がゼロになっていた。
『サンプンイナイニ、シッカクシャヲ、キメテクダサイ』
周囲の通行人が何事かとざわついている。二人がUKCの出場者だと気づいたのか、スマホで撮影している人もいる。
「知ってるでしょ、優勝したら一億円払えば連行されたパートナーの強制労働を取り消しにできるんだよ? それでお姉ちゃんを助け出すから。ね? だから、私に任せてよ!」
目の前のミコはもはや別人のような顔をしている。
髪を振り乱し、目を真っ赤にしながら喚き続けている。
「本当に? 本当にそんなことする気ある?」
「なんでそんなこと言うの? 私が信じられないの?」
「わたしはね、こういう状況になった時、自分が連行されてもいいと思ってたのよ。そいう覚悟はできてた。でも、今のミコは信じられない」
「そんなこと言って、お姉ちゃんもお金が欲しいだけでしょ? 独り占めしようとしてるんでしょ!」
「お姉ちゃんもって、何よ。あんたまさか……」
ミコが口の端を軽く上げた。
「そうよ。私はカコのことなんてどうだっていいのよ。夢のためにお金がほしいの。ただそれだけなのよ」
「夢……なんの夢よ」
「経営者になるのよ。そしたらもっともっとお金持ちになれるんだから。そのためにお金が必要なの。私はもうイヤなの……貧乏はもうイヤなのよ!」
ミコが絶叫する。何者かが憑依したかのようなミコの迫力に、リコは恐怖を感じた。
「それ、渡してよ」
ミコがKARIMOに手を伸ばす。リコはサッと身を引く。
「渡してって」
「嫌よ」
言いながらリコは後ずさる。
「渡しなさいよ!」
ミコが飛びかかり、KARIMOを両手で掴む。
「やめてよっ」
リコも奪われまいと必死に抵抗する。
お互いに力任せに引っ張り合っていると、リコの手からKARIMOがすっぽ抜け、地面を転がっていった。
ミコはKARIMOめがけてダッシュする。リコもワンテンポ遅れて走り出す。
ミコがKARIMOを拾おうとした瞬間、リコが後ろから体当たりをかました。
「きゃっ」
ミコは悲鳴を上げながら地面に倒れ込んだ。リコはKARIMOを拾い上げ、画面に表示されている二人の名前を確認する。
「やめてぇぇぇ!」
ミコが叫ぶ。
リコはミコの名前をタップした。
『シッカクシャハ、カドワキミコニケッテイシマシタ』
どこに隠れていたのか、音声が流れてから数秒も経たないうちに大柄な二人のカリポが姿を現した。
両脇を抱えられて、ミコが立ち上がらされる。
「イヤ! やめて! なんで私なのよ……お姉ちゃん……なんで……」
連行されていくミコの姿を直視できず、リコは地面に視線を落とした。
後ろから来た人が突っ立っているリコにぶつかった。チッと舌打ちが聞こえたが、リコは何の反応もせず、ただただ足元を見つめているだけだった。
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