第33話 誠心誠意

 待ち合わせ場所として決めていた小田急百貨店前の横断歩道に行くと、はぁはぁと肩で息をしている博の姿があった。慌ててやって来たのだろうか。

 声をかけようとすると、博がくるみに気づき、


「どうだった?」


 と聞いてきた。

 くるみは何も言わず、ただ首を横に振った。


「そう……こっちもダメだったよ」


 博の言葉を聞いて、くるみは思わず天を仰いだ。

 次に打つ手をすぐに考えないといけないが、頭がうまく回らない。


「あのさ」


 博が口を開く。

 大きく息を吐き出して呼吸を整えると、


「今って秋のお彼岸だから、お墓に行ってみるのはどうかな」

「秋のお彼岸? って何?」

「春と秋にお彼岸ってのがあって、その期間にお墓参りに行くんだよ」

「なんか聞いたことある」

「お墓参りといえばおはぎだよね。だからお墓に行けばおはぎがお供えされてるんじゃないかな」

「お墓に……おはぎ……」

「うん。東京って広い霊園とかあるでしょ? そこならひとつくらい置いてるかもしれないよ」


 博が期待を込めた目でくるみを見つめてくる。

 よくそこに気がついたなと感心しそうになったが、うまくいく可能性が高そうなアイデアだとは思えない。しかし、ほかに方法が思いつかない以上、行ってみるしかないような気もする。


「どこかそういう場所、知ってる?」


 くるみは首を振った。


「思いつかない」

「じゃあとりあえず、タクシー捕まえようか」


 くるみの返事を待たず、博は自分の案を採用することを決めたようだ。

 すぐにタクシーが捕まらなかったら時間を無駄にすることになると危惧したが、幸いにも五分ほどで空車のタクシーを捕まえた。


「ここから近くてなるべく大きいお墓に行ってもらいたいんですけど。なんとか霊園みたいなとこ」

「お墓? ん~っとね、ここから近いところでいえば、やっぱり青山霊園かな」


 青山霊園に行ったことはないが、その名は聞いたことがある。確か花見の名所としても有名なところだ。


「そこでお願いします」


 くるみはふと、母親の死後、初めて墓参りに行った時のことを思い出した。当時二十歳だったくるみは、母親の死を受け入れることができず、墓の前で泣き崩れた。その後もくるみは毎年、母の命日に墓参りに行っているが、博に連絡することはなかったので、そのことを博は知らない。

 母親のお墓に供えるのは、いつも決まってバウムクーヘンだ。母親の大好きだった福福屋というお店のバウムクーヘン。おはぎを供えたことは、一度もない。お墓におはぎが供えられているところも見たことがない。自分たちが今取っている行動はまったくの的外れなのではないか。そんな不安が胸いっぱいに広がる。


「ここでいいかな」


 十五分ほどで到着した。

 礼を言ってタクシーを降り、霊園内に足を踏み入れる。


「広いなあ」


 博が感嘆の声を上げる。

 同感だ。くるみが想像していた以上にそこは広大な敷地だった。

 歩いていると、『忠犬ハチ公の碑』と書かれた石碑があり、その傍にほこらがあった。


「あのハチ公も青山霊園にいるんだ」


 博が石碑をしげしげと眺めながら呟く。

 くるみは祠におはぎが供えられていないか確認してみたが、みかんとドッグフードが置いてあるだけだった。

 ハチ公のお墓から離れてすぐ、墓参りをしている家族を発見した。もしおはぎを供えていたらお願いして貸してもらおうと思い、近づいていったが、供えていたのはお菓子だった。

 その後も二人は園内を歩き回ったが、おはぎが供えられているお墓やおはぎをお供えしている人は見つけられなかった。


 くるみは足を止め、膝に両手をつき、肩で呼吸を繰り返した。こめかみに浮き出た汗が、ぽたりと地面に落ちた。

 時間だけが過ぎていく。やはり墓地に来るという選択は間違っていたのではないか。地道に一般宅を当たっていったほうがまだ可能性は高かったのではないか……。

 くるみの頭の中をタラレバが渦巻く。暑さのせいか、こめかみがジンジンと痛くなってきた。


「あった!」


 一瞬、それが誰の声かわからなかった。


「くるみ、あったよ!」


 博が大声で叫んでいる。駆け足で博のもとへ向かう。


「ほら」


 博が指さした先に、プラスチック容器に入った二個のおはぎがあった。

 色とりどりの花が供えられているその墓石には『加藤家之墓』と書かれている。お供え物や墓石がピカピカに磨かれているところを見ると、よほど子孫に大事にされているのだろう。


「これ、借りていこうか」

「うん」


 くるみが手を伸ばそうとする。


「あ、待って」

「なに?」

「これって……盗むことにならないかな」

「盗む?」


 言われてみると、そうかもしれない。探すのに必死すぎてそんな単純なことに気づかなかった。


「盗んだり奪い取ったりする行為はルール違反になっちゃうよね」


 くるみはバッグからKARIMOを取り出し、残り時間を確認する。一時間を切っていた。このチャンスを逃したら制限時間内におはぎが手に入る可能性は極めて低い。


「貸してくださいって、丁寧にお願いしたら大丈夫なんじゃないかな」

「お墓に? それで大丈夫?」


 と不安げな顔の博。


「もう時間がない。やってみるしかないよ」

「……わかった」


 二人は墓石に向かって手を合わせた。


「加藤家の御先祖様。私たちはUKCという競技に参加している者です。UKCはいわゆる借り物競争です。今、私たちがチャレンジしているお題がおはぎなのですが、どこからも借りることができずにいます。なので、こちらにお供えされているおはぎを貸していただきたいです」


 くるみがそう言った後、博が続ける。


「もし優勝できたら、最高級のおはぎを持ってお礼に伺わせていただきますので、なにとぞ、よろしくお願いいたします」


 くるみは「失礼します」と言って深く頭を下げ、おはぎの入ったプラスチック容器を手に取った。




 タクシーが捕まらなかった場合は時間切れとなる可能性があるため、新宿までは電車を使った。

 スタジオに到着すると、相変わらずの陽気なテンションでリッキーが二人を迎えた。


「今回、柿谷ペアが選んだカラーはレッド。お題は【おはぎ】です。では、さっそく持ってきたモノをこちらの台に置いてください」


 くるみはおはぎの入った容器を、白い円柱の台の上に置いた。


「では、私がいただいて判断しましょう」


 リッキーがおはぎを手に取り、大きく口を開けてかぶりついた。


「う~ん。美味! とっても美味しいおはぎです。しかも私の大好きな粒あんの」


 その味を噛み締めながら、至福の表情を浮かべる。


「よかった……」


 博が安堵の声を漏らす。


「これがおはぎなのは間違いありません。しかし、果たして柿谷ペアの行為が、借りたことになるのか否か、という問題があります」


 問題はそこだ。借りたと認められなければ、ルール違反によりどちらかが失格となってしまう。


「先生、お越しください」


 リッキーが誰かを呼び込んだ。紫色の衣装に身を包んだ、怪しげな雰囲気の中年女性が現れた。


「こちらは霊能者のバネッサ天雪あまゆき先生です。生まれ持った類まれなる霊能力によって多くの方々を幸福な人生へと導いてこられた先生は、東北の聖母と呼ばれています」


 霊能者だというおばさんは、カメラに向かって深く頭を下げた。

 こんな怪しげな人物がいったい何をするというのだろう。霊や神などの類を一切信じていないくるみは、目の前の霊能者に疑いの目を向ける。


「天雪先生には、柿谷ペアがおはぎを拝借した加藤家のご先祖様にコンタクトを取っていただき、柿谷ペアにおはぎを貸したのか、あるいは盗られたと思っているのか、そこを確認していただこうと思います」


 何をバカなことを。そんなことで私たちの運命を決められたらたまったものではない。


「なぜ霊能者の先生がこれほどスムーズに登場できたのか? そこを疑問に思ってらっしゃる方もいるかもしれませんね。それはもちろん、我々の準備が完璧だからです。我々はあらゆる状況を想定して、あらゆる人物をあらかじめお呼びしているのです」


 リッキーが勝ち誇ったように言う。

 そんなことはどうでもいい。重要なのは私たちの運命を霊能者などに委ねていいのかということだ。くるみはそのことを抗議しようと口を開いた。


「ちょっと、」

「さあ、それではさっそく先生、お願いできますでしょうか」


 くるみの言葉はリッキーの言葉にかき消されてしまった。

 バネッサ天雪なる霊能者が手のひらを合わせ、目をつぶる。スタジオの照明が落ちて薄暗くなると、物音ひとつ立たない静寂が訪れた。何かを言う雰囲気ではなくなってしまい、くるみは言葉を飲み込むしかなかった。


 バネッサ天雪はぶつぶつと呪文のような言葉を唱えた後、「えい!」と地響きのような声を出した。

 そのまま微動だにせず、一分ほどが経った。

 バネッサ天雪はゆっくりと目を開けると、リッキーに視線を向けて頷いた。


「コンタクトは取れましたでしょうか、先生」

「加藤家のご先祖の方と、お話ができました」

「そうですか。どのように仰られてたでしょうか」


 くるみは生唾をごくりと飲み込む。

 スタジオ内はエアコンが効いているはずなのに、額から汗がしたたり落ちた。


「お墓の前で手を合わせて丁寧に頼む姿勢に好感が持てた。私は喜んでお貸ししました。と仰っておりました」

「お、おおっ。ということは、ク、クリアァァァ!」


 背骨がへし折れるのではないかと思うほどエビ反りながらリッキーが叫んだ。


「ク、クリア……」


 博が安堵のため息を漏らす。相当緊張していたのか、顔が真っ青だ。


「いやあ、よかったですね。誠意をもって接すれば死者にも気持ちは伝わるものなんですねえ」

「そうですね。よかったです」


 博が笑顔で答える。

 くるみは何かを喋る気にはなれなかった。ホッとしたのは事実だが、何か釈然としないものがあった。

 バネッサ天雪は果たして本物の霊能者なのか。ずっとDBを通して監視している運営の人間は、加藤家の墓前での私たちの行動を確認した段階で話し合い、故人に対して丁寧に頼んだ姿勢を評価し、これは「借りた」こととして認めようとの判断が下されていたのではないか。

 つまり、霊能者は番組を盛り上げるためのただの演出ということなのでは? 霊能者による死者との交信は演技で、死者からのメッセージも運営側から伝えていた通りのことを言っただけなのではないか。

 まあ……無事にクリアしたのだから、そんなことはどうでもいいことではあるが。


「時間はかかりましたが、見事にクリアしましたね。次は何色のカードを選ぶおつもりでしょうか」


 リッキーがくるみにマイクを向けてくる。


「まだ決めてません。急ぐので、失礼します」


 素っ気なく言うとくるりと背を向け、出口に向かった。

 スタジオを出て、ふぅと息を吐いた瞬間にどっと疲れを感じた。砂糖たっぷりの甘いコーヒーを飲みながら、少し休憩したいと思った。

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