第14話 爆食

 近くにいた生徒をつかまえ、「柔道部か相撲部ある?」と聞いてみると、柔道部の屋外道場があると教えられ、二人はそこへ向かった。体育館のすぐそばに、建てられたばかりのような真新しい道場があった。そこでも二人は、躊躇なく中に入っていった。

 道場内では生徒たちが熱心に練習していたが、突然現れた二人にみな戸惑いの表情を浮かべた。


「あの、何か?」


 先生らしき人物が声をかけてくる。極端に痩せていて、柔道部の顧問という雰囲気は欠片もない。


「練習中悪いね。俺らUKCに出てるもんなんだけど、知ってる? UKC」

「ええ、知ってます」

「そんでさ、体重百キロ以上の奴を探してるんだけど、この中に百キロ以上の奴いる? いたら貸してほしいんだけど」

「いや、あいにく、うちには百キロを超える生徒はいないんですよ。一番重いのでも90キロくらいでして」

「なんだと? ふざけんなよ!」


 タイチが声を荒げた。


「百キロ超えがいない柔道部なんて柔道部じゃねえだろ。とっとと廃部にしやがれボケが」


 理不尽に怒鳴られた先生は、ポカンと口を開けて唖然としている。


「おっさん顧問かよ」

「はい……そうです」

「なんで顧問がガリガリなんだよ!」

「……すみません、素人なもんで」


 先生が頭を下げる。


「あんたらさ、練習の邪魔だから出てってくれよ」


 生徒の一人が言った。


「あ? んだとコラ」

「なんだよ。いきなり来て失礼にもほどがあるだろ」


 タイチを相手に臆することなく向かってくる生徒は、身体がタイチよりひと回り以上デカい。先生が言っていた最も体重の重い生徒かもしれない。


「先生、警察呼びましょうよ警察」


 別の生徒が言った。


「あん? 警察だと? 上等だよコラ」

「やめろ、手え出したら終わりだぞ」


 生徒たちが警察を呼べと口々に言いだした。


「呼べるもんなら呼んでみろよ。その前にぶち殺してやるよ」

「やめろって」


 たくみは今にも殴りかかりそうなタイチを強引に外へ連れ出した。


「放せ」


 たくみの腕を振りほどく。


「あいつら一発でもぶん殴ってやらねえと気がすまねえ」

「バカ、んなことしたら逮捕されたうえにUKCも失格になるぞ」


 道場の中へ戻ろうとするタイチを、たくみが引っ張りながら連れて行く。


「とりあえずここはダメだ。一旦出るぞ」


 ここで警察と揉めるなんてことにでもなったら、非常にやっかいだということはタイチも理解している。だが、腹が立ってしょうがない。柔道部の生徒に対してもそうだが、簡単だと思っていたお題に苦戦している自分自身に、ムカついて仕方がない。

 イライラを抱えながら校門に向かって歩いていると、中庭で大きな身体の男子生徒が座っているのが目に入った。


「おい、あいつ」


 タイチが指をさした。


「なんだ?」


 たくみがそちらに視線を移した時には、すでにタイチは駆け出していた。

 タイチが近づいてみると、その男子生徒は花壇の前に座ってキャンバスに鉛筆を走らせていた。


「おい」


 声をかけると、男子生徒はゆっくりと振り向いた。


「お前、体重何キロあるよ」

「はい? 僕ですか?」

「お前しかいないだろうが。何キロあんだよ、体重」

「えーっと、体重は、百キロあるかないか、ですね」

「なんだよそれ、はっきりしろよ」

「いつも百キロ前後をウロウロしてるんで、計ってみないことにはわかんないです」


 男子生徒はタイチに怯える様子はなく、聞かれたことに素直に答えた。そのゆったりとした喋り方が、ますますタイチをいら立たせた。


「お前、俺らと一緒に来い」

「なんでですか? これ描かなきゃいけないんですけど」

「いいから来いよ」


 タイチが顔面を近づけ、低い声で脅すように言う。


「……わかりました」


 さすがにタイチの狂気性を感じ取ったのか、男子生徒は渋々了承した。


「おい、大丈夫かこいつで」


 たくみが不安そうな声を出す。


「こいつを逃してほかのデブを見つけられなかったらヤベえだろ」

「そうだけどよ……」


 たくみは値踏みするような目で男子生徒を見る。


「おい、ブーちゃん」

「明石(あかし)です」

「百キロあるんだろうな」

「たぶん……あるような気はしますけど」

「はっきりしねえデブだな。まあしょうがねえな、こいつでいくか」


 明石と名乗った生徒を学校から連れ出し、新宿マルタに向かう。その途中、タイチが聞いた。


「お前、部活はなんかやってんのか?」

「美術部です」

「その身体でか」

「ええ、まあ」

「もったいねえなあ」

「そうですか」

「格闘技でもやれよ」

「そういうのは……ちょっと」


 某有名百貨店前の交差点に差し掛かった時、「焼肉食べ放題」と書かれた大きな看板が目に入った。タイチは明石の肩を叩いた。


「おい、あの店入るぞ」

「はい? あの店?」

「早く来い」


 交差点を渡り、焼肉屋の前まで行ってみると、韓国焼肉の店だった。店内に入ると、順番待ちをすることなく席に案内された。食べ放題コースを三人前注文する。


「おい、ブーちゃん」

「明石です」

「死ぬほど食え。それだけだ」


 そう言うとタイチは、次々と肉を注文した。明石は運ばれてくる肉を、言われるがままに食べていく。焦りと怯えが交錯したような表情で機械的に肉を口へと運ぶ明石をよそに、腹が減っていたタイチとたくみは、肉一枚一枚をうまそうに味わいながらライスと共にかき込んでいく。


「おい、休むな。どんどん食えよ」

「うぐ……苦しいです」

「気のせいだよ」


 タイチはマンゴープリン、黒ごまアイス、杏仁豆腐などのデザートを追加注文した。


「甘いもんなら別腹だから、まだ入るよな」

「そんな……」


 食べる喜びとは無縁の焼肉パーティーがデザートステージへと移行したことを告げられ、明石の顔には絶望が張りついた。「食え」とタイチに促され、明石はスプーンを手に取り、黒ごまアイスをすくって口に運ぶ。

 メニュー表には黒ごまアイスがおすすめであると書かれているが、明石にはもはや贅沢な味ではなく、一口ごとに飽和感と疲労を増幅させる謎の薬のようでしかない。

 不必要に明るい天井の蛍光灯の輝きが、その苦悶の表情を際立たせている。


「もうダメ……」


 肉とデザートをしこたま食べさせられた明石は、そう言って天井を見上げた。


「情けねえな。まあいい、行くぞ」


 タイチが声をかけるが、椅子に腰を降ろしたまま明石は動かない。タイチは明石の頭を一発はたき、椅子から引き剥がすように強引に立たせる。

 明石のお腹はパンパンに膨れ上がっていた。その顔に、お腹いっぱいに美味しいものを食べたという満足感は微塵もない。

 店の外へと明石を連れ出し、再び新宿マルタを目指すが、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返す明石の歩みの一歩一歩がとてつもなく遅い。


「おい、もっと早く歩けよ」

「だって……苦しくて」

「苦しくてじゃねえよ。気合でなんとかしろよ。男だろうが」

「あなた、昭和からタイムスリップして来ました?」

「やかましいわボケ」


 タイチがまた頭をはたく。


「あの…ところで、僕はどこへ連れて行かれているのでしょうか……」

「言ってなかったか? マルタだよ」


 たくみが答える。


「マルタ? あのマルタ? そこで何かあるんですか?」

「喋る暇があったらそのエネルギーを足に向けろ。そして早く歩け」


 二人に急き立てながらなんとか足を動かす明石。数十分後、今にも倒れそうな明石を両脇から抱えながら引きづるようにして、ようやく新宿マルタに到着した。



 スタジオ内に入ると、観客の盛大な拍手と、リッキーのハイテンションな声が三人を出迎えた。


「いやいやいや、明石君、観てましたよ~。無理やり食べさせられて大変でしたね」


 リッキーが明石にマイクを向ける。

 明石はここにきてまだ何が起こっているのかさっぱりわかっていないようで、キョロキョロと周りに視線をやっている。


「あの、これって……」

「これですか、UKCですよ」

「UKC……ああ、UKC……なるほど、そういうことか」


 やっと理解したようだ。


「ええ。百キロ以上の人というお題だったんで、彼らが君を連れて来たというわけです」


 そこでリッキーがタイチに視線をやる。


「だけど百キロあるかどうか微妙だったんで、少しでも体重を増やすために焼肉を大量に食べさせたと、そういうことですよね?」

「おう」


 タイチが短く答える。

 リッキーは明石に顔を戻し、宙に浮いているDBを指さす。


「焼肉屋での君の奮闘は全国に流れていましたよ」

「そうですか……恥ずかしいです」

「明石君はキャラがいいんで、大食い番組のオファーなんか来ちゃったりするかもしれませんよ。UKCをきっかけにスカウトされてタレントになった方もいますしね」

「いやいや……僕なんか」


 そこへ白いスーツのスタッフが、三人がかりで試着室のようなものを運んできた。


「ではさっそくですが、体重を計りましょう。この中には超高性能の体重計が入っています」


 リッキーがカーテンを開けると、シルバーボディの丸くて薄い物体が姿を現した。


「明石君はこの中に入って、下着姿になってその体重計の上に乗ってください」

「ええ? 下着姿?」

「男性スタッフが一緒に入りますが、カメラでは映さないので安心してください」


 それでもモジモジと煮え切らない明石に対し「早く入れ」とタイチが一喝した。

 明石はお化け屋敷にでも入るかのように、恐る恐るスタッフと一緒に中に入った。


「金崎・岩瀬ペアが選んだのはレッドカード。お題は【体重100㎏以上の人】です。果たして条件をクリアしているのでしょうか。計測結果はあちらのスクリーンに表示されます。では明石君、体重計に乗ってください!」


 中にいる明石にリッキーが声をかけると、スタジオ内が一瞬で静まり返る。

 ガチャン、という体重計に乗る音が静かに響く。

 タイチは両の拳を強く握りしめた。悪寒のようなものが全身を駆け巡っていく。これまで喧嘩で多くの修羅場を経験してきたが、これほどの不安と緊張は一度も感じたことがない。


 スクリーンに表示されているデジタル数字がせわしなく変化する。

 それは一瞬であるはずだが、タイチには永遠にも感じられる。

 百キロ台と九十キロ台を行ったり来たり目まぐるしく変化していた数字がピタリと止まり、計測した体重が示された。

 スクリーンには「100.6kg」と表示されていた。


「出ました! 100.6キログラム! 六百グラムオーバーです! ということは、クリアァァァァ!」


 軽快な音が流れると同時に、観客がドッと沸く。

 大型スクリーンには、満面の笑みで親指を立てているリッキーの画像が出ていた。

「っしゃ!」とタイチが拳を突き出し、「おっっし!」とたくみも声を上げた。 

 観客の中には親指を下に向けながら「ブ~~」と言っている者もいたが、タイチはそんな奴のことなどもはや眼中になかった。


 一千万円獲得――。


 もちろん優勝しなければ手に入らない金であることはわかっているが、人生における初めての大きな成功に対する喜びがタイチを高揚させ、鼓動を速めた。


「焼肉を食べさせたのは正解でしたね。お見事です。明石君の頑張りにも感謝しないといけませんね」


 それは間違いない。イライラさせられる野郎だったが、ぶーちゃんのおかげでクリアできたことは事実だ。

 タイチは労いの言葉のひとつでもかけてやろうと、体重測定部屋のカーテンを乱暴に開けた。

 明石はズボンを穿いている最中だった。


「ちょ、待って待って」


  明石は慌ててカーテンを閉めようとしてバランスを崩し、歌舞伎の飛び六方のようにトントンと跳ねながら部屋の外へ飛び出し、派手にすッ転んだ。

 スタジオは爆笑に包まれ、タイチは「バカ野郎が」と小さな声で吐き捨てた。

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