第2話 再会
バスの座席で揺られながら、くるみは窓の外に広がる静かな田園風景を眺めていた。
新幹線と電車を乗り継ぎ、バスで実家の最寄りのバス停まで約二十分。緑濃い山々が静寂な時間を刻む長野県の田舎道を、バスはのんびりと進んで行く。
スマートフォンを取り出し、何度も読み込んだ当選通知を、もう一度確認する。
約一ヶ月後に、新宿のテレビスタジオまでパートナーと一緒に来てくれとのこと。
UKCは生中継される。UKCが開催される三日間、国民は熱狂し、テレビに釘付けになりながら、勝負の行方を見守る。
中学時代、くるみはあまりUKCに興味はなかったが、学校で話題についていくために生中継を観ていた。
母親は「こんなものに出る人の気がしれない」と言っていたし、父親は「真面目に働かないとダメなんだよ。苦労せずに手に入れたお金はけがれたお金だと思うな、父さんは」などと言っていた。
苦労せずに? いやいや、人生をかけて難題に挑むわけだから、これほどの苦労はないだろう。と、その時のくるみは思ったが、お堅い父親にそれを言ってもどうにもならない。
くるみは高校生活に馴染めず、一年間だけ通って辞めた。新しい環境での人間関係の構築がうまくできず、他者との調和が取れなかった。
高校を辞めてすぐの十七歳の時、東京に出ることを決めた。特にやりたいことはなく、とりあえず東京という大都会へ行ってみたいという思いだけがあった。
母親は心配でたまらないという様子であったが、好きなことをやればいいと言って送り出してくれた。出発の日の朝、母親は最寄りのバス停まで見送りに来てくれたが、父親は来なかった。
父親とは、高校を辞めてからほとんど喋らなくなっていた。高校を辞めたことが相当ショックだったと、あとから母親から聞かされた。
東京に出てからは、母親とはよく電話で喋っていた。バイト先のファストフード店で嫌なことがあった時などは、泣きながら電話をしたこともあった。
そんな母親は、くるみが二十歳の時、交通事故で死んだ。
父親から連絡がきてすぐに長野に帰ったが、突然すぎて涙も出なかった。悲しいという感情よりも先に、なぜ? どうして? と怒りの感情が湧いた。
くるみはバイトを辞めて、しばらく引きこもった。
そして、キャバ嬢になった。
バスを降り、五分ほど歩く。くるみが生まれてから東京に出るまで住んでいた、やや古風な一軒家。
インターホンを押すが、応答がない。何度押してみても、誰も出てこない。庭先に回り、縁側から窓越しに家の中を覗き込むが、人がいる気配がなかった。
さて、どうしたものかと思ったその時、ジャリっという小石を踏み鳴らす音がして振り返ると、父親の博が立っていた。
「お……くるみか」
「どうも……」
「びっくりしたよ、いきなり」
博はカゴを背負っていて、そこには野菜らしきものが入っていた。
「ちょっと裏の畑に行っててね」
父親と会うのは母親の葬式以来、四年ぶりだ。
久しぶりに見る父親はほとんど変わっていなかった。中肉中背。やや癖っけの髪。百円ショップで売っていそうな安っぽいメガネも四年前のままだ。
小学生の頃は公園で日が暮れるまで一緒にはしゃぐこともあったし、お風呂にもよく一緒に入っていた。
今は……微妙な距離感だ。勘当されたわけでも大喧嘩したわけでもないが、面と向かっているだけで、はっきり言って気まずい。
しかし、親友二人に断られた今、くるみがパートナーになってくれとお願いできるのは、父親しかいなかった。
「入れば」
「うん」
久しぶりの実家の匂いは、以前と変わっていなかった。くるみは母親の仏壇の前に座り、りんを鳴らして手を合わせた。
「くるみ、お腹減ってる? お昼作るけど食べる?」
「……うん」
博は手際よく料理をこしらえると、テーブルの上に並べた。
ピーマン、ナス、オクラなどの野菜を使った、手の込んだ料理だった。いつの間に料理上手になったのだろうと驚きつつ、くるみは博の作った料理を口に運んだ。
野菜の甘みと、肉の旨味がバランスよく調和していて、とても美味しかった。
「おいしい」
素直にそう言った。
新鮮な野菜が彩りを添えた料理は、くるみの胃袋と心を満たしていった。
「これ全部、父さんが育てた野菜なんだよ」
「野菜、作ってるんだ?」
一緒に暮らしていた頃の博は、無趣味の真面目な勤め人といったイメージしかない。自分で野菜を育てて料理までしているだなんて、信じられなかった。
「今年で定年退職したんだよ。貯金もそこそこあるから、今はのんびりと畑をいじってるんだ」
「そうなんだ」
「小さな畑だけどね。自分で作った野菜って、格別なんだよ」
しばらくの間、二人は黙々と料理を食べ続けた。野菜をかじる音だけが、リズミカルに響いている。
「何か、言いたいことがあるんじゃないのか」
博が沈黙を破った。
「何かあるからここへ来たんだろ」
博の問いかけに、すぐには言葉を返せなかった。何から話せばいいのかわからない。
視線を料理にやりながら、考えをまとめる。
「UKCって、知ってるでしょ? 借り物競争の」
「ああ。あの野蛮なやつ」
「うん。でね、あれに応募したら、当選しちゃって」
「そうなの?」
「うん。それでね、あれってペアじゃないと出られなくて……」
そこで言葉を区切って、博の反応を待つ。
「うん。それで?」
「だから、一緒に出てもらえないかと思って」
「……ああ、そういうことか」
博は頷きながら、湯吞みのお茶を一口すすった。
「優勝したらどうなるんだっけ?」
「うまくいけば、億単位の賞金がもらえる」
「それはすごいね」
博は顎先を触りながら、視線を宙にやる。
「人生をやり直すためのお金が欲しいの。もちろん賞金は二人で半分ずつにする」
「いやいや、父さんはお金はいらないよ」
そう言うと、またお茶を一口すすった。ふぅと息を吐いた後、口を開いた。
「あれは確か、政府公認の競技だよな」
「……うん」
「じゃあ、法律を犯すようなことをするわけじゃないってことだ」
「それは、基本的にないと思う。厳しいルールもあるし、参加者がそれを守りさえすれば」
「それなら、まあ、いいかな」
「いいの?」
博の意外な言葉に、思わず聞き返す。
「じゃないと、くるみが困るんでしょ」
「まあ、そうだけど」
「法に則ってやるんだったら、いいよ」
気にしているのはそこか。真面目な博らしいこだわりではあるが、負けた場合はどうなるのかについては気にならないのだろうか。
「でも、父さんが役に立つかどうかはわからないよ」
「それはべつに、いいよ」
くるみが知る限り、博は周囲の人間をグイグイ引っ張っていくタイプの頼もしい男ではない。年齢も六十歳であるため、体力面にも不安がある。
本当にパートナーに博を選んで大丈夫なのか?
一瞬そんな迷いが生じたが、博と組むよりほかないのだ。
「じゃあ、お願いします」
断られるだろうと思っていたため、やや拍子抜けしながらくるみは頭を下げた。
食事を終え、博が「もっとゆっくりしていけ」と提案したが、くるみはやんわりと断った。
博に本番当日の待ち合わせ場所と時間を伝えて、実家を後にする。
別れ際、畑で採れたピーマンとオクラが手土産として差し出された。まったく料理をしないので正直いらないのだが、いらないとは言えない。
くるみは「ありがとう」とだけ言って、ぎこちない笑顔を返した。
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