UKC ―アルティメット・カリモノ・チャンピオンシップ―
武市(たけち)
第1話 当選
「水樹ちゃん?」
名前を呼ばれ、くるみはハッとした。隣には焼酎の水割りをしこたま飲んで、すっかり出来上がっている常連客の井本。
バリバリのおじさんで、息がクサい。
「どうしたの? 彼氏にフラれて絶望してるみたいな顔してたよ」
当たっている。三ヶ月前、四年間も付き合った隆一にフラれた。三ヶ月も経つのに、隆一のことは毎日のように思い出す。今もまた、隆一との別れのシーンを思い出してぼうっとしていたようだ。
「ほんとにそうなの? マジで?」
顔を近づけてくる。クサい。
「いやいや、そんなんじゃないよぉ」
「実は俺もね、ちょっと前に離婚してさ、からだがジンジンしちゃって眠れないんだよ」
ジンジンって何よ。欲求不満ってことか。
井本がくるみの身体に触れようと手を伸ばしてくる。
「井本さん、ダーメ」
機嫌を損ねないように、精一杯の作り笑顔を貼り付けてあしらう。
酔っぱらったおじさんの相手は疲れる。深い深いため息を井本の顔面に吐きかけてやりたいと思ったが、薄めに作ったレモンハイをひと息にあおって、ぐっとこらえた。
くるみは歌舞伎町の高級キャバクラで働いているが、華やかで夢のような日々を送っているわけではない。
この日も仕事が終わった後、フラフラになりながらトイレに駆け込み、盛大に吐いた。
いくらかラクになって更衣室に戻るが、顔には疲れがべったりと張り付いている。
「くるみ、大丈夫?」
同僚の凛がやさしく尋ねる。
「うん、大丈夫」
凛はくるみのことを源氏名の水樹ではなく、本名で呼ぶ。くるみとリンは同い年で、入店時期もほぼ一緒だったため、仲良くしている。
「久しぶりにラーメン食べにいかない?」
凛が誘うと、くるみは微笑んで了承した。
お店から歩いて十分ほどの路地裏にある小さなラーメン屋『トン吉』。
凛に教えてもらって食べて以来、あまりの美味しさにくるみもすっかりハマってしまい、仕事終わりで二人でよく来ているお店だった。深夜二時まで営業しているため、夜の水商売をやっている人間にも通いやすいという点もありがたい。
二人が入ると、店内にはニンニクと豚骨ラーメンの香りが誘惑的に漂っていた。
「うんめえ」
凜が幸せそうな表情を浮かべる。
しかし、くるみの表情は浮かないものだった。食べている最中も、どこか元気を欠いている。
「くるみ、なんか顔色悪くない? 大丈夫?」
「大丈夫だよ……うん、ぜんぜん大丈夫」
くるみはぎこちない笑顔を返しながら、疲れた声で答えた。
終電にギリギリ飛び乗り、自宅マンションに帰宅した。
玄関を開けると、愛犬のポンが嬉しそうに足元に駆け寄って来る。
くるみはポンの頭を優しくなでながら、癒しを感じつつも、全身の疲労が限界に達していることも同時に感じていた。
薄暗い寝室に入るとそのままベッドに倒れ込み、うつぶせのまま深いため息をついた。
歌舞伎町のキャバクラで働き始めて二年。半年前に初めて売上1位になり、そこからはずっと上位をキープし続けている。
その成功は、ほかのキャバ嬢たちの嫉妬を引き起こし、くるみは仕事だけでなく精神的な戦いにも身を投じるはめになった。先輩や同僚に嫌味や陰口を言われるのは日常茶飯事で、女の嫉妬は恐ろしいと、骨の髄まで実感させられている。
お酒は好きなほうだが、あまり飲める体質ではない。無理をして飲んでは吐く、その繰り返しだ。毎晩のように続くナンバーワン争いを勝ち抜くためには、無理をしなくては勝てないのだ。
恋人を失った今のくるみには、心のよりどころがない、愛犬のポン以外は。
「ほかに好きな人ができた」
そんな三流ドラマでしか聞いたことのない台詞を吐いて、隆一はくるみの元から去った。
隆一はお店の客だった。職場の先輩に連れられて来店した隆一は、その日がキャバクラ初体験で緊張していたが、くるみと話が盛り上がり、楽しい時間を過ごした。それからはくるみを目当てに一人で来店するようになり、いつの間にか付き合うようになった。
二十歳の頃から四年間付き合った。
結婚の約束もしていた。結婚したらすぐに子どもを作ろうなんていう話もしていたのに……。
隆一がいなくなってから三ヵ月が過ぎたが、今でも隆一のことを忘れられずにいる。酷いことをされたはずなのに、なぜ嫌いになれないのだろう。
心の奥がズキズキとうずく。
考えたってしょうがないことは、頭ではわかっている。隆一が戻ってくることは、もうないのだから。
ポンが顔を舐めてくる。頭をそっとなでてやると、くぅんと甘えたような声を出す。
もう限界。何もかも嫌だ……。
仕事も辞めよう。
すべてをリセットして、静かな町にでもいってポンと一緒にのんびり暮らしたい。
そうなると地元の長野か? もう何年も帰っていないけれど、のんびり暮らすには最適な町だ。
くるみはベッドに突っ伏したまま故郷に思いをはせているうち、ゆっくりと深い眠りに落ちていった。
翌朝。くるみはスマートフォンの着信音で目を覚ました。
ぼんやりとした頭で、隆一? などと思ったが、そんなわけはない。
ゆっくりと身体を起こしてスマートフォンを手に取ると、知らない番号からだった。
「はい」
「こんにちは。柿谷くるみさんでしょうか?」
聞き覚えのない、年配と思しき男の声。警戒心を抱きつつ「はい」と答える。
「おめでとうございます。〝UKC〟の出場者に当選いたしました」
「ゆー、けー、しー?」
「はい。アルティメット・カリモノ・チャンピオンシップです。ご応募なさいましたよね?」
ご応募? なさったっけ? 一瞬なんのことだかわからなかったが、すぐに思い当たった。
「あ……はい。応募しました」
「当選しましたので、お電話いたしました」
「当選? 私が?」
「はい。そうです。当選通知をメールでお送りしたのですが、念のために電話連絡もさせてもらっております」
「……はい」
「パートナーはお決まりですか?」
「いえ……」
「そうですか。詳細はお送りした当選通知に書かれてありますので、そちらをご確認ください。もし辞退される場合は、一週間以内にご連絡をいただけると幸いです。何かご質問は?」
「えっと……ありません」
では、失礼いたします、と言って電話は切れた。
スマートフォンで受信メールを確認すると、確かにUKCの当選通知が届いていた。
UKC(アルティメット・カリモノ・チャンピオンシップ)。
いわゆる借り物競争だ。
毎年秋に開催される大会で、開催地は毎年変わる。今年の開催地は東京だ。
UKCへの参加希望者はほとんどおらず、簡単に当選するとも言われているし、倍率が異常に高いという噂もあった。
くるみはネットでたまたま見かけたUKCの広告をクリックし、公式サイトを何気なく見ているうち、衝動的に応募してしまっていた。その時は隆一にフラれた直後の自暴自棄状態だったこともあり、半ばヤケ気味だったのかもしれない。
UKCで勝者になれば、大金が手に入る。うまくすれば何億という大金が。
キャバ嬢として稼いだお金は、ストレス解消のためにハイブランドのバッグや洋服を毎月のように購入しているため、ほとんど残っていない。大金が手に入れば、人生をやり直すことができる。
まさか、本当に当選しちゃうなんて……。
UKCのテレビ中継は観たことがあるのでどのような大会なのかは理解しているが、わからないことも多い。ライバルがどんな人達なのか、どんなお題が出されるのか……。
ただ、過酷な試練が待ち受けていることだけは間違いない。
他人より頭の出来が優れているわけでもなく、スポーツ経験のひとつもない非力な自分が、勝者になどなれるのだろうか……。
くるみは目を閉じた。
もし、優勝できたら……。
一生かかっても稼げないほどの大金を手に入れた自分を想像してみる。
リアルに思い描くことはできないが、やってやれないことはないような気がする。
くるみは鼻から思いきり空気を吸い込み、口から長く吐き出した。
そして、強い意志を感じさせる表情で、大きく頷いた。
参加しよう。絶対に優勝する!
やるしかないという結論を出したくるみだったが、ひとつ問題があった。
それは、UKCはペアで参加しなければならないということ――。
翌日、店に出勤したくるみは、待機室で凛と二人きりになったタイミングで切り出した。
「私、今月いっぱいでお店を辞めることにしたの」
驚いた凛がくるみを見つめる。
「急でごめんね。でも、もういろいろ疲れちゃって」
「隆一くんのこと?」
「それもあるし、この仕事にも疲れたの。それでね凛ちゃん、話があるんだけど」
「なに?」
「一緒にUKCに出ない?」
「UKC? って、あのUKC? デスゲームみたいな大会の?」
「うん、そう」
「はあ? バカ言わないでよ。出るわけないでしょそんなの」
目を大きく見開いた凜が、首を左右に振る。
「でも、優勝したら大金が手に入るんだよ」
「優勝なんてできるわけないって。それに、優勝できなかった人は殺されるんでしょ?」
「殺されはしないよ。強制労働。二十年間の」
「二十年? それある意味、死ぬよりツライいじゃん!」
言われてみれば、そうかもしれない。
「やめときなって」
凜が本気で心配してくれているのが伝わってきて、くるみは申し訳ない気持ちになる。
自分を心配してくれる人がいることを嬉しく思ったが、辞退するという選択肢はくるみの頭にはない。
くるみは「やっぱりそう思うよね」とおどけた調子で言いながら、凛以外で誘える人はいないだろうかと、考えを巡らせた。
自宅に帰った後、ファストフード店で働いていた時のバイト仲間である美加に電話をしてみた。
美加は凛と同じような反応を見せ、絶対に嫌だと言った。
「うん、そうだよね。わかった。急にごめんね。じゃあまた」
ほかに誘える相手が思い浮かばない。こんな時に誘える友人がたった二人しかいないなんて、我ながら情けない。
ベッドの上で横になっているポンを見つめて、
「あんたをパートナーにするわけにはいかないしねえ……」
ふうっと短いため息を吐き、何気なく視線を向けた先に、一枚の写真があった。本棚の上に置いてある写真立てに収まった写真。それは小学校の入学式の時のもので、父と母の優しい笑顔の間で幼いくるみがピースサインを決めている。
写真立てを手に取り、じっと見つめていると、遠い思い出に心が引き込まれていった。
翌朝、くるみは窓から差し込むわずかな朝陽で目を覚ました。隣で丸くなっているポンの顔を覗き込むと、ポンは嬉しそうに尻尾を振った。
軽い朝食を済ませて、出掛ける準備を始める。
髪を整え、メイクをして着替えを終えると、くるみの足元に座って、じっと見上げているポンに笑顔で声をかけた。
「ポン。ちょっと行ってくるね」
ポンに手を振りながら、人生の再スタートへの期待と不安が胸を駆け巡るのを感じた。
ドアが閉まる直前、行かないでと言っているかのように、くぅん、とポンが鳴いた。
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