第39話 博の秘密
○ 柿谷博・柿谷くるみ 2日目14時45分~
スタジオマルタのひとつ下の階にある小さな休憩スペースのベンチに座り、くるみと博はたっぷりと休憩を取っていた。おはぎを探すためにだいぶ体力を消耗してしまったため、次のチャレンジに向けて十分にエネルギーチャージしておく必要があったからだ。
とにかく甘いものが飲みたかったくるみは自販機でいちごオレを買い、一瞬で飲み干した。博も缶コーヒーとお茶を立て続けに飲み干して、元気を取り戻した様子だった。
二人は休憩しながら次にチャレンジするカードについて話し合い、グリーンカードを選ぶことを決めた。昨日の夜の時点でトップだった夫婦ペアの勢いを考えると、やはり自分たちもここで高額賞金のカードに挑戦しておく必要があると考えたからだ。
休憩を終え、KARIMOを手にしたくるみは、拳でどんっと胸を叩いて気合を入れ直し、グリーンカードのマークをタップした。
【カツラ】
くるみはその文字を見つめながら、しばらく固まった。
「カツラかぁ」
博が呟く。
「これって、かなり難しいよね……」
「まあ、難しいだろうね」
「……貸してくれる人なんかいるのかな」
現実的に考えて、全国に放送されるかもしれないというのに、カツラを貸してくれる人などいるとは思えない。
すると、博がおもむろに両手で自分の髪の毛をむんずと掴んだ。
「よっ」
と言いながら、それをそのまま上に持ち上げた。
「はい」
くるみの目の前に、博の頭に乗っかっていたものが差し出される。
「ええっ!?」
思わず大きな声が出た。
「お父さん、カツラだったの?」
「十年くらい前からね」
十年前といえば、まだ一緒に暮らしていた頃だ。
「まったく気づかなかった……」
「そのへんは、まあ、うまくやってたからね」
博の頭に視線をやる。両サイドはかろうじて残っているが、センター部分はいわゆるバーコード状態だった。
「お母さんは知ってたの?」
「うん。知ってた」
私だけが知らなかったのか……。
もしかすると私に嫌われたくないからという理由でカツラを被ろうと思ったのだろうか。お母さんがカツラのことをどう思っていたのかも気になるところだ。あれこれと疑問は浮かぶが、今さらそれを知ったところで何の意味もない。
「じゃあ、リッキーさんとこに持っていこうか」
「うん……」
くるみは博の手からカツラを受け取った。軽く湿っている。何も自分が持つ必要はないのだと気づいて、博に投げつけるようにして返した。
*
ものの五分でグリーンカードのお題をクリアできたのは、ラッキーというほかない。
クリアした後ですぐに返却されたカツラは、今はまた博の頭に乗っかっている。今まで何とも思わなかったのに、カツラだとわかった途端に博のヘアスタイルが不自然に見えるから不思議だ。
思わぬ形で五千万円を獲得できてラッキーではあったが、ここで攻めの姿勢を緩めていいものか、くるみと博は話し合った。件の夫婦ペアに引き離されないためにも、ここで引き続き高額賞金のカードを選んだほうがいいのではないかとくるみは主張したが、「そう何度もうまくいくとは限らないよ。残り時間で頑張ってレッドカードを二回こなしたほうがいいんじゃないかな?」と博が言い、最終的にその意見を採用することにした。
「くるみ?」
手にしたKARIMOを見つめたままぼうっとしていたくるみは、博の声でハッとする。まだ博がカツラだったというショックを引きずっているのかもしれない。
「ああ、ごめん。じゃ、レッドカード、押すよ」
「うん」
トンッと軽くタップする。
レッドカードがめくれて、お題が現れる。
【ザ・マッカラン(ウイスキー)】
「ん? ウイスキー?」
「マッカランか。高級なお酒だね」と博。
「そうなの?」
「うん」
「新宿ならお酒は手に入りやすいんじゃない?」
「確かに。でも、マッカランは普通の飲食店には置いていないお酒だからね。スナックとかに置いてあることが多いかな」
「詳しいね? お酒飲めないのに」
「うん。まあ。昔ちょっと勉強したことがあって」
勉強? 一滴も飲めないのになぜ? という疑問が浮かんだが、尋ねることはしなかった。
「コンビニとかドンキにもないってこと?」
「ないだろうね。スナック以外なら、バーとかクラブとかにもあるかもしれないけど」
くるみは自分が働いていたキャバクラのことを思い出す。山崎やバランタインというウイスキーはあったが、マッカランはなかった。
「とりあえずそういうお店を片っ端から当たってみよっか」
くるみが言うと、博は大きく頷いた。
「そうだね」
二人は新宿マルタを出て、歌舞伎町を歩き回った。ビルをひとつずつ確認しながら、バー、パブ、クラブ、ガールズバーなど、お酒を提供する夜のお店の看板を見つけては足を運んでみるが、営業時間が十九時以降という店がほとんどだった。
その中で十七時開店のガールズバーがあり、準備中だったが鍵がかかっていなかったため、ドアを開けて入っていって事情を説明すると、勝手に入ってくるんじゃねえよとチンピラのような風体のスタッフに凄まれて、二人は逃げるように店を飛び出した。
営業中の昼キャバもあり、博がこれ以上ないほど丁寧に交渉してみたが、マッカランなんてうちにはないと怒鳴るような口調で言われて追い払われた。
ショックのあまりくるみは涙目になりながら、一応目の前にあったコンビニに入って確かめてみたが、やはりそこにもマッカランはなかった。
「何気にやばいかもね」
くるみの口から弱気な言葉がこぼれた。
「残り時間あと三時間あるから、大丈夫だよ」
大丈夫? 本当に?
この状況で根拠のない励ましは最も不要なものだ。
「やっぱりスナックがいいよ。マッカランはスナックなら置いてる確率も高いから」
そう言った後、
「ほら、十七時になったし」
と、くるみに腕時計を向けてくる。
「だいたいのスナックは十七時から営業開始でしょ?」
どこのスナックを基準に言っているのかわからないが、スナック未経験のくるみには答えようがない。
「スナックのママさんなら、断るにしても怒鳴ったりしないだろうし」
その言葉が最もくるみの心に刺さった。さっきのような怖い思いはもうたくさんだ。
近くでスナックがありそうな場所として思いつくのは、新宿ゴールデン街だ。狭い路地にぎっしりと木造の飲み屋が立ち並ぶディープな場所でありながら、多くの若者や外国人観光客も押し寄せる、歌舞伎町の中でもひときわカオスな一角となっている。
「ゴールデン街? いいかもね。そこ行ってみようよ」
圧倒的な個性を放つ小さな店が肩を寄せ合い、異世界のような独自のムードを漂わせている酒場街に、二人はそっと足を踏み入れた。
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