第31話 ラッキーカード

○ 柿谷博・柿谷くるみ 2日目9時


 くるみは何かの物音で目が覚めた。ベッドの上で身体を起こすと、博がペットボトルの水を飲んでいた。


「ごめん。起こしちゃった?」


 枕元のデジタル時計を確認すると、午前七時三分。


「ううん。もう起きるとこだったから」


 セットしていたアラーム機能を解除し、くるみも冷蔵庫からペットボトルを取り出した。キンキンに冷えた水を一口飲んで息を吐くと、蛍光灯のスイッチを入れた時のように、パパパッと脳細胞が目覚めるのを感じた。


「朝食、食べに行こうか」


 博に言われ、二人で二階にあるレストランに足を運んだ。

 朝食はバイキング形式で、和食と洋食の両方が提供されていたが、くるみはあまり食欲がなく、口にしたのは生野菜サラダとロールパン一個、オレンジジュースだけだった。

 博は食欲旺盛で、味噌汁、鮭、のり、生卵、ベーコンエッグをおかずにごはんを二杯食べ、コーヒーを三杯飲んだ。


 部屋に戻ると、まだ八時前だった。なるべく早く最初のお題に取りかかったほうがいいのはその通りだが、早すぎてもいけない。

 夜と同様に、朝の早い時間帯は店や公共施設などは開いていない。誰かに声をかけるにも通行人が少なく、一般家庭を尋ねるのも気が引ける。そんな時間帯に行動しても非効率だからだ。ひとつのお題の制限時間は五時間しかないため、少しでも無駄な動きは控えなければいけない。


「ぱっと大浴場に行ってくる」


 博はタオルを持って部屋を出ていった。

 博からは相変わらず緊張感があまり感じられない。その緊張感のなさが自分のピンと張りつめている気持ちを中和してくれているのかもしれないが。

 博が大浴場にいっている間、くるみはバスルームでシャワーを浴びた。その後、いつでも出られるよう準備を整えていると、博が戻ってきた。


「カード、引くよ」


 博が着替えを済ませたタイミングで声をかけた。


「うん。いいよ」

「グリーンにしてみる?」


 くるみが提案する。


「いやあ、もう少し様子を見たほうがいいんじゃない? 現在の順位は二位だし、トップとの差も開きすぎているというほどではないし、まだ無理しなくてもいいんじゃないかな」

「なるほど。そうかもね」


 くるみは頷いた。


「じゃあ、レッドカードでいい?」

「オッケー」


 くるみがKARIMOを操作し、レッドカードを選択しようとしたその時、ピコンピコンピコンと音が鳴り、画面に「通知が来ました」と文字が出た。

 手紙のマークをタップして通知を開いてみると、ラッキーカードなるものが届いた旨を知らせる内容だった。


「ラッキーカード? 何それ?」


 博が首をひねる。


「わかんない」


 ルールファイルにもそんなカードのことは記載されていなかった。

 画面に表示されたラッキーカードの概要を確認する。


【ラッキーカード】

・二枚のカードのどちらかを選択してください。

・当たりカードを選んだ場合は、ブラウンカードにチャレンジし、クリアすると二億円獲得できます。

・はずれカードを選んだ場合は、どちらかが失格となり連行されます。


「サプライズ的な仕掛けってことか。どうする?」

「ブラウンカードだったらほぼ確実にクリアできるだろうけど……もしはずれを引いたら一人連行されちゃうってのは、さすがに厳しすぎるよ」

「まあ……そうだよね。やめといたほうがいいよね」


 こんな運任せの勝負をこのタイミングでやるべきではない。視聴者的には盛り上がるのだろうが、そんなことは知ったことではない。

 くるみは<パス>のボタンを押した。


「じゃ、レッド押すよ」


 くるみはふっと息を吐き、気持ちを仕切り直して改めてお題を選ぶ。

 示されたお題は、


【おはぎ】


「おはぎ……」

「うーん。難しいのか簡単なのか……よくわからないね」

「いや、けっこう難しいでしょ、これ」


 くるみはおはぎという三文字をじっと見つめながら考えるが、どこで借りればいいのか、すぐには思いつかない。


「とりあえず、一般宅を手あたり次第に当たってみる?」


 博が聞く。


「そうだね」


 くるみは頷く。おそらくそれが一番の近道だろう。


「このへんって、住宅街とかあるの?」

「すぐ近くにはないと思う。一軒家もほとんどないから、このへんならマンションを当たるしかないかな」

「おはぎを好んで食べる人って、中高年の女性だよね? そいういう人って新宿駅近辺のマンションに住んでるのかな」


 その懸念は理解できなくもないが、おはぎ好きイコール中高年の女性というイメージ自体が的外れな偏見という気もする。


「とりあえず行ってみよう」


 二人はチェックアウトを済ませてホテルの外へ出た。

 ちょうど通りの向こう側にマンションが見えた。横断歩道を渡り、マンションの前まで行ってみる。八階建てで、入り口はオートロックではなかった。


「お父さんは一階から四階までをお願い。私は五階から八階を当たってみる」

「わかった」


 くるみは博と別れ、エレベーターで五階に移動した。一番手前の部屋の前に立ち、深呼吸を繰り返してからインターホンを押した。応答がなかった。三度押してみても応答がなかったため、その部屋は諦めて隣の部屋のインターホンを押してみる。

「はい」と女性の声が聞こえてきて、ドアが開けられた。


「あ、あの、こんにちは。ちょっとよろしいでしょうか」

「え、なに? アマゾンじゃないの?」

「いえ、違います」

「なんだよ」


 女はチッと舌打ちをした。


「なんかの勧誘? いいからそういうの」


 くるみが事情を説明しようと口を開きかけたが、その前にドアが乱暴に閉じられた。

 何もそんな言い方しなくてもいいじゃない。

 くるみは腹立たしい気持ちを抑えて、その後もひと部屋ずつ尋ねていった。住人がいない部屋が多く、たまに応答があってもろくに話を聞かずに門前払いされることがほとんどだった。

 くるみは五階から八階までのすべての部屋を回ってみたが、何の収穫もなかった。

 合流するために博のもとに向かうと、「そんなもん持ってねえよ。帰れよおっさん。寝てるとこ起こしやがってよ」と住人に怒鳴られていた。

 博はくるみと目が合うと、「めんぼくない」と言って頭をかいた。

 マンションの外へ出ると、博はメガネを外し、目元の汗を手の甲で拭いながら、


「なんか……このままこのへんのマンションを当たっても難しそうな気がするんだけど」

「……うん」


 たったひとつのマンションを回ってみただけだが、くるみも博が言うように可能性は薄そうだと感じていた。


「タクシーで住宅街に行ってみよっか?」


 くるみが聞いた。


 うーん、と博は顎に手を当てながら、何かを考えている。


「あ、おはぎと言えば和菓子屋さんだよね? 和菓子屋さんで貸してもらえないか頼んでみるっていうのは?」

「ああ、なるほど。丁寧にお願いすれば、案外いけるかもね」

「でしょ。放送されたらお店の宣伝にもなるしね。協力してくれるんじゃないかな」


 博にしては良いアイデアだ。褒め言葉はかけてあげないけれど。

 和菓子屋の情報を得るために、二人は駅前の交番へ足を運んだ。愛想の良い女性警察官が「百貨店ならけっこう和菓子屋さん入ってますよ」と教えてくれた。なるほど。その手があったか。百貨店ならひとつのフロアにまとめて和菓子屋が入っている。

 近くに京王百貨店と小田急百貨店があることを教えてもらい、二人はそこに狙いを定めた。

 両百貨店の距離は目と鼻の先であるため、二人は分かれてそれぞれの百貨店へと向かった。

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