第12話 毒妻

「来ました片山ペア! いやいやいや、お疲れ様です~!」


 リッキーが手を叩きながら満面の笑みで夫婦ペアを迎える。

 大輔は電車を降りた後、太陽にちりちりと肌を焼かれながら、たぬきの置物を抱え、新宿の街を歩いた。駅から新宿マルタまではわずかな距離だが、永遠に辿り着かないのではないかと思った。

 新宿マルタの一階から七階まではエレベーターを使って運び、ようやくリッキーのもとにやって来たのだ。緑はその間、一度も手を貸さなかった。悪妻という言葉があるが、緑はそれをしのぐ〝毒妻〟だと大輔は思った。


「いや~、大輔さん大変でしたね。観てましたよ。この大きなたぬきを持って新宿の雑踏の中を汗だくで歩くその姿。砂漠を横断中にラクダに死なれて自分で荷物を運ぶ羽目になった商人のようでしたよ」


 リッキーがくだらない例えを放ち、観客がどっと沸く。


「本来なら持ってきたモノをこちらの白い台に乗せていただくのですが、今回のはサイズがビッグなので、そのままでけっこうですよ」


 大輔は大きく息を吐くと、額の汗を手の甲で拭った。Tシャツの中もビショビショで不快極まりない。


「片山ペアが選んだのはグリーンカード。お題は【信楽焼のたぬきの置物】です。高さ百三十センチ以上という条件付きですが、果たして持ってきたこのたぬきの置物は条件をクリアしているのでしょうか!」


 そこへ白いスーツを着たスタッフが現れて、たぬきの置物をメジャーで測り始めた。

 緑は確実に百三十センチ以上あると言ったが、本当にそうだろうか。人間がメジャーで計測してミリ単位で正確に計れるものなのだろうか。

 大輔は目の前の光景を見つめながら、不安でいっぱいだった。この場から逃げ出したい衝動を抑え、胸の前で手を組んで祈るようにしてその時を待った。


「ふん。測るまでもないわ」


 緑はあくまで強気だ。


「高さ、百五十二センチです」


 白スーツのスタッフが何の感情もなく言った。


「百五十二センチです! 百三十センチ以上なので高さの条件はクリアです!」

「ふぅ……よかった」


 安心した途端に、全身の力が抜けていく。


「当たり前じゃないの。これで五千万円ゲットか。くくく」


 拳を握りしめて、緑が満面の笑みを浮かべる。


「では続いて、信楽焼かどうかのチェックを行います」


 リッキーの言葉に、大輔は目を丸くする。

 信楽焼……もうひとつの条件だ。すっかり忘れていた。


「では先生、お願いします」


 リッキーに呼び込まれ、着物を着た年配の男が現れた。白髪交じりの立派な口ひげを生やし、いかにも権威という風格が漂っている。


「こちらは世界的な陶磁器研究家で骨董品鑑定士の大門菊之助先生です。大門先生にこのたぬきちゃんが信楽焼かどうかを鑑定していただきます」


「では、拝見させていただきます」


 柔和な笑顔を大輔たちに向け、軽く頭を下げる。

 鑑定が始まると、まったりとした音楽が流れだした。作者も曲名もわからないが、クラシックの有名な曲だ。


「くそ。もうひとつあったか」


 腕を組み、仁王立ちで鑑定中の大門先生を睨みつけながら緑が呟く。


「まあいいわ。どうってことない」


 緑は強気の態度を崩さない。


「緑ちゃん、あれって、本当に信楽焼なのかな? もしそうじゃなかったら……」

「ああいうたぬきの置物は信楽焼って相場が決まってんのよ」


 なぜ緑はこれほど余裕があるのか不思議だ。これがギャンブルで鍛えた度胸というものなのだろうか。


「あのじいさんがちゃんとした目利きだったら問題ないはずよ。もしデタラメぬかしやがったらぶん殴ってやる」


 大門先生に聞こえるのではないかと大輔はひやひやする。

 大門先生は鑑定用のルーペを覗き込みながら、たぬきのきゃん玉を這いつくばるようにしてガン見し、


「うーん、グッジョブですね~」と唸った。


 そして、きゃん玉の先から編み笠のてっぺんまでを舐め回すように見る。


「はい。わかりました」


 先生が動きを止め、静かに言った。同時に音楽も止まる。


「鑑定が終わったようです。では先生、結果を発表してください」


 先生は口ひげを指先でちょろっと撫で、大きな咳ばらいをした後、ゆっくりと口を開いた。


「このたぬきの置物は、信楽焼で間違いありません」


 一瞬、スタジオが静かになった。二秒ほど間が空いて、


「クリアー!」


 静寂を破るように、リッキーが叫んだ。


「片山ペアお見事。グリーンカードクリアで五千万円獲得です!」


 大輔は膝の力が抜け、ふにゃふにゃとへたり込んだ。


「ふふ、幸先がいいわ」


 緑がニヤリと笑う。

 大輔はその横顔を見て、悪魔の親玉のようだと思った。

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