第18話 グリーンカード

○ 柿谷博・柿谷くるみ 初日15時


 新宿の一角にあるレトロな喫茶店で、くるみと博が黙々と食事をしている。くるみはデミグラスソースがたっぷりとかかったオムライスとオレンジジュース。博はカレーライスとアイスコーヒー。店内には古いポスターやアンティークな置物が飾られ、昭和にタイムスリップしたような雰囲気が漂っている。狭い店内には二人以外に客はおらず、白い口ひげを生やしたマスターがグラスを磨くキュキュッという音が小さく響いている。

 くるみが甘みたっぷりのオレンジジュースを飲んでいると、ドアが開き、小柄な男性が入ってきた。親しみやすい笑顔で「こんちは」とマスターに挨拶すると、男はカウンター席に座り、古びたテレビを指さした。


「マスター、UKCに替えてよ。今やってんだよ」


 マスターはリモコンを手にし、チャンネルを切り替えた。


「これでいいかい」

「ありがと」


 小柄な男は満足げな笑みを浮かべながら、アイスコーヒーとピラフを注文した。


「いやあ、緑さんのパワーは凄いですねえ。いきなりグリーンカードクリアですからね」


 リッキーのハイテンションな声が聞こえてくる。

 くるみは驚いた表情でテレビに顔を向けた。グリーンカードをクリア? 最初のお題でいきなり?


「大輔さんもいい味出してるし。個人的にはこのペアには頑張ってもらいたいけど、チームワークがどうなんでしょうかねえ、くぅ~」


 お馴染みの「くぅ~」のパフォーマンスに客席がドッと湧いているが、何が面白いのかくるみには理解できない。


「では、続いて、早くも消滅してしまった久保・谷岡ペアの最後のシーンをもう一度振り返りましょう」


 画面が切り替わり、ガリガリに痩せている生気のない男と、髭面の太った男が映し出された。DBが撮影した映像のようだ。

 二人の男は不正により失格となり、カリポが連行しようとした際に逃げようとしたため腕輪から強烈な電流が流れてその場に倒れた。協力者の男もカリポに警棒のようなもので頭をかち割られ、ビシャーッと血を噴き出しながら気を失った。


「うわぁ……飯食う前にいやなもん見ちゃったよ」


 チャンネルを替えさせた張本人である小柄な男が顔をしかめた。


「マスター、やっぱほかのチャンネルに替えてくれる? 飯食い終わるまでは観たくねえわ」


 小柄な男が言うと、マスターが再びリモコンでチャンネルを替えた。

 今さら替えても遅い。衝撃的な映像を観たせいで、くるみの食欲は完全に失せてしまっていた。せっかく美味しいオムライスなのに、これ以上は食べられない。


「真面目にやらないと、あんなふうになるのか。怖いね」


 博がそう言って、小さなため息を吐いた。


「あとでもう一回ルールを確認しておいたほうがいいね。知らないうちに不正しちゃったら大変だから」

「うん。そうだね」


 博は口を皿につけてカレーを一気にかき込み、最後に残っている福神漬けをスプーンですくって口に運んだ。パリパリと小気味のいい音が響く。

 あの映像を観たあとで普通に食事を続けているだなんて、信じられない。くるみは長めのため息をついたあと、オレンジジュースを一口飲んだ。


 ふと視線を上に向けると、DBが宙に浮いたまま、くるみたちの食事風景を撮影している。もしかして今チャンネルをUKCに替えたら、自分たちの食事風景が映し出されるのではないだろうか。そう考えると、急に緊張してしまう……。


「次のカード、そろそろ選ばないといけないよね」


 博が聞く。


「そうだね」


 UKCは時間との勝負だ。時間帯が遅くなるほど誰かからモノを借りるという行為そのものが難しくなってしまう。長々と休憩している暇はない。


「次なんだけどさ、グリーンカードに挑戦してみようと思うの」


 くるみが言うと、博は驚きの表情を浮かべた。


「グリーン? ……それって、相当ハードだよね?」

「そうだけど、レッドカードばかりじゃほかのペアと差をつけられないでしょ。レッドカードを選ぶペアは多いだろうから。それにさっきテレビで早くもグリーンカードをクリアしたペアがいるって言ってたじゃない。こっちもグリーンカードをクリアしないとそういうペアには勝てないよ」

「それは、そうだけど……もう少しレッドで様子を見てもいいかなあ……と」


 父親はごくごく普通の会社員として堅実に生きてきた男だ。何事もリスクを取るタイプではない。しかし、リスクを取らずにUKCで勝ち残るのは不可能だ。


「過去のUKCで出たお題をまとめてるサイトを見たんだけど、グリーンカードのお題はむちゃくちゃな難易度ってわけじゃなかった。だから十分にクリアできる可能性はあるよ」

「なるほど……」


 博が真顔になって考え込む。少しの間思案し、やがて口を開いた。


「うん、わかった。そうしよう。ごめんごめん、ちょっと不安になっちゃって。くるみがそう思うんなら、父さんはそれに従うだけだよ」


 博は照れたように笑いながらそう言うと、残り少なくなったアイスコーヒーをズズッとすすった。

 二人は食事を終えて外へ出た。店の前は人通りが少なく、落ち着いた雰囲気が漂っている。ここなら人目を気にせずKARIMOカリモを操作できそうだ。


「次のカード、ここで引いていい?」

「ああ、いいよ」


 くるみはショルダーバッグからKARIMOを取り出し、『カードを選ぶ』の文字をタップする。ゴールドからブラウンまで、五枚のカードが並んでいる画面に切り替わる。

 グリーンカードをタップしようとするが、緊張で指先が震える。どんなお題が出るのだろう。考えたところでどうにもならないが、気になって仕方がない。

 一度深呼吸をしてから、鮮やかな緑色のカードを軽くタップする。

 グリーンカードが画面中央に移動して大きくなり、ゆっくりと反転していく。


【球速140キロ以上出せる人】

※スタジオで実際に投げてもらって球速を計ります(チャンスは3回)


 カードに示されたお題を見ても、一瞬どういう意味なのかよくわからなかったが、注釈を読んでなんとなく理解はできた。


「ボールを投げて、百四十キロ以上のスピードを出せる人ってことだよね」

「そういうことだね……なるほど。そうきたかあ」


 何に感心しているかわからないが、博は大きく頷いている。


「どうやって探すかだよなあ……」


 博が首をひねる。


「ルール的に自分の所持品はモノとして認められるわけだから、この場合だと、自分で投げてもいいってことだよね」

「まあ、たぶん、それはオッケーだろうね」

「お父さん、確か野球部だったよね」

「うん。そうだけど」


 くるみは博に顔を向ける。視線が合ったまま三秒ほど固まって、


「え? ……いや、無理無理、無理だよそれは。百四十キロなんて出せるわけないよ」

「無理なの? 現役じゃないから?」

「現役の頃でも無理だよ。弱小高校の補欠だったし」

「なんだ」

「なんだ……って」

「百四十キロって相当なスピードなの?」

「そうだよ。野球経験者でもかなりの実力者じゃないと、まず出ないね。しかもピッチャー経験者じゃないと」


 くるみは野球にまったく興味がなかった。まだ小さかった頃、博が野球中継を観ている時に、アニメが観たいと言って勝手にチャンネルを替えて困らせたことも度々あった。球を投げる選手がピッチャーと呼ばれていることくらいは知っているが、その球速がどの程度なのかなんてまるで見当もつかない。


「道行く人に声をかけまくるしかないかな」


くるみが言う。


「それもいいけど、野球経験者がいる場所で声をかけたほうが効率はいいだろうね」

「たとえば?」

「草野球している人たちをスカウトするとか」

「草野球してる人を探すほうが大変じゃない?」

「……そうだね。じゃあ、野球ショップに行くとか」

「どこにあるかわかんないし、あったとしても、お客さんもそんなにいないんじゃないかな」

「……まあ、そうかもね」


 提案をバッサリと切り捨てられ、博は残念そうな顔をする。アイデアを出してくれるのはありがたいが、一分たりとも時間を無駄にするわけにはいかず、より可能性が高そうなやり方をひねり出すためにも、博に遠慮している場合ではないのだ。


「あと、なんだろう……バッティングセンターとか?」

「バッティングセンター?」

「うん、バッティングセンターなら人もけっこういるよ。野球経験者だけとは限らないけど」

「バッティングセンターなら、歌舞伎町にあるよ」


 くるみはお店に勤めていた頃、アフターで客とバッティングセンターに行ったことがあった。食事をするだけの約束だったが、しこたま飲んで酔っ払った客にバッティングセンターに行こうと誘われ、足元のおぼつかないおじさんが何十球も空振りするところを見させられてうんざりした。


 二人でバッティングセンターに向かっていると、


「よう、お二人さん」


 という声が微かに聞こえてきて、くるみは振り返った。数メートル先に、バイクにまたがっている二人組の男がいた。ヘルメットをかぶっているのでわかりにくかったが、少し前に控室で自分たちに話しかけてきた金髪の男とそのパートナーのようだ。


「調子はどうよ。もうなんかクリアしたのか?」


 金髪男が聞いてきた。

 答える義理なんてないわ。

 くるみは何も答えず踵を返し、再び歩き出した。


 繁華街のど真ん中に立つ白い外壁の『歌舞伎町バッティングセンター』は、ひときわ異彩を放っていた。中へ入ると、真剣な顔つきでボールを打つホスト風の男、デート中と思しきカップル、楽しそうにホームラン競争をする学生など、さまざまな人々がそれぞれの目的でバッティングを楽しんでいた。

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