第17話 記憶

○ 田所仁志・浅川みちる 初日12時


 身も心も疲れ果て、ペラペラのせんべい布団の上に倒れ込む自分の姿がまた頭に浮かんでくる。夢も希望もない、圧倒的な苦痛だけの日々。

 田所仁志がUKCに参加したのは二十一年前、二十歳の頃だった。地元の千葉の高校を卒業したあと、建設会社で土木作業員として働いていたが、自分がいる場所はここじゃない、自分にはもっと大きなことができるはずだと思っていた。有名になりたい、金持ちになりたい、家族や友人を驚かせるような、そんな人間に俺ならなれるはずだ。

 とは言っても、自分に何ができる? 勉強ができるわけでもスポーツができるわけでもなく、これといった特技、特殊能力もない。


 その答えの欠片も見つからないまま、仕事をこなすだけの日々を送っていたある日、昼休憩で詰所に戻ると、先輩のおっさんたちがUKCの中継を観ていた。おっさんたちは借券を握りしめ、テレビの前で何やら興奮していた。借券というのはいわゆる馬券のようなもので、つまりおっさんたちはUKCの出場者(カリモラー)に賭けていたわけだ。


 もちろんUKCのことは知っていたし、何度か観たこともあるが、特別に好きというわけでもなく、出たいと思ったことも借券を買おうと思ったこともなかった。

 しかしその時は、ハンマーで後頭部をどつかれたような衝撃が全身を貫いた。これだ! 俺が夢を掴むチャンスはここにしかない!

 優勝できるという根拠のない自信だけがあった。仕事仲間の柏木を誘って応募し、見事当選を果たした。自分にもやっと大きな運の流れが来たと思った。


 本番当日、右も左もわからない開催地の大阪を駆けずり回り、順調にお題をクリアしていった。

 迎えた二日目。勝負をかけようと思い、シルバーカードを引いた。課されたお題は【スズメバチの巣】だった。心斎橋で道行く人に声をかけまくった結果、実家に大きなスズメバチの巣ができて困っているという女に出会った。

 頼み込んで実家に案内してもらうと、庭にある植木に大きなスズメバチの巣があった。念のため服を借り、何枚も重ね着した後、父親のものだというバイクのフルフェイスヘルメットも被った。まずは殺虫スプレーである程度蜂を駆除し、次に剪定バサミで植木から巣を切り離す。最後にそれをゴミ袋に入れる。ただそれだけのこと。難しいことは何もない。


 そう高を括り、殺虫スプレーを手に持つと、いざ巨大巣に挑んでいった。

「死にさらせ」と呟いて巣に向かってスプレーを噴射した瞬間、中から大量のスズメバチが姿を現した。そのあまりの数の多さに驚きながら、無我夢中でスプレーを噴射しまくった。次の瞬間、首筋に激痛が走った。その一撃でパニックに陥った。スプレーが手からこぼれ落ち、どうしていいのかわからずあたふたしていると、身体のあちこちを鋭い痛みが襲った。


 気がついた時には、病院のベッドの上だった。蜂に刺されすぎたショックで気を失って倒れ、救急車で担ぎ込まれたとのことだった。そのまま体調が回復せず、続行不可能となったため失格となり、カリポと呼ばれる連行人に連れて行かれた。


 そして、薬を投与されて眠らされ、収容施設へ送られた。そこから二十年にも及ぶ強制労働生活が始まった。「地下にある収容施設」としか教えてもらえなかったため、そこが日本のどこに作られた施設なのかもわからなかった。日本ではないという可能性もある。

 その施設には、これまでのUKCで失格となった者たちが百名ほどいた。ほかの場所にも施設はあるとのことだったのですべての失格者がそこにいたわけではないが、〝UKC失格者〟という共通点を持つ者たちが、協力してさまざまな労働に従事させられていた。


 田所は最初の五年間、来る日も来る日もトンネルを掘らされた。どことどこを繋ぐトンネルなのかも知らされず、ひたすら土を堀り、ひたすら土を運んだ。次の五年間は、用途のわからない金属製の部品を組み立てて箱詰めするという作業だった。それが終わると、残りの十年間は、直径一メートルほどの巨大な鉄球に刷毛で塗料を塗っていくという意味不明の作業をやらされた。


 施設には、刑務所で許されているような娯楽の類は一切ない。本も読めなければテレビ、映画鑑賞の時間もなく、誰かが慰問に訪れることもない。もちろん面会も。

 そのため、肉体的にも辛いが、精神的な苦痛も相当なものだった。収容者は狭い部屋で五人一組の共同生活を送っているため、そこで会話をすることが自力でできる唯一の娯楽なのだが、誰もが常にイライラしている状態であるため喧嘩が絶えず、時には死者が出ることさえあった。


 施設内には、ナイフやロープなどの道具が置いてある『自死部屋』と呼ばれる部屋があり、申請をすればそこで自ら命を絶てるようにもなっていた。実際にそこで何人もの人間が命を絶った。

 そんな状況だったが、田所は耐えた。地獄としか言いようのない日々を、ひたすら耐えた。

 もう一度UKCに挑戦する。そして今度こそ優勝してやる。その一念があったからだ。

 そうして強制労働を終え、元の世界に戻ってきた田所は、トラックドライバーとして働きながら、UKC出場へ向けて気力と体力を回復させることに専念した。

 その間、気まぐれにマッチングアプリを試し、一人の女と知り合った。それが、浅川みちるだった。


「ん? 何?」


 田所が視線を向けると、こちらを向いたみちると目が合った。


「いや、べつに」


 みちるは三十二歳だが、二十代前半と言っても疑われることはないだろう。外見も若いが中身はもっと幼く、喋っている雰囲気は中学生のようだ。世間のことをまるで知らず、話はまったくかみ合わないが、慣れたので気にはならない。おっちょこちょいでかなり抜けているのでたまにイラっとさせられることはあるが、大きな目に潤んだ瞳、薄い唇、丸い輪郭のそれは、百点をあげてもいいと思えるほど田所好みの顔だ。

 みちるの過去のことはほとんど知らない。本人があまり話したがらないからだ。知っていることと言えば、一人っ子であることと、両親と絶縁状態であることだけだ。


 みちると付き合い始めて半年ほど経った頃、UKCに応募しようとしていることを打ち明けた。パートナーは今探しているところだと言うと、「私も出たい。一緒に出よう」とみちるが言った。

 正直、パートナーは誰でもよかった。誰がパートナーであれ、自分が最後まで残って優勝さえできればそれでいいからだ。気心の知れたみちるであれば余計な気を使わなくてもいい分、楽かもしれない。そう思い、みちるの提案を受け入れた。


 もちろんUKCで優勝するためには、応募して当選する必要があるが、選ばれるという絶対的な自信はあった。UKCに一度出場し、強制労働地獄から舞い戻ってすぐに再挑戦する奴などほかにいないはずで、そこを応募書類でアピールすれば貴重な人材として当選させるだろうと思ったからだ。

 そして事実、そうなった。当選の電話を受けた時、電話口で「よし」と叫んだことを今でもはっきりと覚えている。


 今の田所の最も重要な人生の目標は、女を幸せにすることではなく、大金持ちになって圧倒的な自由と快楽を手に入れることだ。

 二十年という年月、男としてのプライド、そうした失ったものすべてを取り戻してみせる。貴重な二十年を無駄にし、圧倒的な苦痛を耐え抜いたのだ。何としてでも大金持ちにならないと割に合わない。


【現金100万円】


 それが田所仁志・浅川みちるペアに与えられた、レッドカードのお題だった。

 さすがに百万円という大金を今すぐ誰かから借りるのは難しい。この場合、自分の銀行口座などから引き出すのが最も簡単な方法だ。UKCのルールでは、自分の所有物であればモノとして認められる。現金を引き出すこともオッケーだ。そのことはお題を引いてすぐにKARIMOで確認している。

 田所がその案をみちるに話すと、


「仁志ちゃん、貯金いくらある?」

「百万円ちょいだな」


 土木作業員時代に貯めた金と、強制労働から戻ってきてトラックドライバーとして働きながら貯めた金とを合わせると、百万円ほどある。


「ならちょうどいいじゃん。何銀行?」

「諸星銀行」

「私と一緒だ。駅前にATMとかあるかな?」

「後ろ、見てみろ」


 すぐそこの横断歩道を渡った先に、諸星銀行の看板が見える。


「おお、あんなところに」

「行くぞ」


 諸星銀行の店舗まで行き、ATMコーナーに二人で並んだ。

 すぐに順番がきて、一番奥の台にキャッシュカードを入れ、百万円を引き出そうとしたが、一日あたりの引き出し限度額は五十万円までですという表示が出た。


「んだと? ふざけんじゃねえぞ」


 田所は何の罪もないATMを拳で思いっ切り叩いた。


「やめなって仁志ちゃん。私のをおろせばいいだけなんだから」

「お前、五十万あんのか?」

「たぶん」


 みちるにそう言われ、とりあえず先に自分の口座から五十万円を引き出した。次にみちるが財布からキャッシュカードを抜き出し、ATMに差し込んだ。


「わ、あぶな。五十万ギリギリだ」


 残高を確認したみちるがホッと胸をなでおろし、五十万円を引き出す。

 

「ひゃあ、こんな大金初めて見た」


 みちるが興奮して声を上げる。


「お前、優勝したら何に金使うつもりだよ」

「だから、何回も言ってんじゃん。何も決めてないって」

「なんかあるだろうが」

「うーん……まったく思いつかない」

「その程度のモチベーションでUKCに参加するとか、信じられねえな」

「モチベーション……って、なんだっけ?」


 人差し指をこめかみに当て、首を傾げる。

 みちるからはまるで緊張感が感じられない。連行されたら強制労働二十年ということは知っているはずだが、こいつはその重みがわかっているのか。

 まあ、どうでもいいことだ。みちるのことは好きではあるが、もしみちるが連行されたとしても、俺がショックを受けることはないだろう。大金持ちになったらもっといい女といくらでも付き合える。

 札束の匂いをクンクンと嗅いでいるみちるの手からそれを奪うようにして取ると、自分が引き出した五十万円の束と合わせる。


「それ持ってったら、クリアってことでしょ?」

「そうだ」


 まだ三十分程度しか経っていない。幸先の良いスタートに思わず頬がゆるみそうになる。

 だがUKCは始まったばかりだ。このままの調子で進んでいけるほど甘くはない。一瞬でも気を緩めると、それが命取りになる。

 田所は大きく息を吸い込んで気合を入れ直し、険しい顔つきで歩き出した。

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